ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

いじめ関連のニュースを見て

オリンピックがあったおかげで最近あまり目にしなくなりましたが,一時期は毎日のようにいじめ関連のニュースが新聞やテレビで取り上げられていました。いじめられて自殺という間違いなく痛ましい内容なので,内容自身については触れませんが,そういうニュースを見るといつも感じることがあります。

その1。
ニュースで取り上げられてるいじめ事件の幾つかは,いじめというよりおもいっきり傷害事件です。昔からいつも不思議に思っていたのですが,日本の学校というのは暴力を振るうチンピラ学生にとって天国ですよね。教師は生徒の指一本触れることができず,生徒は教師を殴り放題。今回も教師は重症だったけど警察に被害届出さず済ましてるというニュースがありましたし,こういうのって氷山の一角に違いありません。生徒同士の普通の(?)ケンカなら傷害事件にしたくないのはわかりますが,暴力を振るうのが目的の生徒が一方的に教師や生徒を攻撃し続けるのを放置しなければならないロジックって何なんでしょうか。私が中学生だったとき私たちの中学校はそれなりに荒れていて,教師が殴られて骨折したり,父兄が毎日シフトを組んで学校を見回らなければならない,そういう中学校でした。その頃から,警察という国家権力に頼らないのか不思議でした。そういう現場を知らない坊ちゃん嬢ちゃんの教育学者の強い影響でもあるんでしょうか。それとも,かわいい生徒だから庇うということなのでしょうか。でも,それによって周りの多くの生徒が傷つくのを守らないというのも不思議な話です。現場の教師が一番苦労してるんだと思いますが,なぜチンピラ学生への対応を父兄にやらせて警察にやらせないのか,自分の中学生生活を振り返るとやはり謎です。

その2。
いじめられてた被害者の同級生とかのインタビューを聞くといつも怖くなります。みな一様に同じことを言うからです。「助けてあげられなくて悔しい」というような内容です。いや,助けてあげたくてもいじめてる側の暴力が怖くて本当に助けてあげられなかったのかもしれません。でも私が恐ろしいと感じるのは,どの子供もそういう場面ではこういう風に受け答えすべし,ということが刷り込まれていることです。自分で考えてそれを自分の言葉で表現するのではなく,TPOに応じて脊髄反射で場面に応じて優等生発言するという能力を小さいうちから徹底的にし込まれていることです。よく言うと処世術。悪く言うとなんでしょう,ことなかれ主義とでも言いますか,そういう点だけ徹底的に教育されてるように感じてしまいます。シチュエーションはちょっと違いますが,死んだ人のことを悪く言わないとか,社会的弱者に対してはモノを言ってはならないとか,論理を超越した暗黙のルールみたいなものが社会を強く支配していて,そこに恐ろしさを感じます。その暗黙のルールを守れないとその人もまた虐められるという構図ですよね。小学生あるいは中学生くらいの国語の授業ってまさにそうで,自分で考えろというのではなく,こういうときは感動したと言いなさい,こういう場面では可哀相だと言いなさい,ということばかり学校で教えられた気がします。文脈を理解しなさいというのはいいですが,作文で人を感動させることを書きなさいとか,人を泣かせるいい話をしなさいとか言って洗脳する必要はあるんですかね。

いやー,全くの駄文,独り言でした。

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