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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

個性

数日前に話題になったのですが、王道と思われる研究を個性がないと批判する研究者が結構いるものなのですね。もちろん人と全く同じ研究は研究として成立しませんから論外ですが、面白いと感じるテーマ、金脈が隠されているのではないかと思えるテーマ、そういう観点から自分の研究テーマを絞っていくと、外から見ると一見違いがないような研究テーマが乱立してしまうことはよくあります。でも、そういう面白そうな研究を個性がないからという理由だけで排除するというのは、逆に多くの人が重要と考える研究だけを行いマイナーな研究費を削れ、と言ってるのと同じくらい乱暴な議論の気がします。

研究、特に基礎研究は考え方の多様性が重要だということをちょっと前に書いたことありますが、そのとき重要なのは他からのバイアスを受けないで個人が自分の考え方に基づいて判断することなのではないでしょうか。誰かがこう言ってるから正しいに違いない、逆に間違っているに違いない、そういう偏見をなくして個々人が判断をくだし、その判断が複数あることによって、多ければ多いほど、結果として正しい判断の可能性になることが高い、というのが先人が気づいてきた知恵なのだと私は思っています。民主主義やボトムアップを支持する根源です。

それなのに、人がやってるからやらない。人がやってないことをやることが個性なのだ、と主張するのはただの天の邪鬼なのではないでしょうかね。誰もやっていない新しい研究、あるいは誰もやっていないが金脈が近いと感じられる研究ならいいですが、そうではなくて、「人がやってないこと=個性があって素晴らしい」という単純な行動規範だけで、役に立てる可能性が高いとは思えない古い技術開発にしがみつくというのは、私には理解できません。まあ、そういう天の邪鬼思想も考え方の多様性の一つですからそれ自体を批判するつもりはそれほどありません。ただ、その考え方を人に押し付けようとするのはやめて欲しいものです。

こういう議論をしてると、そもそも個性って何なんだろうって考えてしまいます。世間でも子供の教育などで個性を重視する云々という話をよく聞きますが、個性って持とうとして持てるものではなくないですか。他の人にはないオンリーワンを目指せみたいなことを教育だけではなく、色々なシチュエーションで聞きますけど、そんなオンリーワンの能力だったり実績を作れる人なんて、世の中に滅多にいないわけです。イチローみたいに打つのが上手い人がそんなにいるわけないし、ボルトみたいに速く走れる人間がたくさんいるわけありません。フェルミみたいな天才がうようよしてたら怖いですし、シュレディンガーのように物理で名を残し、若い女性にもてまくり、かつ、奥さんから浮気を公認してもらえるような物理学者になんてなれるわけありません。過去に考えられていなかったアイデアを生める真に個性を持ったアイデアを創出できる人なんてほぼ皆無なわけです。

それなのに、個性を持て、個性を持った研究しろ、等々言い続ける人をみると、お前はどんな新しいことをしたんだと文句を言いたくなります。どっかのコラムでも読みましたが、最近心を病む人が多いのは、個性信仰が強いからではないかと考えている専門家もいるようです。子供の頃から大事に育てられ、他人とは違うんだ、個性を持った人間んになるんだ、と教育を受けてくるのですが、大人になると人と違った能力を発揮してその能力によって生きていける人間なんて極めて数限られてるわけです。大抵は、他の人と同じことをやって生きていくんだということを悟っていかなければならないのに、子供の頃はそれとは真逆の思想を植え込まれるわけです。それって凄く残酷で、心を病んでしまうのも仕方ないのではないかと思ってしまいました。

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この記事のコメント

確かに、数学なら、ピタゴラスの定理に約30通りの別証明が
あろうと、結論に変わりはありません。最少手順で正解に辿り着く
解が優れているような気もしますが、これはひとつでも解き方が
見つかれば、あとはコンパイルの最適化のようにして自動化できる
のかも知れません。とにかく事実が知りたいだけで、別に
「エレガントに解きたい」とは思わない場合もあります。
(思ってもできないだろう、というご批判は無しにして)
より、本質を深く理解できる考え方が好き、というか。

いっぽうで、抽象的過ぎる言葉は意味が薄いと感じてしまいます。
たとえば真性特異点については、近づき方によってどのような
値にも収束しえる、という定理がありますので、注意深く扱わないと
一見合っていそうでも最初から間違えた結論になる危険性があります。

科学の場合、単純に、実験事実と一致する理論が優れています。
できるだけ単一の方程式で、多くの事柄を正しく予想できるほど。
その意味で、素粒子は絶対、森羅万象に応用できる「究極理論」で、
電磁気学などはその近似に過ぎないと思いましたので、学んだことに
後悔はしていません。しかし
「役に立たない、趣味だろう」
と思われているところが、悲しいです。
地熱にも核力は関わっていますし、小柴先生も
「ニュートリノの研究は地震予知などに応用できるかも」
と仰っていました。
量子力学から古典力学は導けても、逆はできないのです。

半分数学的興味?で行われている、実在素粒子の名前が殆ど登場しない
「超弦理論」よりは、普通の素粒子物理学のほうが、よほど精密計算
できて役に立つと思います。
まともな科学者になりたかっただけなのに、なぜ少数派なのでしょう?
そもそも「自然科学研究会」も大学1年時、入ってみたら、学内同学年に
1500人はいる理系学生のうち、3人しかいませんでした。
これは個性どころの話ではなく、私だけよほど価値観が特殊なのか、
縁故がないのに科学者を目指したのが非常識だったのか、悩んでしまいます。

進学時は指導教官が未定で、初めから賛成はしていませんでしたが、
ごく普通に最小限の仮定のみを用いて計算してみたら、指導教官の主要
業績に反する結論になってしまったなんて、あまり聞いたことがありません。
通常のアカハラと異なり、元々一日中誰とも話さなくても平気なので、
特に人間関係に悩んではいなくて、興味が違うので
(横田さんのことはショックでしたが、携帯番号を言うほど話したこともなく、
こちらは父の入院や、つくばに自費で通うよう言われて頭が一杯の時でした)
勝手にやってみたかったことをしましたが、論文は大幅削除されました。
誰かが考えそうなことではありますが、ならばなぜ公表されていないのか、
似た論文があれば今も知りたいです。

未来の科学的事実を正確に予想できる科学者のほうが、スポーツ選手よりも
役に立つ気もするのに、実力次第の給与でない理由も、わかりません。
最近、私にとって尊敬できる科学者は、プラネタリウムの「つるちゃん」
かもしれません。
2010-05-25 Tue 00:15 | URL | nisimiyu [ 編集]

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