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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

忖度?

Yという偉い人から,ある資料のダメ出しを受けてきました。有用なアドバイスばかりで,ありがたいことです。そのアドバイスを受けて修正をこれから始めますが,その前に一休みしていたところ,『「桃が5個あります。3個もらうと全部で何個になりますか」足し算ともひきざんともとれる算数の問題が難しい』というウェブ上の記事を見つけました。

私には5+3=8としか思えなかったので,どういう落とし穴があるのかと思ったら,どこかに5個ある桃から3個とると,もともとの桃は5-3=2個になるという解釈が可能とかなんとか。いやー,それはなくないですか。主語と述語がはっきりしてないから解釈に不定性が生じているのは間違いなくて,どこの桃が5個あるかは確かにわかりません。そこで,主語がないことから可能性としては,以下の組み合わせがあります。
a) 私が5個持っていて,私が3個をもらう。最終的に私は8個持っている。
b) 私が5個持っていて,私以外が3個をもらう。最終的に私は2個持っている。
c) 私以外の人が5個もっていて,私が3個もらう。最終的に私は3個持っている。
d) 私以外が5個もっていて,私以外が3個もらう。最終的に私は0個持っている。

大学入試では不定性が出ないように,通常ではあり得ない解釈をされないように,極めてくどく説明を書くことがあります。よく聞く批判は(私も批判するほうですが),ひねくれた解釈を消すためにあまりにくどく書くので,却って普通の受験生には作意が伝わりにくいというものです。今回のも私には同類の匂いを感じます。私の感覚だったら「もらう」が主語なしで使われていたら,主体は自分だと思ってしまいます。たとえば日常会話で「これもらった」と言ったら,主語は自分だと解釈すると思うのですが,それを自分以外の誰かだとして使う人っているのでしょうか?私これまで生きてきて,そういう使い方をされて混乱が生じたことありません。別の人がもらったときには必ず「これをAさんがもらった」と主語を明確にすると思うのです。よって,「もらう」の観点から,私はa)かc)だと判断しました。

というわけで,b)の可能性は一瞬たりとも考えなかったのですが,主語なし「もらう」の主体を自分以外と思う人いるのですかね。。。今回の話は子供だったから,それはそれでよくて,子供に主語なし「もらう」の主体は通常自分だと教えれば良いだけの話の気がします。

むしろ,私はa)とc)のほうが気になりました。確かに桃が5個あると言われただけだと,それは自分が所有してる5個なのか,別の誰かが所有している5個なのかはっきりしないかもしれません。でも,後ろの文章を先に読むと,3個もらったら全部で何個と問われているので,私以外が5個を所有してるとしたら,最初の文章は不要です。敢えて不要な文章を書くとしたら,相当意地悪です。という判断があって,5個の所有者は自分と判断して私はa)の8個と思いました。実際には,考えたわけじゃなくて,最初に8個とすぐに思って,それを説明するとこうなったという話です。

もっと意地悪に考えれば,「全部」はどこを指してるのかもわかりませんから,可能な解答パターンはもっとあります。しかし,敢えてそういう可能性を色々考えないで,自然にそういう読み方をする人がたくさんいるのですかね。5=3=8は忖度だというようなことも書かれていましたが,これくらいの忖度は許してもらいたいものです。
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