ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

肉の名前

数日前に家で焼き肉を食べました。家で食べれば安いのでたまには贅沢してみようということになり、普段よりは少し上等な肉を食べました。ところが、悲しいかな、安い肉ばかり食べている私は、脂の乗った肉を食べて胃もたれ気味になったのでした。

そのとき思い出したのが、焼肉店ではももをロースという名前で売っていたという話です。どこからどこがロースなのか、カルビなのか、ハラミなのか、きっちりと定義することが難しいからそういう無茶苦茶が成立していたんだと思いますが、パサパサのももを食べてロースだと思えていたのはある意味幸せなんでしょうかね。あ、いや、幸せかどうかは置いておくとして、日本人の肉に対する感度はそんなもんなんでしょうかね。

という流れで思うわけですが、ある物事に対する呼び名(名前)が多いか少ないかというのは、その言語を使っている人のその物事に対する感度の高低と強い相関があるんでしょうね。よく言われる例だと、英語には馬を意味する単語がたくさんありますが、日本語は基本「馬」ですよね。その前に修飾語を付けてどういう馬かは表現できますが、馬に対する感度は日本人の方がやはり低いのではないかと思ってしまいます。

あるいは、嘘か本当か知りませんが、エスキモーには「雪」という単語がないとか。日本語だと粉雪とかぼた雪とか、馬同様、雪を修飾する言葉でどういう雪かを表現しますが、エスキモーにとっては「粉雪」とか「ぼた雪」とかが単語で、私たちが一言で雪と言える物体に対する呼び名が何十もある、と聞いたことがあります。さらに、イタリア人には…おっと、ここから先は書くのを自粛しますが、まあ、とにかく、ある物事を細分化して呼び名が付けられているというのは、その物事に対する感度、分解能が高いことを意味してるんだろうな、という当たり前のことを書いています。よく聞く話ですね。

よく考えると同じことを言ってるのかもしれませんが、逆に、知らない物事でも名前を付けるとわかった気になってしまう、という記述が例のM山さんの本にあって(昨日、やっと読み終わりました)目から鱗でした。知らない野良猫でも、名前を付けるとその猫のことをホントは何も知らないのにどういう猫かわかった気になってしまう。それと同じで、ホントは何か(存在するかも)わからないヒッグス粒子にヒッグスと名前を付けてしまうのは、わかった気になって安心してしまいよくない、みたいなことが書いてあり、おもわず電車の中で「なるほどー」と相槌を打ってしまいそうでした。だから彼はヒッグスのことを暗黒場と呼んでいるのだそうです。どっかのトークでヒッグスのことを暗黒場と呼んでいて、なんでそんな呼び方するんだろうと思ったことあったのですが、その謎も解けました。

おっと、もはや何を書いているのかわからなくなってきましたが、名前というのはその対象を理解する(理解した気になる)上で非常に重要な働きをしてるもんだなぁ、と感じたのでした。

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この記事のコメント

家賃の安い部屋に引越しの準備で忙しく、おせちやお餅、お屠蘇などは結局全く口にせず、即席麺やスパゲッティー、パンとチーズで過ごしました。昨年度の年収は20万円近く下がり、今年度はもっと下がる見込みです。

博士論文を書いたときは、スタミナをつけなくちゃと思って、レトルト800円の参鶏湯をおせちの代わりに2週間かけて食べました・・・。見た目気持ち悪いところもありますが味はあっさり、高麗人参が入っていて、骨まで食べられるので結局は無駄がないのでは(残さず食べようと思いましたが後のほうは骨にカビが生えて、なんか病気が染りそうで怖かった)。

麺類やパンなら米より安く、午後眠くなりにくくて、おかずが(細かい栄養を気にしなければ、本能的には)あまり要りません。乾燥葱、切り干し大根、若布などの乾物は大好きです。30歳を過ぎてから栄養所要量は減った気がします。なぜかゴキブリも好むという葱の葉だけは特に欲しくなるのですが、実際、湿らせたら虫が涌いていたので栄養ありそうな気もします。野菜自体、半分嗜好品ではないかとも思います。ペペロンチーノにはまっているのですがニンニクは科学的に言って体に良いのかどうかが謎で、(癌予防の有力候補だそうですが、でもユリ科は突然変異し易いから品種が多いのではないかという気もして)しばらく悩んでいます。

1万円のおせちで500人の被害者は返金されても、その被害総額は私が22歳ですぐ就職していたら稼げたはずの、国立大学法人の無限連鎖講による詐欺の被害額、2千万円に遠く及びません。あちらをニュースにしてこちらの被害を無視するのはおかしいです。

もし2012年までにヒッグス粒子が見つからなかったら、あるいは超対称性粒子が見つからなかったら、私にノーベル賞をください。超対称性理論の研究で税金を使って稼いだ「科学者」達、約100名は、一人20万円ずつ弁償してください。

まったく実験と合わないのに「科学研究職」に就けた、彼らに費やした科研費を、もっと人類に役立つような研究に先行投資すれば良かったのに。いっぽう素粒子物理学は真実でありさえすれば、すべての物理現象の元なので、何にでも応用できるでしょう。役に立たないと決め付けられる筋合いはありません。専門外の人が知らずに侮辱するのはおかしいです。
2011-02-02 Wed 21:46 | URL | nisimiyu [ 編集]

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