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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

宗教と科学とエセ科学

いきなりですが、統計を駆使した客観的、科学的なモノの見方を学校の授業で教えたほうがいいと、常々思っています。高校で確率・統計というような名前で数学の一環として統計を教えますが、そういう内容ではなく(って、どんな内容だったか今では覚えてませんが)、もっと日常生活をする上で役立つような"考え方"を教える授業があったほうがいいと思うんですよね。

端的な例だと、健康食品や、「◯◯すると~にいい」みたいなことをアピールするテレビ番組に非常に不快感を感じます。うそではない事実を提示するのですが、その結果が統計的には有意でないにもかかわらず、体に良いとか悪いとかいう印象を植え付けるんですね。よくある例は、Aさん、Bさんには1週間あることをしてもらい、Cさん、Dさんには別の何かをしてもらう。1週間後に血液検査で何かの値を比べると、Aさん、Bさんには変化がなかったけど、Cさんの値には変化があった。Dさんの結果も微妙に変わった、というような話です。

よって、番組的には、CさんとDさんのした何かは体に良いとか言うわけです。というような番組を見たときの私の反応は、
- もし全ての人にランダムに(50%の確率で)変化があるとして、1人だけに変化がおこる確率は4/(2の4乗)だから25%も確率あるよなぁ。
- そもそも変化がある、ない、という判断をするためには、血液検査を長い間定期的に行って今までの変動(人間ですから普通に生活していても血液検査の値って変わりますよね)を記録し、その変動からは確率的にありえないくらいずれていないと変化があったとは判断できないよな。
- 人間、というか生物を相手に研究してないから詳しいことはわからないけど、個体差があるはず。ある行為をしたときに感受性の高い人もいれば、反応が少ない人もいるんだから、4人じゃいくらなんでも無茶だろう。
- …あほらし、もう考えるのやめよう。
という感じです。

新聞やニュースでも同様の反応をすることがよくあります。去年に比べて今年の◯◯はX%増えたとか減ったとか報道されることがありますが、誤差がなかったら、本当に増えたのか減ったのか全く判断がつきません。去年に比べて5+/-4%増えたとかだったら、「全然増えてないじゃん。てか、減ってる可能性もあるよ。」という判断になりますし、5+/-0.1%増えたと言われれば、「あー、それは確かに増えたな」と思えます。

健康番組の例も、ニュース等の報道も、嘘は言ってないんですよ。事実をそのまま伝えているんだと思います(とりあえず、今はそう信じてることにします)。ですが、その事実からは客観的に何の結果も引き出せないはずなのに、あたかも何らかの結果が得られたかのような印象を植え付けてしまうわけです。別に数字に限らず、話した内容に関しても同じようなことありますよね。ある人がインタビューを受けて、放送に使われたのはその一部分で、本人の言ってることとは全く逆の印象を受けてしまう可能性って結構あると思うのです。

そもそも科学って、何かの結果を引き出すときに絶対ということはありません。ある実験をして、私たちの場合なら未発見の粒子を探索したとしましょう。で、既知の粒子だけでは説明できないような現象があったとします。ここでは客観的に言えることは「X%の確率で粒子Hを発見した」とか「粒子Hがいなかったとして、こういう現象を観測する確率はY%です」ということだけなのです。Xが大きければ(Yが小さければ)、人々は新粒子を見つけたらしいと感じますし、そうでなければ、発見とは言えないな、などと各自で判断するわけです。

ちなみに素粒子実験の世界ではローカルルールみたいなものがあって、Xが99.9999%(合ってるかな?5σのつもりです)くらいになると一般的に「発見」という表現を使います。ホントなら99%くらいで発見と言ってもいいはずなのですが、この確率を算出するには統計的なふらつきだけでなく、実験遂行上生じる誤差(系統誤差と呼びます)などを考慮する必要があります。この系統誤差の原因は明らかではないので、実験を行った人が考慮に入れていなかった効果が本当はあるかもしれません。もしそういう効果があると、新粒子発見の確率を計算するための土台が崩れてしまいます。往々にして、実験者が考慮に入れていなかった系統誤差というものがあるので、世間は99%くらいの確率ではその結果をなかなか信用しません。

話を戻すと、上記の健康番組とかニュース等の報道の場合は悪意があるわけではないので責められないのかもしれませんが(いや、逆にだから問題なのかもしれませんが)、そこに悪意が含まれるとエセ科学だったり、詐欺になります。霊感商法だったら、変化がおこった例だけを見せるわけですよね。

それから、上の説明からも分かってもらえるかと思いますが、科学には絶対の真理ってないんです。実験に限らず理論でも、現状それが正しいと考えられているだけであって、それが真理かどうかはわかりません。大昔は天動説が正しいと思われていたし、ちょっと昔はニュートン力学が全宇宙を支配してると思われていて、現在は量子力学や相対論が正しいと考えられているわけで、時代に応じて真理、というか真理だと考えられてることが変化します。これって科学の特徴かな、と。その逆が宗教。宗教の教えは普遍の真理として扱われますよね。数千年前から現在まで教えが(真理が)変わらないわけです。この違いが科学と宗教の大きな違いかな、なんて思ってしまいます。

つまり、科学的にモノを考えると100%ということはないわけで、「絶対」とか「必ず」という単語が出て来た瞬間、霊感商法あるいは詐欺の匂いがしてると思って欲しいのです。あ、宗教を否定するつもりはありませんよ。宗教と認識してある教えに帰依するのはそれはそれでアリかな、と思うので。ただ、宗教であることを自覚してるのなら構いませんが、そうではなく、健康番組やらニュース報道を鵜呑みにし、霊感商法にひっかかる、というのはいただけません。科学的(合理的)判断の仕方、考え方を一般の人にも学んで欲しい、あるいは学校で教えるべきではないか、というのが今日言いたいことでした。

…うーん、相変わらず長い。


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この記事のコメント

同様な報道が科学の世界でもなされなければいいのですが・・・
現実はそうではないような気がしてなりません。

これはいろんな事情の絡んだ難しい問題だと思います。
2009-06-07 Sun 05:28 | URL | [ 編集]
> 同様な報道が科学の世界でもなされなければいいのですが・・・
> 現実はそうではないような気がしてなりません。

意図したかどうかは別として、バイアスの無い報道はないと思います。
科学報道だってもちろんバイアスだらけです。

報道に限らず、全ての情報にはバイアスがあります。
ウェブ上の情報なんてその典型で、私のブログは私のフィルターを
通した情報ですから、私の考えによって思いきりバイアスをかけられています。

バイアスの無い情報は無いわけですから、表面上の情報に
踊らされず、自分の頭で論理的、合理的に考える習慣を多くの人に
身につけて欲しい、そういう授業が高校以下であるべきではないか、
というのが本文で私が言いたかったことです。
2009-06-07 Sun 18:27 | URL | ExtraDimension [ 編集]

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