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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

さらに多様性の話

ちょっとくどいですが、また多様性の話です。

研究や学問に限った話でなく、日常生活をしていて多様性を欠く原因になっているのがインターネットかな、なんて思ったりしてしまいます。元々は個人が持っている色々な情報を非常に多くの人と共有できるので、まさに多様性を広げるツールだと思っていたのですが、最近は疑問を感じるようになっています。その理由は2つあります。

1つ目:
何かわからないことがあると、自分で考えることを全くせずに、とりあえずグーグる人が世の中には増えているのではないかと思います。その結果として、ある物事に対する解釈を個人が行わないので、ウェブ上の誰かの解釈が世間一般の共通認識として広まってしまいます。特に恐ろしいと思うのは、検索結果の上位に来てるウェブサイトたちに全く同じことが書いてあることです。オリジナルがどこかは知りませんが、そこの説明のコピペがずらりと並んでいるのを見るとウンザリというか、怖くなります。情報操作されてたらエラいことですよ。しかも、その説明が間違いだったりすることが結構あります。自分の専門以外の分野では判断できませんが、自分の専門分野に関しては大間違いが幅を利かせていることが多々あります。そもそも誰が書いたか、どのように検証されたかを吟味できる論文と違って、誰が書いたかもわからないし、どんな情報操作が(意図的にせよ無意識にせよ)されているかわからないウェブ上の情報を鵜呑みにすることは私にはできません。にもかかわらず、こういう画一的な情報が世の常識となっていっているようで、多様性という面では後退してるのではないかと思ってしまうのです。

2つ目:
情報収集しようとすると、昔は本を読まなければなりませんでした。ある特定の事柄を百科事典で調べることももちろんありますが、雑誌等からの情報収集が主な情報源だったのではないでしょうか。もし雑誌を読めば、ある特定の記事だけではなく、なんとなくその雑誌全体に目を通すことが多いですよね。その結果、自分が意図して収集しようとした情報だけでなく、ぼんやりと色んな情報が頭に詰め込まれていたはずです。つまり、今はある欲しい情報にだけウェブで簡単にアクセスしその情報だけを収集しますが、昔は欲しい情報の周辺情報も自然に拾っていたのではないかと思うんですね。もちろん、ウェブサーフィンすれば多様な情報を手に入れられるのですが、本を読むという行為は意図しなくともそういう多様な知識の吸収に繋がっていたのではないかと。

そういうわけで、ウェブの発達によって実は多様性という面では実は後退してきているのではないか、と妄想しています。ウェブはやっぱり便利なわけで、活用しないテはないと思うんですね。ただ、便利だからと何でも検索して、何でも鵜呑みにするのは色んな意味でよくないなぁ、と思うのでした。私のブログなんてその典型です。私の言ってることなんて信用しないほうがきっと安全です。あはは。


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