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ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

発見を目指すドキドキ感

大阪市立科学館の会員向け冊子が今日届きました。月刊なのですが、私のつまならい記事を掲載していただいているため、毎月送ってきてくださります。すると、私的には、次回の(実際には翌々月の冊子)原稿を考えなくちゃ、となります。

基本的にはこのブログで書いているような日常生活を、と依頼されているのですが、まさか、お腹が空いていたので待ちきれず、線路に降りて自殺希望者を駅まで引っ張って行ったとか、本当に日々の生活を描くわけには行きませんから、日常と言いつつ、科学者っぽいことを書かなければなりません。ヒッグスやSUSYを探して日々どんなことをしてるのか、そういう事を期待されているわけですが、私自身にとっては研究活動が日常過ぎて、どの辺を切り出せばいいのか選ぶのがなかなか難しいわけです。また、ヒッグスやらSUSYやらブラックホールやらを探して、本来私たちはドキドキしながら解析結果を眺めても不思議ではないはずなのですが、そういうドキドキする感覚というのはそれほどありません。なので、血湧き肉踊るような生き生きとした表現で、研究を描くのが難しいという面があります。あ、いや、私の文章力の無さはここでは置いておきます。

では、なぜ、興味があって探している粒子や現象に対してドキドキする感覚がないかを考えてみると、もちろん、あまりにも日常だからというのはありますが、それだけではありません。思うに、実験結果が一目で判断つかないからではないかと。たとえば、試験管で薬品を混ぜて色が変わった、というような目に見える劇的な変化を私たちは目撃することがありません。

低学年の学生実験の授業をやってよく聞く話は、素粒子・原子核系の実験は、結局のところ検出器の計数を数えているだけで、何をやっているのかわからない、という意見です。専門家の私たちは、何をやっているかはわかっていますが、やはり目に訴えかけてくるものはあまりありません。結果は普通ヒストグラムなどの図で視覚化されますが、期待される結果というのは、標準模型で予言される既知の結果と、視覚的にはそれほど変わらないんですね。

新現象があったとしても、データをたくさん溜めて、統計的な議論をして、そしてようやく新現象の兆候…というような流れになります。もちろん、そうではないことがあるのかもしれませんが、多くの人が探している物理現象は、少なくとも視覚的にはそれほど劇的ではありません。なので、新しい図を見る機会があっても、「どうなってるんだろう?」という期待感がそれほどないんですね。アサガオの種を蒔いて、翌朝、「芽が出てるかな?」とドキドキしながら確認する、というような感覚がないのは、実験の楽しみの1つを損してるかもしれません。種まきしたら、芽が出るまで毎日楽しめますもん。

といようなことを考えていたのですが、解析していて、唯一、非常にドキドキすることがあります。Blind Analysisの箱を空けるときです。Blind Analysis というのは、探している新現象があったとしたら既知の現象と違いが見える部分(=信号領域と呼びます)のデータを、敢えて使わずに解析を進め、誤差の評価や、既知の現象の量の推測が万全だとわかった時点で、隠していた領域を確認するという解析手法です。真面目にこれをやると、それなりの時間をかけて解析を詰めるので、信号領域のデータを見る時はかなりドキドキします。ただ、この方法では、ドキドキできるチャンスが数ヶ月に1回くらいのオーダーでしかないので、やはり、ドキドキするチャンスはそうそう得られません。

解析だけならいいけど、実験計画の開始から数えたら、Blind Analysisの結果を見るために10年以上かかったりしても不思議ではありません。ときめき感覚(?)を得る機会が少ないというのは、高エネルギーの弱点なのかもしれません。なんとか研究の中に、そういうイベントを盛り込めるようにしないとまずいですね。

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