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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

将棋観戦と物理観戦

私は将棋が好きでプロ棋士の対局をよく見ます。オタクと呼ばれていいくらい将棋や棋士のネタを詰め込んでいると思います。が、自分ではほとんど指す(オタクとしては絶対に間違って欲しくないのですが、将棋は指すもので、囲碁は打つものです)ことはありません。ほとんどというより、全く指しません。小学校高学年くらいまではよう将棋をしましたが、それ以来、数えるほどしか対局したことありません。スポーツ観戦を趣味とするのと似てるかもしれません。自分ではやらないけど、その道の一流の人のプレーを見るのが好きなわけです。

しかし、超一流の棋士の対局を頻繁に見るからといって、自分の棋力がプロ並みということは当然ないので、指し手をただ眺めているだけでは意味がわからないことが多々あります。それでも楽しめるのはなぜかというと、ある指し手についての背景や対局者同士にどのような読みがあるのか、あったのか、を解説する記事が世の中にあるからです。たぶん、大多数の将棋ファンというのは私のような楽しみ方をする人が多いのではないかと思います。私の棋力が高いと言ってるのではなく、本当に超一流の人の将棋を理解できる人というのは、ごくごく少数、プロの中でもほんのわずかの人ではないかと思うんですね。でなければ(=超一流の棋士の将棋を解説無しで理解できるなら)、その人は対局者並の棋力があることになってしまいます。

つまり、一流の人たちの対局が将棋ファンに受け入れられるのは、対局そのものだけでなく、その対局の解説があるからだと確信しています。プラス、単に指し手だけではなく、生身の人間同士の戦いですから、人間的なかけひきとか、気迫のぶつかりあいとか、そういうものがファンを惹き付けているのではないかと思っています。

何でこんなことを書いてるかというと、私が将棋好きで、将棋に関することを書きたくて堪らないから…ではなく(いや、それもちょっとはありますが)、全く同じことが物理、というか学問全体にも言えると常々思っているからです。非常に面白い実験結果が出たとして、その意味を理解できるのは、世界中でもごくわずかの専門家だけなんですね。誰かが一般の人にも、あるいは同じ物理学者でも専門家以外にはわかりませんから物理をやってる人なら誰にでも、わかるように解説しないと、その実験結果の偉大さ、興味深さ、といったものが認識されません。面白いコンテンツを持ってるのにそれを活用できない、という非常に勿体ないことが物理の世界ではあまりにも多く起こっている気がします。

もう1度将棋に話を戻すと、観戦記と呼ばれる解説の記事を書く人(観戦記者)が将棋の世界にはいます。多くの場合、プロを目指しながらプロになれなかった人たちが観戦記者となっているようです。先に書いたように、こういう観戦記者のおかげで私たちド素人でもトッププロの対局を楽しめているわけですね。物理の世界も、特に素粒子のようにビジュアルに訴えられない研究をしているジャンルでは、観戦記者のような人がいなければ、世間に物理の面白さを伝えることなんて到底不可能だと思うわけです。サイエンス・ライターという人たちが物理(科学)の観戦記者みたいなものですが、その数があまりにも少な過ぎます。いえ、もちろん、需要と供給のバランスが成り立っているのでしょうから、そういうニーズが少ないということがあるのでしょう。でも、鶏と卵のどっちが先かという議論にしてしまうより、とにかくサイエンスライターの数を増やしてみるしか、私たち科学の世界の未来はないように感じています。

それから、より身近なところで、中学、高校の理科の先生にも同様の働きをぜひして欲しいと願っています。人数は無茶苦茶多いわけですし、子供の興味というのはどうも学校の先生に影響を受けやすいみたいですから(「みたい」と書いたのは、私自身が全くそういう子供ではなかったので)、そういう人たちがサイエンスライター並みに科学を理解してくれれば、科学の将来も明るくなるのではないかと思います。

長くなりましたが最後に付け足すと、観戦記者の将棋の能力はプロ並みです。だとするとサイエンスライター、あるいはそういう役割を担っていただきたい中学高校の教師の科学力もプロ並みでないとキツいでしょう。物理の結果などを専門家と議論できないとならないわけですから。観戦記者の棋力が高いのは彼らが元々プロを目指していたからで、ある意味、観戦記者というのは運悪くプロになれなかった人たちの受け皿になっています。同じ議論を展開すると、中学高校の理科教師という職が、tenureになれなかった科学者、D論は取ったけど、あるいはポスドクを何年かやったけどアカデミックなポジションを運悪く見つけることができなかった人の受け皿になりませんかね。中学は流石に無理としても、高校の理科の教師になるには、物理なり、生物なり、その専門の分野では博士並みの知識がないとなれないようにできませんかね。すると今問題となっている(私自身は今ひとつ懐疑的ですが)ポスドク問題の解決策になりますし、今日長々と書いたサイエンスライターの働きも期待できて一石二鳥です。


