ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

歩き方と車の運転

通勤時に歩いていて感じるのですが、歩き方と車の運転には共通点がないですかね。

たとえば、歩道を歩いている時に、突然幅寄せ(?)する人いませんか。歩道がタイル状になっていたり、点字ブロックがあるとよくわかるのですが、まっすぐ歩いているように見えても、左右に1m以上移動してる人が、それも酔っぱらっているわけではなく、自らの意志で移動している人が結構います。別に移動すること自体は構いませんが、横、あるいは斜め後ろに私がいるのに、その存在をまるで無視して私の目前に移動して来る人がいるんですね。まあ、たいしたことではないのですが、私がよけなければその人の足を踏んでしまうわけです。

もう一つ別の例。モノレールの駅のホームへ向かう階段というのは狭くて、人が2人並んで歩くのがやっとです。なので、多くの人はどちらかの端を歩きます。そこに歩行速度の遅い人がいると、道路の片道2車線状態、片方が走行車線、片方が追い抜き車線のようになります。当然、走行車線から追い抜き車線に移動する人もいます。このとき、後ろを確認する人と、全く確認しない人と両方います。後ろを確認しない人と、前の段落で説明した人は同じ人種だと思うのですが、車の運転とも相関があるのかな、なんていう妄想を膨らませてしまいます。

というか、妄想じゃなくて、そうなんじゃないかと別の理由で考えているのですが、定量的なデータがあるわけではないので、やっぱり妄想かな。

日常 | コメント:0 | トラックバック:0 |

締め切り直前

修論の締め切り直前ということで、連日大学に来て、原稿を渡されるのを待っています。

学生さんは締め切りが迫りプレッシャーを感じていますが、車の玉突き事故と一緒で後で作業をしなければならない人はより時間がありません。そうです、実は、学生が原稿を準備するのが遅れれば遅れるほど、原稿をチェックする教員にとっては時間の猶予がなくなります。私たちの研究室の場合、ATLASをやっている学生の修論は基本的に私がチェックを入れ、私のOKが出ると初めてY教授が最後のコメントを入れるという体制になっています。ですから、玉突きの最後はY教授。しかも、Kaonの実験をやっている学生の修論のチェックを入れるのもY教授なので、締め切り日直前に一番ヘビーロードになるのがY教授です。学生に体調を崩さないようにと注意をしていますが、よく考えると(考えなくてもか)、体調を崩すと一番ダメージが大きいのがY教授。そして次が私、ということになります。どこの大学でもそうだと思いますが、誰か一人が倒れると身動きが取れなくなる体制の典型ですね…。

それはさておき、この季節になると、4月から新しくメンバーとして加わってくる学生にどういう研究をやってもらうか、毎年悩みます。この前、KEKのTくんと酒を飲んだときに似たような話題になりましたが、私としては方針だけ決めて、その方針に沿ってどうやって進んでいくかは学生自身に考えて欲しいと思っています。なので、私が考えるべきことはその方針なのですが、それが結構大変です。

物凄く大雑把に言うと、博士課程まで行く予定の学生には、実験屋として一通りの基礎知識と物事の進め方を学んで欲しいので、修士過程ではハードウェアでもソフトウェアでもいいですが検出器関連の仕事。博士課程前半では実験現場で実験の進め方を勉強。そして最後に物理解析。とまあ、誰でも想い描く方針があります。博士課程に入ってからは方向がある程度定まっていますし、そもそも博士課程の学生なら、その先の方針もある程度自分自身で考えられますから、私自身がそれほど考え込むということはありません。

が、修士課程で卒業していく学生も同じなのですが、修士課程で何を研究してもらうかということに関しては相当考えます。ATLASのような巨大プロジェクトでなければ、実験計画・検出器開発・建設・実験・解析というサイクルが短く、計画から建設あるいは実験までのどこかで検出器を触る機会を作れるのかもしれませんが、ATLASのようなサイクルの長いプロジェクトだとそういうわけにはいきません。なので、修士学生にどんな検出器プロジェクトをやってもらうか、ということに関しては、ATLASに参加している大学の教員はみな結構悩んでいると思います。

そんななかで私が気をつけているのは、学生をロボットにしないことです。同じ検出器開発でも、その検出器が世界最高の性能を誇り、立派な論文になるような研究開発であることに越したことはありませんが、だからといって、その開発のための手足に学生をしたくありません。そういう検出器だと、実際に設計したり、開発にアイデアを出すのには長い経験と深い知識が必要になってきます。そういう部分にノータッチで、単に測定、単にデータ解析だけを学生にさせる、ということはしたくないと思っています。

