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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

商品価値

昨日のエントリーを書いていて思いついたことをつらつらと書きます。雑感垂れ流しです。

世間には女子プロなんちゃらという、女性に限定されてるプロの競技というか、プロの枠というか、がありますよね。昨日の話だと将棋の女流プロ。これは女性のプロという意味ではなく、女性専用の別枠です。将棋のプロにはそもそも男女の別はないのですが、女性ではプロになれる成績をおさめた人が今のところいなくて、原理的にはなれるのですが、まだそれほど強い人が現れていないのです。そこで、どういう議論があって、どういう目論みがあったのかは知りませんが、女性だけの別枠を設けて女流プロというシステムを作ろうということになったわけです。なので、女性は強ければ普通のプロになれますが、羽生がいくら強くても女流プロにはなれません。

というように、そもそも別枠が設けられてる競技やシステムが世間には幾つかありますが、その典型はスポーツでしょうか。性別によって分けられています。筋力/体重比が違うのですから、別カテゴリーで競技するのが当然です。が、私が今議論しようとしてるのは、そこに女子プロなんちゃら、例えば女子プロテニス選手、というカテゴリーが存在することです。競技としては男女別がフェアだと思いますが、見てる分には、男女差って激しいので、少なくとも私は女性のプロスポーツはあまり見ません。というのも、私の”プロ”スポーツの見方は、かわいい女の子がやってるのを見る、のではなく、競技レベルの高さに胸を躍らせるからです。極論、選手が誰かもわからないようなだぶだぶの服を着て、お面をかぶって競技してたとしたら、女子のプロスポーツを見る人激減しませんか?(誤解なきよう追記しておきますが、女性のプロスポーツを否定してるわけではありません。以下で書くように商品価値はあると思います。ただ、色々な楽しみ方、見方があって、純粋にプレーだけに価値を置くと、その凄さには男女差があるという意味です。)

というわけで、私はプレー自体を見ようとするスポーツファンなわけですが、もちろんそれ以外の観点のファンがいて当然です。女性でそのスポーツを愛好してる人がファンであること多いでしょうし、ビーチバレーの女子選手をスケベ視線で見てる男性ファンもきっと多いことでしょう。つまり、プレーとしては男性にはかなわなくても、商品価値があれば、資本主義社会では女子プロなんちゃらという枠組みが存在できるわけですね。その商品価値の方向は多様で、自分の娘みたいな女の子がゴルフやってるのを応援したくなるとか、自分の娘みたいな女の子に将棋の相手して欲しいとか(将棋とか囲碁には指導対局といって、プロと対戦する仕組みがあります)…うーん、あんまり多様な例を思いつきませんが、とにかく、競技能力は男に劣ってもプロとして存在して欲しいというニーズが世の中にあるから成立してるわけですよね。

これはスポーツや将棋に限ったわけではなく、また男女を別カテゴリーに分けるといった話に限ったわけではありません。と、ここまで書いて、これ以上具体的な記述は避けますが、学生さんは就職するにしても研究職を目指すにしても、単に勉強のできるいわゆる優等生になるのではなく、個人の商品価値を高めて欲しいなぁ、と思うのでした。

それから、女性限定の教員公募を訝しく思ってる方が多いようですが、今回のエントリーはその説明を(非常に婉曲的に)してるつもりです。女性に対するサービスで限定の公募をしてるわけではありません。その組織にとって、女性教員を雇うこと、遡って、そういう限定の公募を出すことが、その組織のメリットになると判断したから、そういう公募を出したわけです。人を雇う立場の人間は、色んな意味での利益の最大化を狙って人を雇っているのです。

と、まあ、多くの人にとっては当たり前のことを長々と書いてしまいました…。

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