ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

オリンピック関連

ロンドンオリンピックを見て色々思ったことを,今頃になって書きます。

私は基本的に自分の興味のある競技しか見ません。といっても,子供の頃からスポーツ観戦ファン(?)だったので,色々な競技にあり,結構幅広い競技を見ます。しかし世の中には普段スポーツをあまり見なくて,それこそルールすら把握していないスポーツが多々ある人もそれなりに多いのではないかと思います。でもそういう人の中にもオリンピックになると俄ファンになって熱狂的に応援する人がこれまた多かったりするのではないかと思います。なぜそういうことが可能なのか私にとっては謎です。

ルール,いやもっと言うと,その競技の見方をわからない競技を見て楽しめる人というのはどこを見て楽しめるんでしょうか。生で見る場合は,ルールや見方がわからなくても,単に見ただけで圧倒されるということも多々あります。子供の頃,テレビで見てたらたいして凄くないと思っていたのに,生で見たら,とてつもなく速い球を投げ,とてつもなく切れのいい変化球を投げているプロ野球選手を見て驚きました。陸上競技を始めて見たときも,あまりの速さに空いた口が塞がりませんでした。中距離走でさえ常人の全力疾走を遥かに超える速さで走り続けるのを見て,とても同じ人間とは思えませんでした。でもこの凄さって生で見ないと全然伝わりません。なのでテレビ観戦するとなると,それなりに競技のポイントをわかっていないと私の場合全く楽しめません。金を賭けないと家畜が走るのを見ても面白くないのと同様でしょうか。

それなのに,世の中には競技のルールすら知らないのに熱狂できる人がいます。これって何なんでしょうか。頑張ってる姿に感動する,国粋主義者で日の丸を背負ってる人を見ると応援したくなる,スポーツだからということではなく単なるお祭り好き。色々な可能性を自分なりに考えてはみるのですが,もちろん答えがわかるわけでもなく日々悩んでいます。って,そんなことでは悩みませんが,一体どういう感覚で熱狂できるんでしょうね。

それともう一つ,審判の判定について感じることがありました。人間の判定なので不公平だったり,間違えたりすることがあるのは当然なのですが,それをどう考えて受け入れればいいのか考えました。一つには,最初っから公平なことなんてありえない,間違えることも多々ある,そういう事実を受け入れて審判の判定には文句を言わない,という姿勢もあるかと思います。もう一つはなるべく公平に間違いがないようにやるべきだという姿勢です。でも,どっちつかずの姿勢のシステムが多いですよね。判定に文句を言えて,よくわからないうちに判定が覆ったり,3人の判定で2対1なんていうのを見ると「うおっ,統計誤差が...」と例によって職業病を発病したり,あまりの灰色システムにうんざりすることが多々ありました。これだったら最初から間違える可能性のある判定をそのまま受け入れるべし,としたほうが潔いよなと思うことが多かったです。

公平さを装って全く公平になってない,つまり,審判が無作為抽出されてるとか,統計誤差を加味するとか,そういうことまでやらなければ全然公平にはならないわけですね。あるいは,判定が難しい場合は必ず多人数でのビデオ確認を最初から行うシステムにするとか,やり方は幾らでもあると思いますが,今のシステムよりは遥かに公平性の高いシステムを作ることは可能です。そういうことはしないのだったら,審判は生身の人間だ,判定が不公平なのも間違いがあるのも受け入れる,という姿勢の方がむしろ潔いと思ってしまったのでした。

それに関連してですが,レスリングのルールというか,判定の仕方は興味深いです。判定にクレームをつけると審判団だけでなく大きな画面で会場全体に判定画像を見せるのです。それで判定が公平になるかどうかはまた別の問題ですが,透明性を上げるという意味では画期的です。さらに,延長戦をやってもケリがつかないときはくじ引きでどちらが有利な体勢になるかを決めて,その有利不利のある体勢に組ませて再延長戦を行います。その体勢の差は大きいので,瞬時に技がかかり勝負が決まります。返し技が決まることもありますが,まあ,有利な体勢の方が相当有利です。つまり,勝負の行方はほぼくじ引きで決まるのです。下手な不公平な判定で勝敗を決めるよりもクジに勝敗を委ねるという潔さを私は高く評価しています。

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