となると、尚更、自由度が減るんですね。学生自身が何かアイデアを盛り込めるようなプロジェクトで、かつ、高エネルギー関連のプロジェクトに使う、使えそうな検出器開発を行わないとなりません。ということで、色々考えないとならないのですが、まあ逆に、何をするか考えるのが楽しいという言い方もできます。時間さえあれば。

大学 | コメント:0 | トラックバック:0 |

セミオフィシャルな運転計画

朝から晩まで修論原稿の添削をしています。その合間にミーティングに出たりしているのですが、今日はミーティングの最中に小さなニュースが届きました。

今週シャモニーでLHCの運転計画に関するミーティングが開かれていましたが、そのセミオフィシャルな結果が発表されました。正式決定は来週になるとのことですが、2012年までは(多くの予想通り)走り続ける。エネルギーは今年は7TeV、様子を見て来年8TeVに上げる。ということになりそうです。ちなみにピークルミノシティは10^{33}に到達させるのが目標(?)のようです。もし10^{33}にまで到達できれば、2012年までに、無茶苦茶軽いヒッグスでなければ見つけられそうな気もしてきます。ヒッグス探索というのが現実味を帯びてきた、という感じです。私はもともとヒッグスに一番興味を持っているので、なんかワクワクしてきます。

ちなみに、その後、2013年と2014年はシャットダウンになるらしいです。来週の正式決定後にまたお伝えしますが、D論を書く学生さんや、データ解析で勝負しようとしているポスドクの人たちは、運転シナリオによって解析テーマ、あるいは使うデータ量を考えないとならないので大変です。物理だけでなく、色んなことを考えないとなりませんね。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

無事これ名馬

昨日のエントリーを書いていて思ったのですが、いえ、常々感じているといったほうが正確ですが、どういう世界でも無事これ名馬という格言(?)は成り立っている気がしませんか。その言葉をどういう風に捉えるかにもよりますが、無難にそつなく物事をこなすのがよい、とは私は解釈していません。真に凄い人というのは、ケガや病気がなく、長い期間コンスタントに力を発揮し、勝負所で体調を崩したりしないものだ、というように捉えています。

スポーツの世界ではケガがつきものですから、よくこの表現は使われますよね。最近だとイチローと松井の対比に使われているのを見たことがあります。当たり前といえば当たり前なのですが、実績を残す人というのは長い期間選手生活を送らなければならないので、無事というのは実績を残すための必要条件でしょう。私の場合それを拡大解釈(?)して、凄い選手というのは大事なときに体調を崩さない、調子を上げてくるなぁ、と思うわけです。その精神力だか、集中力だか、運だか知りませんが、とにかくここ一番のときに実力を発揮できる=風邪なんかひかない、というところが凄いなぁと思ってしまうのです。

私たちの世界に置き換えても、実績を残す人というのはコンスタントに成果を出し、何かの締め切り間際というラストスパート時に体調を崩したりしない気がします。というか、今日の昼飯どきに学生とも話しましたが、そういう大事なときってアドレナリンが出まくって(?)ハイになっていて、仮に少しくらい風邪ひいていても感じないで働き続けられる人が多いのかもしれませんが、まあとにかく、勝負所でこけてしまうと、それまでの努力が水泡に帰すなんていうことになりかねません。だからこそ、無事これ名馬というのは結果論かもしれないけど、どういう世界でも生きていく上で重要だなぁ、と思ったりするわけです。

特に、昨日書いたように、修論提出を間際に控えているこの時期だからこそ、無事これ名馬を強く感じています。

日常 | コメント:0 | トラックバック:0 |

修論を待つ教員たち

修論提出を来週初めに控え、修士過程2年生たちはいよいよラストスパートです。応援しかできませんし、本人たちは大変なのですが、卒業研究のためにアクティビティが高くなっている4年生も含め、研究室に活気があるのは教員としていい気分です。私だけでなくY教授も同じような心情らしく、私が修論原稿に対するコメントをOくんに説明しているのを横目で見ているY教授は、非常にウキウキしています。Oくんと私のことを楽しそうだとコメントしてましたし。

