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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

痛みのない体育

数日前に新聞で読んだのですが、最近は学校の体育の授業で肉体的な痛みのないものが流行なんだそうです。記事の中で取り上げられていたのは、タックルのないアメフト(腰に布をぶらさげて、タックルの代わりにそれを取る)と、当たっても痛くない跳び箱。学校でそういう物を取り入れるのは、痛いから運動したくないと運動嫌いになる子供を減らすための工夫だそうで、どの世界も現場は色々苦労してるなぁと同情(?)しました。

一方で、記事中にも書いてありましたが、運動してる中で、何をどうしたらどんだけ痛いかを学ぶのも体育の重要な要素なので、何をしても痛くないような工夫をするというのは本当にいいことなのだろうか、と私なんかは疑問に感じてしまいます。物に突進したときの体の痛みを学ぶ機会を奪うって、凄く危険だと思うんですよね。限度がわからないというか。極論だと思いますが、子供の時はガンガン殴り合いのケンカをしてもいいし、少しくらいのケガはしてもいいと私は考えています。ケンカをしろという意味ではなく、痛みを学ぶ貴重な機会だと思うわけです。大人になってから殴り合いのケンカをすると死人が出てしまいますから。

ってなことを書いていて思い出した(偶然、似た内容をどっかのブログで見ました)のですが、将棋って数あるゲームの中でも負けた時の悔しさってダントツではないでしょうか。ほとんど運の入り込む余地がありませんし、オセロとか碁と違って、やるかやられるかの一騎打ちの世界なので、負けた時は自分の全人格を否定されたような悔しさがあります。だからなのかもしれませんが、将棋の対局って決着がついた後、勝ってもあまり喜べません。その最たる風景がテレビでの将棋対局。投了直後の瞬間を見ると、どっちが勝ったのかわかりません。これって、負けた時の尋常ではない悔しさがわかるからこその敗者へのいたわりなのではないでしょうか。何が言いたいかというと、将棋って負けた時の心の痛みが強烈。でもその痛みを知ってるからこそ相手に対して優しくなれるのではないか、と思うわけです。将棋観戦が趣味だからこんなこと言ってるのだと思いますが、なんでもいいから痛みを取り除こうとする現代で、将棋には心の痛みを得る貴重な機会があるのかも、なんて思っています。

別に将棋でなくても、跳び箱でなくても、ケンカでなくてもいいのですが、幼いうちに、負ける悔しさ、肉体的・精神的な痛みを十分経験して子供には成長していって欲しいと考える今日この頃です。いくら親が痛みを避けてあげようと思っても、いずれは痛みに直面することになるのですから。

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