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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

理解不能

突然ですが、無茶苦茶な行動なんだけどその行動をとってる人の気持ち、というか行動規範(原理)を理解できる場合と、その逆のケースがありませんか。

例えば、政治家の言動は非論理的だし、日常生活であれだけ言ってることとやってることが不一致してる集団というのは私は見かけたことがありません。ですが、彼らにとっては論理の一貫性、約束を守ること、誠実さ、そういう一般生活で美徳と考えられている(?)ことは全然重要ではなくて、いかに政争で有利に物事を進めるか、いかに選挙で票を集めるか、という点のみが重要視されていると考えれば、非常に首尾一貫した行動で、電弱相互作用や強い相互作用がゲージ原理で規定されているように、彼らには行動原理があるんだな、と納得、というと語弊があるかもしれませんが、とにかく理解できます。

これに対して私が逆だと言ってるのは、裁判所(というか司法?)です。私があまりにも不勉強だからというのが大きな理由なのかもしれませんが、新聞等で目にする判決、量刑が全く理解できないことが多いです。裁判所というのは正義の味方で、ケンカになったときに正しく裁いてくれる場所、という子供が持つのと同じようなイメージを持っているので、その行動規範というのは多くの人が考えて公正にすることだと思ってしまっているのですが、違うんですかね。2、3日前の新聞で読んだ記事で、警官が他の共犯者とともに人を監禁して暴行を繰り返したという事件の判決結果を読んで驚きました。懲役2年執行猶予3年(?)だかなんだかで、とにかく実刑ではないんです。ちょっとした口論からケンカになり相手を怪我させたとかいう話ではありません。複数の仲間とグルになって人を拉致、監禁して、数日に渡り暴行を加え、しかもその犯人が警官。なのに執行猶予付きって…理解不能です。

あと、前にも書きましたが被害者感情で量刑が変動するのも全く理解不能。身寄りのない人と身寄りのある人の生命や権利に違いがあると言ってるのに等しいわけで、なんでそんな無茶が、正義を司ると多くの人が信じている司法でまかりとおるのか本当に理解できません。

これらは端的な例で、とにかく司法関連では理解不能なことが多くて、どういう原理にのっとって司法関連者が行動しているのか気になります。公正であるべきという原理にのっとってはいるが、彼らの考える公正さと少なくとも私が考える公正さとは大きく解離しているということなんでしょうかね。だとすると、例えば、人の命を奪うことと刑務所で10年くらい生活することが等しいと判断できちゃう源はどこから来るのか不思議です。


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