学生が頑張ってる姿を見るというのは、まあ、教員なら誰でも嬉しいものなんでしょうね。というか、人が一生懸命何かに打ち込んでる姿を見たら、応援したくなったり、良い心持ちになるのが、人として普通なんでしょうね。そういうわけで、この時期、多くの教員が修論原稿を見せてもらうのを心待ちしています。締め切りが近くて焦っているとかそういう意味ではなく、頑張ってる学生の手伝いをしたいという気持ちで、です。たぶん。あ、いや、Y教授みたいに人並み外れて懐の深い人以外は、少しは焦っているかもしれませんが。ははは。

とまあそういうわけで、なにがそういうわけかわかりませんが、修論を書いてる学生のみなさん、頑張ってください。いや、修論提出を控えてる学生さんは、こんなブログを読んでいる場合ではありません。体を壊さないように(=これは重要です。真に忙しいとき、大切なときは倒れないように自分で配慮しなければなりません。万歳突撃してはいけません。)気をつけつつ、集中して修論に取り組んでください。

大学 | コメント:0 | トラックバック:0 |

レポートの採点シーズン

年度末ですので、大学は試験、あるいはレポート採点のシーズンです。

私自身は担当している物理学実験のレポートの採点をほぼ済ませていて、また先週は、主に文系の学生を相手に一般向け的な素粒子物理学の講義をしたときのレポートの採点をしました。授業中、あまりに態度の悪い学生が多くて頭を抱えましたが、レポートでも同様のことは起こりました。そうです、誰かの丸写し、しかもワープロで書いてくるのでコピペです、のレポートが続出。感覚的には、常識はずれに態度の悪かった学生数と同じくらいの人数がコピペ。きっと強い相関があるのでしょう。

一方で、何を書いていいのかわからなかったので、ウェブやら文献を調べてそれを写して来ました、と自己申告してくる学生もいます。わからなければ何かで調べるのは当然ですから、引用元を明示してあれば、そういうのもありでしょう。逆に、引用元を示さずに何かの記事をコピペしたら、それこそ論文の盗用だったり、コピーライトの侵害です。いずれにせよ泥棒です。コピペしてくる学生はそういうこと理解してるんでしょうかね。

で、レポートの採点をしたときはわからなかったのですが、どこから学生がコピペしてきたのか何件かわかりました。ウェブだったり本だったりするのですが、その中の一つが昨日、いえ一昨日ですか、ブログの中で取り上げたM山さんの本でした。その本を読んでいて、どこかで見覚えのあるフレーズだなぁ、という箇所があり、よくよく考えるとそれが学生のレポートによくあった文章なんですね。笑ってはいけないのですが、おもわず笑うと同時に、M山さんの本は売れてるだけあって学生のレポートのコピペの対象になるのかぁ、と変に感心してしまいました。

そんなわけでコピペもあったのですが、逆に、文系の学生ならでは(?)の興味深いレポートも幾つかありました。なかでも一番印象に残っているのは、科学の還元主義について書いてあったレポートです。私は非常に単純なのであまり考えたこともありませんでしたが、下層で成り立っていることが必ずしも上層で成り立つとは限らないことに気をつけろ、的なアドバイス(?)をされてしまいました。そのレポートを書いた学生もどこかの記述を拾ってきたのかもしれませんが、とにかく、そういう方向に考えが及ぶ、そういう観点から物理を考えていた、という事実が新鮮でした。

大学 | コメント:0 | トラックバック:0 |

理論の研究会にて

今月初めにK大学であった理論の研究会での講演に続き、今日は私たちの大学であった理論の研究会でLHCの話をしてきました。まだ探索初期の段階で、ATLASグループで公認された結果があまり多く出されていませんから、話せる内容は非常に制限されています。その中で、どうやって聴衆を飽きさせないか、まして、理論屋さん相手に実験の話をするのですから、どうやって自分のテリトリーで面白い話を作るかにかなり腐心しました。でも、参加者には優しい人が多く(?)、私の馬鹿な話にもついてきてくれたので、心地よくトークをすることができました。ありがたいことです。

研究会は、私たちの大学の理論屋のH教授がここ何年か(?)開催しているもので、H教授といえば余剰次元とH谷メカニズム。というわけで、余剰次元の研究会でした。実験屋の私にとってはこの世の話とは思えない講演もありますが、私が聞いてもそれなりにわかりそうな現象論の話、特に、H谷メカニズムで出てくるゲージヒッグスのコライダーでの信号に関する講演は面白かったです。

