ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

宇宙は何でできているのか

いきなりキャッチーなタイトルです。でも、そのタイトルに応えるべく、ダークマターが23%で…と、うんぬんかんぬん書くつもりはありません。そうではなくて、そういうタイトルの本が売れてるというのが今回のお題です。

読書が趣味のカミさんは、その本が科学関連の本なのによく売れているということを知っていて、新聞の広告に大きく乗ってるM山Hさんの写真を見て驚いている私を見て、「知らなかったの?」的な反応をしていました。とまあそういうわけで、つい最近までそんな本が売れてることを知らなかったのですが、M山さんが書いてるんだったら一般の人にもわかりやすく、かつ、面白いだろうから、売れてると聞いても驚きはありません。

M山さんのトークは極めて面白く、わかった気にさせるマジシャンとでも呼びたいくらいです。難しい話でも、彼のトークを聞いてるときはわかった気になってしまいますし、実際、専門家の間でも評判が高く、大きな国際会議の〆のトークをよく任されています。最近は、高エネルギー物理の将来計画検討小委員会なるものでご一緒させていただいているのですが、彼の場合、トークだけでなく発言も非常にわかりやすく、人を説得させることに関しては彼以上の人を私は知りません。あ、いや、もちろん、無茶苦茶賢くて、物理もよーくわかっているからこそ、そういう話ができるわけです。何が本質で、人は何を理解しずらいかを瞬時に見破り、ここが特徴ですが、説明するときに非常にわかりやすい上手い喩えを使ってくれます。その例え話でわかった気にさせちゃうんですね。

そういう私も、一般の人向け、あるいは学部生を対象とするような素粒子物理学のイントロダクション的なトークをするときには、M山さんのトークを大いに参考にさせてもらっています。毎回使うスライドの1枚には、M山さんのスライドのパクリがあって、「M山さんのスライドを拝借して修正」的なコメントを入れて使っています。

ところで、最近色々な所で一般の人を相手にトークをして強く感じるのは、キャッチーなフレーズの重要性です。「宇宙」「反物質」「ブラックホール」「ワープ」あと何だろう…?他にもあるかもしれませんが、とにかく、前述のようなSFチックな言葉を出した時の喰いつき方が違います。コメントでN村さんが書いていたように、私たちのような専門家は、SFチックな言葉に対する感受性が劇的に低くなっています。あまりに日常ですし、それが何なのか理解してしまってますから。しかし、一般の方は違うんですね。そういう言葉で色々な想いを想起することができ、胸躍らせることが可能なんですね。

で、M山さんに戻ってくるのですが、彼はキャッチーなフレーズを散りばめるのも上手です。キャッチーな言葉を散りばめすぎるのは、なんというか、誠実さに欠けてくる気がする一方で、私たちのような人間の講演を聞きにくる人というのは、そういう言葉を用いた解説を聞いて胸躍らせることを目的にしている可能性も高いでしょうから、やっぱりそれなりに混ぜた方がいいのかな、などと、その配合については結構迷います。いや、今手元に「宇宙は何でできているのか」の新聞広告の切り抜きを持っているのですが…専門家以外だと「ん、どういうことだろう、これ?」みたいなキャッチフレーズの連発です。ま、これは広告ですから仕方ありませんが、そういうフレーズをどんどん思いつけるコピーライターのような能力もM山さんは兼ね備えているんでしょうね。

最後に、毎度の繰り返しですが、やはり日本人は強烈な言霊教だと感じてしまいます。語感というのでしょうか。それがとにかく大事で、油断してると中味よりも語感のほうが重要だったりするので、油断なりません。「宇宙」=ロマン、「イトカワ」=ロマン、「素粒子」=ロマン…になって欲しいものです。

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この記事のコメント

「非可換モノポール」「タキオン凝縮」「Qボール」「ワープトコンパクト化」「ブレーン」「グルーボール」「スクォーク」「ストリング」…、SFにも登場しないような怪しげな用語が日常的に飛び交っているのは、素粒子論研究室くらいでしょうね。そうと知らずに、進学してしまったのです。当初から浮いていました。

私の科学的知識は、高校生までに多くを読んだブルーバックスシリーズや、岩波の理工系教科書などが基礎になっており、上記の言葉にはとてつもない違和感を覚えました。ブラックホールにしても、量子力学ができたそもそものきっかけは、電子の原子核への落ち込みを防ぐことだった筈なのに。学部時代には「宇宙論と異なり、素粒子の学生にブラックホールというと怪訝な顔をする」と聞いたものです。「素粒子の現代的知識と、学部生や世間の常識には20~30年の隔たりがあるようだ」「実験で確かめられもしない超弦理論でノーベル賞はもらえない」とも。

「こんなのは私の知っていた世界じゃない。世界はいつからこんなにおかしくなってしまったの?」「あんなタイトルで博士号が取れるなら、当然私のも」、と思ったのに長年無視されて出版できなかったため、辛くて、悔しくて、悲しくて。
中学生のときから科学者になりたくて勉強してきたのに、彼らの価値観にはまったく共感できないし、誰にも判ってもらえない…。今も、図書館の開架、科学欄に超弦理論の本が平然と並んでいるのを見るたび心は泣いています。こんなものを読まされた子どもがかわいそう、と。

あんな世界に、6年間も身を置いてしまった…。リハビリが必要かもしれません。
一方で「QED」「QCD」は、どこか懐かしい気がしました。
「スピン」「時間反転演算子」「パリティ」「反粒子」「ベクトルメソン」「CPT定理」「真空偏極」…これらは、SFで聞き憶えのあるような、口にするだけで格好良い感じのする言葉で、意味を理解したくて憧れました。実際、現実にありえることと、ありえないことを区別する、物理にとって本質的なことなので学んで良かったと思います。

私は2000年2月、2度目の修士1年次に提出した論文で、固有関数の特異点を分類して、その解析性から、「ありえるポテンシャルの冪が決まってしまう」と書いていました。ポテンシャルに真性特異点があったらどうなるのかは、実は大学1年の時、複素解析を学んだ直後に、なんとなく気になっていたことでした。昔から適当に図書館の本で自習していて、どういう訳か本能的に、好みははっきりしています。ファインマンの伝記や教科書は偶々あまり読んだことがなく、友人が経路積分について熱く語っても「ラグランジアンのご利益がいまいち判らない。ハミルトニアンではいけないの?」等と思っていました。…量子力学を解析力学より先に学んだので。

「真性特異点」は近づき方によって任意の値を取りえるジョーカーのような点なのですが、この部分はちょっと詳しい教科書を偶々サークルで読んでいたため、知ったとき、惹かれて気になりました(ブラックホールの特異点よりも?変ですね)。いざ論文を英訳しようとするとき「essential singularity」と呼ぶことを知り、何か嬉しくなりました。信頼できる教科書を教えてくれた人には感謝しています。アカハラの件は別ですが。なぜか、わざと嘘をつくような人が多かったように見えて、今も困惑しています。なぜ現実的な研究をしようとする人が少なかったのかと。私はごく普通の科学者になりたかっただけなのに。早くまともな世界に戻ってほしい。次世代に禍根を残さないように。
2010-11-26 Fri 01:12 | URL | nisimiyu(西川美幸) [ 編集]

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