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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

遺族・被害者感情と量刑

裁判員制度による裁判がいよいよ始まりましたね。今日は、それと関係があるような、ないような話です。

最近の裁判関連でよく聞く言葉に遺族感情とか、被害者感情というのがあります。遺族の被告への処罰感情が量刑の判断材料に含まれてきているというニュースを見かけるのですが、刑事裁判でそれってアリなんですかね。民事裁判ならもちろん遺族や被害者の感情や実際に受けた不利益等を争うわけで当然なのですが、刑事裁判で罪の大きさを判断するのに遺族感情を考慮に入れることって公平なのか疑問を感じるのです。みよりのない人って事件に巻き込まれて殺されても遺族がいません。遺族感情を量刑に組み入れるということは、悲しんでくれる遺族がいない人を殺すのは家族の多い人を殺すのより罪が軽くてよい、ということを宣言してるわけで、相当理不尽な気がして、私には理解不能です。

これって結構恐ろしくありませんか。自分が罪を犯すつもりがなくても、事件に巻き込まれる可能性はあります。交通事故とか、誰かに教われて正当防衛の権利を行使しなければならない場面とか。そういうときに、平等な判断がされるのか不安です。普通に考えれば明らかに加害者だろうと思える人がたまたま死んで、その遺族感情を裁判にで採用されて…なんてなったら悲劇です。

ちなみに、私は法律には素人なので、殺人を犯しても懲役一桁年とか、全く理解不能です(つまり、情緒的に物事を考えると遺族・被害者感情を量刑に取り入れて欲しいと思ってしまいます)。なので、遺族感情とか被害者感情云々を量刑に考慮するのではなく、最初から全ての凶悪犯罪に対する処罰を重罰化するということにはすごく納得します。重罰化するには、過去の判例から離れないとならなくて、そのための方便として遺族・被害者感情というのが法曹界で使われ始めているんですかね。

しかし、裁判員制度になると、アメリカの裁判みたいに、論理や理屈ではなく感情・情緒に訴えかける戦略になるんでしょうね。OJシンプソンの裁判みたいなことが起こらなければよいのですが。


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