一言で言っちゃうと、というか、あまりよくわかっていないので、一言でしか説明できないのですが、現象論的に重要なのはHパリティというのがあって、ヒッグスが標準模型に登場する粒子対に崩壊できないという点です。逆に生成されるときは必ず対生成になります。SUSYのRパリティみたいなもんですね。Hパリティの証明についても説明されていましたが、講演内での説明だけでは私には到底理解不能。まあ、SUSYのRパリティも保存する必然性を私は完全に理解していませんから(必然ではないのでしょうね、破れているモデルもありますから。自然なのかもしれませんが。)、そこを気にするつもりはありません。

というわけで、結局、ヒッグスの信号は消失エネルギーだけということになります。なにしろ、実験的な特徴はそれほど多きくはない消失エネルギーですから、探索はかなり大変そうです。講演の中でも、信号の生成断面積と、バックグラウンドとなる標準模型事象の断面積だけから感度をラフに評価していましたが、LHCはおろか、ILCでもかなり難しそうです。ヒッグスを発見できないというときには生き残るモデルですが、ポジティブに発見するというのはなかなか大変そうです。

ゲージヒッグスを直接探索するのが難しいとなると、次に探せる物はKKタワーしかありません。となると、結局、実験屋的にはH谷メカニズムを仮定しない場合のRS模型探索などと、やることは同じになってしまいます。既存の模型とは違う特徴を持った信号を予言する模型だと探索してみようという気分になりやすいのですが、そういう信号がなさそうなのは残念でした。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

M山さんの本

在庫がなかったので発注していたM山さんの「宇宙は何でできているのか」をようやく買って、数日前から読み始めました。彼の講演同様、わかりやすい、わかった気にさせてくれる数々の喩え話を多く使い、わかった気にさせてくれる、非常に面白い本です。一般の人相手にはこういう風に説明すればよいのか、専門家相手だったとしてもこういう数値の見せ方だと印象に残るなぁ、など、内容そのものよりも(もちろん内容が悪いと言ってるわけではありません。一般向けの本なので、自分にとって未知の内容がないという意味です)、説明する、プレゼンテーションするという観点から非常に勉強になっています。

せっかくなので(?)、昨日の委員会に来ていたら本にサインをしてもらおうと思っていたのですが、残念ながら、彼が昨日は欠席。サインはまたの機会に頼んでみます。でも、次の委員会のときにはその本読み終わっていそう…。

ところで、本を買って読み始めた後に面白くないと感じたときって、我慢して読み進めても大抵、いえほぼ100%の確率でつまらなくないですか。そう私は思っているのですが、なにせ貧乏性。せっかく買ったのだからと、最後まで読んでしまいます。段々流し読みにはなるのですが、ほぼ最後まで読み通してしまいます。楽しむために本を読んでいるので、つまらないと感じる本を読むのは時間の無駄なのですが、途中でなかなかやめられません。日本のプロジェクトのようです。途中で時代遅れ、あるいは他の方法がよいとわかっても、一旦動き続けるとなかなか中止にならないのと似ています。

しかし、本は読んでみないことには面白かどうかわかりません。だからこそ、世間には書評という物が多く出まわっているのでしょうが、人に教えられることが基本的に嫌いな私は、書評をほとんど参考にしません。なので、前にも書いた通り、M山さんの本が売れてるということを全く知りませんでした。

そんな私が書評っぽいことを書くのもなんですが、プロ野球史上最強のベストナインを選ぶという内容の本は、野球好き、かつデータ好きの私には面白い本でした。特に、普段は見ない様々なデータから選手を評価しようとする手法は面白かったですし、それによって意外な選手に脚光が浴びるというのも面白かったです。ただし、私が唯一納得できなかったのが80年代のピッチャーの選出。他の選手を選ぶ時は、各選手のもっとも成績のよかった連続した5年の成績を主に使って比較していたのに、このときだけはそれを使わないのです。それをやると結果が変わってしまうからなのかどうかわかりませんが、江川が選ばれてしまうのを意図的に避けているように読めるのです。筆者自身が江川は嫌いだと述べているのですが、それが江川を選ばなかった理由ならそう書いてくれた方が読者としてはすっきりしました。

