ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

日常生活で感じる世間の相関

実験をやっていて,何か理解できない現象を考える時や,測定器のデバッグをする際には,とある測定量や振る舞いと他の何かとの相関を考える場合がよくあります。別に私たちの実験に限らず,何かを研究する際にはそういう手法が広く使われているのではないかと思います。

自分自身,実験に限らず日常生活で目にすることと何かの相関を考えるのが好きで,本当にしょうもないことを歩きながら考えていたりします。あるいは,こういうパターンの行動をする人は,こういうグループの人たちに多い,というような博物学的分類(?)をして楽しんだりしています。たとえば,何人かの人に言ったことありますが,喫煙者と缶コーヒーを飲む人は同じ母集団ではないかと感じています。もちろん,一般的な傾向を議論しているのですから例外はいくらでもありますし,真面目な議論をしてるわけではなく,単に私の主観を言い放っているだけなので,山ほど反論はあると思いますが,私には喫煙者と缶コーヒーを飲む人が同じに見えてなりません。

たとえば,自動車の運転をしていて,追い越し車線をのろのろ走る人と,広くもない歩道の真ん中をのろのろ歩いて全体の流れを遮っている人も同じ人たちなんだと思いますが,それについては,当然そうだろうと思うわけであまり不思議ではないのですが,煙草と缶コーヒーとの関係についてはなぜ相関があるのか興味深いです。いや,さっきから繰り返しているように本当は相関ないのかもしれませんが,あると仮定しての話です。

煙草と缶コーヒー,味覚が同じ方向なんですかね。私自身煙草を吸ったことはあっても日常的に吸う習慣を持ったことはありませんし,缶コーヒーはできれば飲むのを避けたい飲食物なので,自分自身では判断できないのですが,似たような美味しさがあるのですかね。特に缶コーヒーと言ってるのは,無糖,牛乳なしのやつです。甘くて牛乳が入っているのはコーヒー牛乳という別の飲み物で,私が今缶コーヒーと言ってるのは,私には苦みと渋みしか感じない無糖の黒い液体のことです。

そうだ,ちなみに,私は飲食物の嗜好は宗教だと思っているので,人に対して何が美味いとかマズいとか言うのは本来避けるべきだと思っています。好きか嫌いかを言うのはいいですが,美味いとかマズいという主観を人に押し付けるのは,自分の性癖を他人に押し付けているのと相似としか思えません。特に,美味しいというのはポジティブだからまだいいけど,マズいことを強調するのはなんだかなぁ,と思っています。そんなわけで,無糖の缶コーヒーを自分自身が美味しいと感じたことはありませんが,それを好む人がいることは自分自身は理解できなくてもそれほど不思議だとは思っていません。

で,話を戻しますが,一見相関がある理由があるとは思えない所になんらかの相関らしきものを見つけると,その相関の原因を考えるだけで,私は電車内での時間つぶしが十分できてしまう幸せな人間です。何か他に,そういう面白い相関ってないですかね。

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