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理科系の作文技術

研究室の週例ミーティングでは,各回一人が論文(文献)紹介を行っています。今日のミーティングでは私が「理科系の作文技術」という本の内容を解説しました。多くの場合,素粒子物理関連の論文紹介なのですが,たまには今回のような余興のこともあります。常日頃から学生にまとめて言いたい内容だったこと,そして修論・卒論のシーズンと重なったことからかねてからの計画を今日実行しました。

その本は木下是雄によるもので,ロングセラーでありベストセラーなので,このブログを見ていると思われる人の中でも読んだことのある人が多いのではないかと思います。私も,たぶん修論を書く前に,やはり学生のときにこの本を指導教官に薦められそれで読みました。自分が持っているものは1994年発行の35版ですので,もう20年も前のことになりますが,その内容については今回読み返さなくてもほとんど覚えていました。今はミーティングをやって学生に何かを聞いても,全く同じことを翌週のミーティングには尋ねている始末ですが,そんなダメダメな自分でも若いときの記憶力はまだマシだったんですね。単なる記憶力というよりも,その内容を日々実践しようと反復しているからよく覚えているというのが正しいのかもしれませんが。

能書きはさておき,理科系の職業の人といわず,人に書いた者を見せる必要のある職種の人には強く一読を勧めたい本です。報告書の類いは理科系と限らず,多くの職業の人が書くでしょうし,一般的な報告書を書く際にも非常に役立つはずです。Y教授とも今日話しましたが,報告書等を書くためのノウハウは一生モノでかつ応用範囲が広いので,読んでおいて損のないそんな一冊だと思います。

しかし,その本にも書いてあり,今日のミーティングでも議論になりましたが,人様に読んでもらう報告書,レポート,マニュアル,論文の類いを書く技術が不足しているという事実が「理科系の作文技術」が執筆された当時(1981年初版発行)から認識されていたにもかかわらず,学校教育には取り入れられずに30年以上が過ぎているというのは嘆かわしいことです。作文といえば,読書感想文を代表とする情操教育(?)ばかりで,人に何かを報告するための文書の書き方というのは,大学生で実験のレポートでも書かなければ,一生学ぶ機会がありません。

著者の木下氏も嘆いていますが,アメリカでは日本の作文とは違うEnglish compositionの授業がありますが,日本では本当に皆無です。というか,国語の授業で,たとえば遠足についての作文を書かされたとき,今私たちが書いている論文のような作文をしたら間違いなく学校の教師にダメ出しをされます。遠足の何が一番印象に残ったか,どのように感動したかを生き生きと描きなさい,なんていうことを言われてしまいます。何をしたか,どう考えるかを第3者にわかりやすく簡潔に,という観点でモノを書く機会がないというよりも,それを否定すらされてしまいます。そういう教育を受けているのですから,学生にいきなり論文を書けというのは無茶な話で,多くの学生にとって学部生時代に実験のレポートを書くことが唯一の訓練の場に違いありません。しかしそれも,実験の内容の理解がどうしても主眼になりますから,書き方そのものをキチッと学んでいるわけではありません。

私は,学生のよき理解者を装って学生に迎合することは嫌いなのですが,こと論文・レポート作成技術に関しては,それを教える機会のない教育側に大きな不備があると思っています。第3者に読んでもらう文書を書く上で一番肝心なのは,究極的には,誰に読んでもらうのか想像し,読む側の立場に立って文章を練ることだと思うのです。自分の考えていることを知らない第3者だとしたらこう考えるという配慮というか,想像というか,主観に基づかずに,一段引いたところから物事を俯瞰する態度が必要で,そういう態度を身につけるためにも情操教育ではない,相手に何かを伝えるための文章を書く訓練というのは役立つのではないかと思っています。

自分の感情を生き生きと描くだけでなく,第3者がどういう風に物事を捉えるのかを意識する訓練,第3者の反応を意識しながらモノを書く訓練を義務教育段階くらいではぜひやって欲しいものです。

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