上記以外の本で面白かったのは、経済学者が書いた本で、日本人が競争嫌い、公平感はどこから来るのかを論じた本。非モテについて色々なデータから検証し、今の時代は、モテる人とモテない人の2極化が発生しているという内容の本。これらの本の特徴は、いずれもグラフや表などを使ってデータが色々提供されている点です。どうやら、私が面白いと感じる本は、自分の知らないデータが様々な角度から提供され、自分が納得するような結果が導き出されている本のようなんですね。つまり、対象が物理でなかったとしても、データ解析をして、そこから何か面白い結論を導き出すという行為が私自身は好きらしいという自分なりの結論に達し、変に納得してしまうのでした。

日常 | コメント:0 | トラックバック:0 |

委員会2連発

今、羽田で、これから大阪へ帰るところです。というのも、今日は、午前、午後と2つの委員会があり、昨日の晩から東京に来ていました。午前中は将来計画検討小委員会、午後は高エネルギー委員会でした。1回の出張で2つまとめてこなせるのは時間と予算の節約になっていいのですが、2連発というのは流石にしんどいです。昨日の晩ほとんど寝なかったせいもあり、途中で何度も記憶が薄れかけました。

今回の高エネルギー委員会は、核物理委員会との合同。いつもにも増して、いえ、いつも通りかな、大人な内容でした。お役人だかに見せるロードマップというのを学術会議指導のもと、物理の各分野で作成中で、今回は素粒子物理分野のものと、核物理分野のものを見せ合って意見交換。その後は、核物理委員会から提案があった内容についての意見交換。詳細はここで公にするのは微妙なので差し控えますが、それが大人な内容でした。

それから、高エネルギー委員会のメンバーは中堅から若手が多いのですが(現メンバーは特にそう)、核物理のほうは大御所的な人が多いなぁ、という印象を受けました。声の大きい人ぞろいでした。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

テレビ会議の連続

物理解析が佳境に入っているせいで、CERNとのテレビ会議の数が先週から非常に増えています。現地にいる学生や、一緒に解析をやっている日本人、あるいは自分が編集しているノートのグループミーティングの場合は、自分にとって都合の悪い時間を避けられるので、日本時間の夕方、CERNの午前中にミーティングをやります。しかし、そうではない、サブグループ全体のミーティングなどは、必ずしも日本にいる人にとって便利な時間ではなく、というよりむしろ、アメリカ人の勢力のほうが私たちの時間帯にいる人間よりも強いため、CERNとアメリカにとって都合の良い時間、ということで、CERNの夕方、アメリカの朝、日本の深夜によくミーティングがあります。最近はそういうミーティングに出席、発表をしたりしなければならないこともあって、午後はテレビ会議ばかりやってるような感覚です。

ちなみに、深夜の場合は、大学でやると家に帰れなくなるので、家に帰ってからEVOで参加しています。EVOがなければほぼ参加は無理なので、そういう面では、多少(かなり?)画質・音質は悪くても、EVOの利便性が発揮されています。

そういうわけで、物理解析関係のミーティングに多く参加しているのですが、消耗なのは、Editorial Boardと呼ばれる解析ノートあるいは論文原稿のレビューをする人たちとの議論です。役に立つコメントを送ってくれる人もいますが、全く本質ではない、くだらない質問を大量に送りつけてくる人もいるので、なかなか大変です。そんな質問くだらないと却下するわけにはいかないので(全ての質問に答えてレビューする人を納得させないと、グループ全員に承認されるというプロセスに進めません)、そういうのにも一々応えないとならないわけです。もちろん、無茶苦茶と思われるような意見も含めて、考え方の多様性を保つのが重要だということはわかるのですが、その解析をグループとしてより良いものにしようという観点ではなく、悪意とも取れるようなコメントも結構あるので、その辺をいかに時間をかけずに効率的に受け流すか、というのも、大きなグループで生き残っていくために必要な技なのかもしれません。

ただ、悪いことばかりというわけではなく、面白いアイデアや違った視点からの意見を貰い役に立つことも確かにあります。それから、レビューする人というのは、ある程度発言力を持った人たちで、かつ、声が大きい人々が多いわけですが、それらの人を集めミーティングを進める人のミーティングの進め方というのは勉強になります。アメリカ人には多いですが、褒め上手で、それぞれの人の意見を一見尊重しているかのように振る舞いつつ(その意見を尊重していないときも)、抑えるべきポイントや自分の主張を巧妙に混ぜ込みつつ議論を進められる人もいて、そこらへんは見習うべきことが結構あります。