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この記事のコメント

大学時代の同級生のなかで、まじめに物理をやっていなかった人たちが高校教師になっているのを見て、これでは物理嫌いな生徒が増えてしまうのではと思ったのを思い出しました。

自分も会社で製品教育をやっていて感じたのですが、教えるというのは情熱があってこそできるもので、何かを伝えたい、わかってもらいたい、共有してもらいたいという熱い思いがあってこその行為であると思います。そういう意味では、プロの騎士になりたくてもなれなかった人や、博士号をとるまで極めた人というのはまさにおっしゃる役割にうってつけだと思います。

問題は、そうした人々を受け入れられるだけのインセンティブがあるかだと思います。やはり経済面での報酬とか、社会的なステータスとか、そういう見返りが今よりも高くなる事が必要だと思います。個人的にはこうした教育者となる人々の経済的社会的地位向上には、マスコミや政治家がもっと声を高くして関心を集めてもいいのではと思います。
2009-07-26 Sun 21:55 | URL | Mochida [ 編集]
コメントありがとう。

> 問題は、そうした人々を受け入れられるだけのインセンティブがあるかだと思います。やはり経済面での報酬とか、社会的なステータスとか、そういう見返りが今よりも高くなる事が必要だと思います。個人的にはこうした教育者となる人々の経済的社会的地位向上には、マスコミや政治家がもっと声を高くして関心を集めてもいいのではと思います。

インセンティブは確かに重要だと思います。
教員や公務員というのは今やマスコミから攻撃される
ために存在してるようなもんだもんね。

ただ、現状のインセンティブに相当するだけの仕事を
していない教員がいるのも事実だと思うので(普通の
会社なら間違いなくクビと思われる人々が存在します)、
結構難しい問題かも。インセンティブが低いからやる気が
ないのだという、鶏と卵のどっちが先かという議論にも
なりそうなんだけど、クビになってもおかしくない人たちを
見てると、仕事をしなくなるのはインセンティブだけの
せいではなさそうなんだよね。

ここら辺のことに関してもそのうちブログ本文で
取り上げてみます。

2009-07-27 Mon 11:30 | URL | ExtraDimension [ 編集]
科学の面白さを伝えるのは、その現場にいる穴がだと思うのですが。それを高校の先生とかに押し付けるのもいかがなものかと思いますが。

まず、あなたが中学や高校の教師になる気がありますか?ないのであれば、このようなことは書くべきではありません。あなたも教育者なのですから、もうすこし、教育者らしく教育したらいいじゃないですか?

がっかりです。
2009-07-27 Mon 16:08 | URL | [ 編集]
教師が博士並みの知識をもっていることはいいことだと思います。大賛成です。

でも学校は学問の内容だけを教えるだけの場所ではなく、人を育てるところであると思います。
博士卒の人間は学問を知っているだけではなく、豊かな人間性をもち、生徒に教える力も高いと思いますか?

研究者になれなかった人の受け皿に教師という言葉が非常にひっかかりました。

教育者としてふさわしくない研究者は私の知っている限り大勢います。。。(正直ほとんどそうだと感じてしまいます。)
研究者としての資質と教師としての資質は、学問の知識、興味という点は共通でも、まったく違うものだと思います。
2009-07-28 Tue 13:39 | URL | エコ [ 編集]
> 博士卒の人間は学問を知っているだけではなく、豊かな人間性をもち、生徒に教える力も高いと思いますか?

人間性は学問に関する知識とは独立と思います。よって、博士卒の人とそうでない人との間に差があるとは思いません。

生徒に教えることに関しては、学問の知識が豊富であればあるほど有利であると思います。よって、一般論としては、博士卒の人のほうが教える力は高いと考えます。ただし、自分で何かを学ぼうとする生徒でない場合(私が学生だったときそうだったように、多くの学生はこのカテゴリーでしょう)は、教える人間のパーソナリティによって本人のやる気が決まります。学習効果は本人のやる気で決まることが多いので、結果として、博士卒であるかどうかと生徒の学習効果に相関はないと予想します。
2009-07-28 Tue 19:11 | URL | ExtraDimension [ 編集]
お返事ありがとうございます。
「人間性と知識は独立だと思います」というのはそうですよね。
私が言いたかったのは、教師には人間性というものも知識と同様もしくはそれ以上に大事だと思っているので、アカデミックになれなかったからと簡単にできる仕事ではないのではないかなということだけです。

最後に、すごく個人的な意見(ほとんど偏見)ですが、
上では人間性と知識は独立だと賛成しましたが、研究者の人間性は教育者に向いていない方向に若干偏っている気がしています。。。笑
ずっと自分の好きなことを続けてくると、周りが見えにくくなるという相関はないですかね?笑




2009-07-29 Wed 15:17 | URL | エコ [ 編集]

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