ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

色々な考え方

今日は理学研究科内のちょっとした集まりでちょっとした発表をしてきました。その場にいる人のほとんどは理学研究科の教授たちで,私の発表に対して何かコメントがあったわけではありませんが,議論をリードするような立場の人の発言などから,なんとなく理学研究科内の研究に対する方針のようなものが感じ取れました。

よく言うと高い見識をもった方針で,悪く言うと競争原理を持ち込まない方針というのが,私の受け取った印象でした。

よく言ってると思いますが,基礎研究には多様性というのが重要だというのはその通りだと思います。何が先に花開くかわからないから,果実を得られそうな研究だけやるのはよくない,というつもりで言っています。競争的外部資金の批判はよくそこに向かいます。資金を獲得できるのは目に見える形で成果の得られる研究計画になるので,何年も経ってからでないとご利益がわかならいような研究計画では,後に凄い革新的な研究だったとわかるようなものでも,採択されない。それが問題だというわけです。なので,何年後かに本当に革新的だと認識されるような研究をするには,定常的な研究費用だ必要だという意見ですね。基礎研究には確かにそういう面があり,最近の市場原理では先行きが心配だというそういう考え方に私も基本的には賛成です。

ですが,その考え方を無茶に発展させて(?),たとえば外部的競争資金をたくさん獲得している研究室は研究費が潤沢にあるので,運営費交付金は競争的資金を獲得していない研究室に重点的に分配せよ,なんていう意見を持ってる人もどっかの大学にはいるそうなのです。研究仲間のTくんから聞いた話で,その話を初めて聞いたときは驚いたのですが,確かにそういう考え方を持っている研究者もいるみたいで,今日の集まりでもなんとなくそういう匂いを感じました。

考え方というのは色々あるもので,確かにそういう論理っていうのもあり得ます。それはそうだし,多様性が重要というのもその通りなのですが,私として公平感を非常に欠く感じがするのです。研究者,あるいは大学の教員全員が同じくらい頑張ってるという仮定なら,その論理は正しいと思うのですが,全員が同じくらい頑張ってるとは到底感じられないからです。上を見ても下を見てもキリがないくらい頑張り度に開きがある感じがします。でもって,その頑張り度と外部資金獲得量にはそれなりの相関があるように見えるのです。もちろん,分野の違い,立場の違い,所属機関の違い,等々,比べる対象が同じ環境ではないのでバラツキはあります。私が他の人の仕事っぷりを知る由もありません。ですから,完全に個人的な偏見に基づく予想なのですが,でもやっぱり相関があるような感じがするのですね。だからこそ,公平感を欠くと感じているわけで,私なんかの場合はむしろ,運営費交付金すら競争的資金の獲得量に比例して配分すればいいのではないかと思っています。

私は非常に見識が低く,科学者の中では弱肉強食,市場原理主義をかなり強く嗜好(指向?)しているということは認識しています。極端だということは承知しています。でも,周りの人はどういう考え方をしているんだろう,ってことは気になります。気になるという表現は的確ではないかもしれませんが,実際のところ,私がどの程度異端なのかというのは興味深いところです。

にしても,世の中には色々な考え方があり,真逆の結論を引き出せてしまうというのは恐ろしくもあり,面白いところでもあります。今回の場合は,教員全員が公平に頑張っているとう仮定を選ぶか,そうではないという立場に立つかで,逆の結論になっています。さらに自分の意見を主張するとしたら,勝手な偏見に基づく判断を偏見ではなく事実だと証明することになりますが,それはそれで大変なことになりますよね,きっと。お互いが自分の仮定を正しいと結論づけるようなデータばかり見つけてくるのでしょうから。

でもなぁ,競争的資金の配分方法が問題というのはその通りだとして,かつ,競争的資金の獲得量に応じて運営費交付金を配分するというのが暴論だというのもその通りだとしても,未来ではなく現状として成果を出したところに優先的に人や金を配分するというのは,間違ってないと思うんですよねぇ。

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