勉強することというのは、色々なところに転がっていますね。

研究 | コメント:2 | トラックバック:0 |

そば屋の出前のような

年度末を控え、旅費などの最低限確保しなければならない資金のメドがたち、残りの予算で買うべき物品の選定に最近はかなり時間を費やしています。私が管理しているのは、いわゆる研究補助金なので、使途は申請書に記載されているものに大体従います。大体というのは、申請書を書いた時点では物品の正確な価格をきっちり抑えきれないので概算なので、実際にモノを買う段階で微調整を行います。微調整は行いつつ、欲しい仕様を確保、というか、どういう優先度を付けるか考えなければならないので、そこが面倒なところです。

で、買おうとしている物品が幾つかあるのですが、その中でも2件はかなりの高額(私にとっては)。見積もりを取る前に営業の人に大学に来てもらったりして、かなり以前から行動を起こしているのですが、なかなか最終的な見積もりを貰えなくて困っています。メールでの催促は繰り返していますし、電話もするのですが、まさにそば屋の出前状態。「来週早々には」のような返答を繰り返され、1件に関しては、直接会って話をして品物まで決まってから2週間ほど経ちます。よくわかってないのですが、官公庁相手の営業だとこういう遅さなんでしょうか。大きなピースが埋まらないため、他の細かい調整が行えず、イライラしています。

さらにイライラするのは、見積もりが出せないなら出せないで、理由を説明するとかして欲しいのですが、メールだと反応が返ってくるのが非常に遅い点です。組織、それも大きくなればなるほど、レスポンスが重要になってきます。今回の話と一緒で、ある案件が別の案件に依存しているので、遅いなら遅くても仕方ないので、いつくらいになりそうなのかという情報が重要です。それによって、遅れを最小にするための作業工程の変更等を考えられますから。というわけで、ATLASのような大きなプロジェクトでも、グループを率いている立場の人にとっては、レスポンスの早い人というのがとにかく有り難いです。さらに、有り難いだけでなく、レスポンスの早い人じゃないと、コネがない限り、なかなか良い仕事をさせてもらえません。

たとえば自分があるサブグループのリーダーだとして、海の物か山の物かわからないたくさんの人からある解析をやりたいと打診されたとします。そのとき、その人に重要な解析をやってもらうか、さして重要でない解析をやってもらうか判断する大きな材料がレスポンスの早さです。私だけでなく、コネがない状況ならば、それぐらいしか判断材料がないので、誰でもそうなってしまいます。そうして仕事を一緒にやっていくうちに、こいつはデキルなとか、こいつはイマイチだな、とかいうような判断が働き、さらに仕事の割り振りの参考にしていくことになります。まあ、多くの人が言っていますが、レスポンスの早さと優秀度にはかなりの線形関係があるように見えるので、その観点からもレスポンスの早さというのを判断材料にすることが多いのでしょう。

とまあ、そういうわけで、大きなプロジェクトであればあるほどレスポンスの早さが重要であり、だからこそ、個人が良い仕事をしたかったら、素早いレスポンスを心がけないとならない、と思うのでした。

日常 | コメント:0 | トラックバック:0 |

流動性

この時期、大学の研究室は修論、あるいは卒論に向けて1年で一番活気のある時期かもしれません。私たちの大学、というか、理学部、というか、物理学科では、修論の締め切りが約2週間後、修論の発表会まで3週間。卒業研究の発表まで5週間ちょっと。ということで、直近の締め切りが修士課程の学生たちに迫っています。

私が指導する修士課程の学生は今年は2人。そのうちの1人から、途中までながら、第1稿を昨日もらい、今日添削。私にとっては、やっと、山を登り始めたという感覚です。もう1人は、修論ネタとなる検出器の測定を今まだKEKで行っています。シリコン検出器の基礎研究で苦労していたのですが、最近になってようやく修論に載せられるようなデータが取れ、今は測定のやり残しがないようにチェックしつつ、色々な測定を行っています。

これからしばらくは、修論(と卒業研究)に振り回される日々が続きますが、それが終わると今度は学生の入れ替わり。ということで、研究室の新陳代謝がここしばらくは活発です。

