ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

記憶は手にあり

最近,記憶についての本を読んでいます。言ってる内容は,普段感じているあるいは考えていることと同じでそれほどの驚きはないのですが,記憶しているかどうかをどうやって実験検証しているかについては,なるほどと思うことが結構あります。あ,職業病も発症して,誤差の議論がないとかは思ってしまいます。。母数と結果が書いてあるので,自分で統計誤差は出せるのですが,そうすると,ここで言ってることって本当に統計的に有意なのか,加えて系統誤差も考えると...なんてことを思ってしまうのですが,そこはさておき,脳味噌の研究は多くの人の興味を惹くだけあって,私も面白いと感じます。

たとえば,意識的な記憶は時間とともにexponentialで失っていく(とは本文中には書いてありませんでしたが)とうのは,誰もが実感してることだし,普通に考えると一定の割合で記憶を失っていけばexponentialになりますから,直感的にもexponentialに記憶が減っていくと考えます。で,まあ,実際その通りらしいのですが,面白いのは,記憶を何種類かに分類して,その分類毎に記憶の薄れ方が違うことを系統的に調べているところです。意識的には覚えていないけど覚えていることってたくさんありますよね。昔住んでた家の近くの路地の構造とか,何十年間も思い出したことなかったのに,何かの話題でそれを思い出せる,そういう記憶ってたくさんあって,どうやってそんなことを覚えているんだろうと不思議に思うことがよくありますが,そういう記憶の薄れ方も実験的に調べていて,調べているという事実に感心しました。

あと,私たちもよく言いますが,手が何かを記憶してるのではないかと思うようなことも多々ありますよね。身近な例だと,コンピュータのキーボードのショートカットとか,人に尋ねられても私は答えに窮します。でも,自分のコンピュータだったら,勝手に手が動いてショートカットを不自由なく使いこなします。あるいは,銀行の口座番号やら莫大なパスワードその他,到底意識して記憶していない数字の配列などを,端末に向かって実際に入力しようとすると入力できてしまって驚くことがあります。これは私が感じる例ですけど,理論屋さんなんかだと,鉛筆を手にすると計算できてしまったりするんでしょうかね。あとは,漢字なんかも同じ部類ですかね。どういう字か思い出せなくても,ペンを持って書くと不思議と書けるってこともあります。つい最近,それでも書けなかったという恥ずかしいことはありましたが。。。

というように,記憶が手にある,と思えるようなことって多いですよね。一般的には,体が覚えているというやつです。また自分の例で申しわけないですが,子供の頃に野球をバカみたいにやっていたので,今でもキャッチボールをすると当時の投げ方になるらしく,予想外の部分の筋肉痛になります。全力で投げるわけではないので,単純に考えると使ってるのではないかと思うような部位,たとえば肩周辺なんかは筋肉痛にならないのですが,太ももの裏とか,表現難しいのですが尻の上のほうとか,変な場所がむちゃくちゃ筋肉痛になります。こういうところを使ってボールを投げていたのかと驚きます。

おっと,話が発散してきましたが,いわゆる体が覚えている記憶というものもそういう分類のもと色々と調べられていて,実験屋的な観点からなかなか楽しめる本です。でも,結果は思った通りなんですよね。一旦体が覚えたことは忘れない=exponentialではなくかなりフラット,なんていう結論は日常生活での実感通りです。

ちなみに,この本は心理学の枠組みなので記憶と行動の関係みたいなところに力点が置かれていますが,個人的には,そういう記憶を脳味噌がどうやって保持するのか,前にした原子核の人との話の類推だと結局QEDだろってことになってしまうのですが,いくら私でもそれをQEDで片付けようとは考えず,どういうモデルで脳味噌が記憶をしていくのか興味のあるところです。

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