てなことから無理矢理話を持っていくのですが、大学に在籍する学生の流動性は、当たり前ながら確保されていますが、教員側の流動性もかけ声だけでなく、なんらかの強制力を持ってあげられないないものですかね。内向き指向(を取り上げること)が最近の流行ですが、流動性の無さというのも、日本の問題な気がします。大学教員を名指ししましたが、終身雇用制度に守られている一般企業にも同じような問題はないのですかね。あまり具体的な毒は吐きませんが、出身大学以外の研究機関を経験せずに、ずーっと同じ大学に在籍するというのは、かなり異様に感じます。さらに、学位取得後ずーっと同じ研究機関にいる人も日本には結構いるのではないかと思います。自分が腰を落として一箇所にいられないから言ってるという説がありますが、なーんとなく、それでいいのかなぁと感じてしまいます。

で、そうなっているのは、個人の安定志向というのもあるのでしょうが、それを許す、いえ、むしろ後押しするシステムになっているのではないかというのが今日言いたいことです。たとえば、ポストは限られてるわけですから、私たちの世界で流動性を上げようとしたら、国内だけでなく海外の研究機関を就職先の候補にしなければなりません。実際に海外の研究機関を2つ渡り歩いた実体験から、愚痴っているという噂もありますが、最終的に日本国内を居住地とした場合、色々な不利益があります。

まずわかりやすいのが退職金。ずっと国内にいた人に比べたら大差をつけられてしまいます。海外で働いていた期間、そっちから何か貰えればいいですが、そういうことはありませんから。同じようなのが年金。これもかなり損です。油断していると貰い損ねてしまいます。私の場合ギリギリセーフなのですが、貰えない場合は払った分くらい返して欲しいものです。お金の面以外でも細々とした手続きが面倒です。たとえば自動車の運転免許証。海外にいて更新できなかった場合も、結局は、新しい運転免許を発行しなければなりません。いちいち免許センターに行かなければなりませんし、ゴールドみたいな特典も得られません。唯一初心者と違うのは、初心者マークの免除だけです。

先にも書いた通り、ほぼ愚痴なのですが、ここまで日本国内定住者と差を付けなくてもいいだろう、と思わざるをえません。学生だって同じです。留学しろだの、海外に目を向けろと旗を振る前に、文科省ではせめて教員の給料体系でも変えてはどうでしょうか。ある程度の年数までは勤続年数に応じて退職金増えますが、その後は下げるとか。そしたら旗なんて降らなくても、もっと流動性上がるのではないかと思うのですが…はい、自分の都合のいい案を書いてみました。ははは。

大学 | コメント:1 | トラックバック:0 |

温度計

今年の冬は例年より寒く感じるのですが、それは、私が年を取って寒がりになっているからなのか、本当に気温が低いのか、定かではありません。がっ、昨日、今日は、相当寒いと自信を持って言えるくらい寒かったのではないでしょうか。

寒いこと自体は、いくら寒いと言っても大阪ですから、たいしたことはありません。天気予報のサイトに行って、住んでる地区の最低気温を調べると-3℃。シカゴでも人間は普通に生活できるのですから、インフラさえ整っていれば、これくらい問題ありません。しかし、大学のオフィスは、冷暖房完備の、鉄筋コンクリートのしっかりとした建物にあるのですが、無茶苦茶寒いです。

というのは、オフィスの温度設定は各オフィスでできるようになっているのですが、実際の温度を暖房が正しく認識していません。暖房が認識す気温が設定温度を超えると暖房が止まり、設定温度は最高で30℃。だったら問題ないはずなのですが、暖房が認識している気温と、私が机の上に置いている(かなりまともな)温度計が指し示す気温には、今現在差が10℃以上あります。机の上で測って10℃以上ですから、足元はもっと寒いはずです。

ということで、部屋にもともとある大型の暖房は役に立たないので、それには期待せず、小型のファンヒータを足元に置き、さらに毛布をかぶって仕事をしています。

おっと、前置きがエラく長くなりましたが、冷暖房製品の認識する気温って、センサーの位置がダメダメなのか、較正がダメダメなのかわかりませんが、人間が感じてる気温を正しく認識してないことが多くて、この前物性理論のO教授に大笑いされましたが、短気な私はイライラしてしまいます。そのイライラが頂点に達したのは、家で風呂に入ったときです。シャワーの設定温度を最大にしてもぬるま湯しか出てこなくて、凍え死ぬかと思いました。

湯船に溜めて湧かす方にはセンサーがあって、水温を測り、それに応じて湯沸かし器が作動するのですが、シャワーのほうは、温度表示はあるものの、実際には単にガスの量を調整しているだけらしく、60℃とかいう最強の設定にしてもぬるま湯しか出ないのです。水温が下がっているだけでなく、外の湯沸かし器から蛇口までの管が冷たくなっているからかと思い、数分間お湯を出し続けますが、結局推定温度30℃代後半。いやー、参りました。

って、本当の問題は、温度の較正の問題うんぬんよりも、湯沸かし器の生成熱量が不足しているという、家がボロいという問題なんですけどね。ははは。

日常 | コメント:1 | トラックバック:0 |

間接経費

[最後に追記あり(1/16)]

科研費などの競争的資金を獲得すると、その資金を獲得した研究者に対してではなく、その研究者の所属する研究機関に配分される間接経費というものがあります。それに対して、研究者が直接使用できる予算は直接経費と呼ばれます。科研費だと直接経費の30%が間接経費として配分されます。なんちゃら財団による助成金でも、大学は同様にオーバーヘッドとして徴収しているようですが、財団によってはオーバーヘッド徴収を禁止している場合もあり、私が獲得したとある財団からの助成金の場合はオーバーヘッド徴収禁止、ということで全額私が使用できました。

科研費の場合は、種目によって間接経費が付いている場合と付いていない場合があり、私もそれなりの額を間接経費として大学(研究科?)に収めているはずです。というか、私の管理下にはその予算は全く入ってこないので、ブラックボックスに吸い込まれているようなものです。前から思っていたのですが、この資金って何に使われているんですかね。とりあえず、使途を調べるためにググってみると、間接経費とは「科研費などの競争的資金を獲得した研究者の研究開発環境の改善や研究機関全体の機能向上に活用するため、研究機関に交付される経費。研究機関の長が当該研究課題の遂行に関連して間接的に必要と判断した場合、研究機関の長の裁量により執行することができる。」とあります…ふむふむ、って、全然何に使われているかわかりません。

建前としては、科研費などの補助金では研究に必要なインフラの整備などを行えないので(研究費補助金では、研究に直接かかわる経費しか払えません。インフラは研究機関が整備して然るべきもの、という考え方なのだと思います。)、一旦、大学の経費として吸収して、研究機関の研究環境の整備にも使えるようにし、より研究がスムーズに行えるようなサポートを可能にする、ということらしいです。

しかし、私に還元されたインフラの整備って何なのか不明です。私が研究で使ったインフラ系の費用は、わずかな電気代くらいだと思います。電気代や建物整備などのインフラ費用は、獲得した資金に応じて調整するのはあまりに面倒なので、一度大きな財布に集めて、そこから大学、あるいは研究科が纏めて支払うという構造になっているということは理解できます。けど、これって平等なシステムなんでしょうか。

間接経費を獲得した立場だからこんなこと言ってるわけではありません。競争的資金は獲得できるときもあればできないときもある、だからこそ、財布を大きくしてみんなで助け合おう、という考えには強く同意します。実際、一緒に研究をやっている別の大学の人にも予算のサポートを申し出たことがありますし、自分の予算に余裕があり、かつ、自分の補助金の目的が別の人をサポートすることにマッチしていれば、将来的にもサポートすることはやぶさかではありません。

が、しかし、です。私が気に入らないのは、大学というのは、ここは珍しくマスコミと意見が合うのですが、本当に成果主義とは無縁の世界です。あるポストを獲得するためには、その世界での実績が必要なのかもしれませんが、その後は、私の個人的な感覚では、かなり酷いです。友達と話をすると、日本の企業は一般企業でも実は結構窓際な人がいるのだそうですから、何も大学に限った話ではなく、終身雇用制度ではごく当たり前の現象なのかもしれません。ただ、大学の場合は、処遇が窓際な人も頑張ってる人もあまりにも一緒です。

間接経費の例では、せめて、どのように資金が使われたかは透明にして欲しいですし、過去に誰がどれくらいの貢献をしているかを明らかにして欲しいです。であればこそ、助け合おうという気になりますが、まったくのブラックボックスで処理されては、やる気が萎える一方です。悪平等は競争力を奪います。

[追記]
嘘か本当か知りませんが、アメリカの大学などでは獲得したgrantに応じて研究スペースなどが割り振られると聞いたことがあります。大学に研究スペースの場所代を支払う仕組みがあるらしいです。教授が自営業で、営業店舗をレンタルしてると言った感じなのでしょうか。さらに、これは本で読んだ話ですが、中国科学院の一つ、場所がどこだかは忘れましたが、研究員のランク付けが明確になされて、上位では莫大な研究費と給料が支払われ、下位だとその逆。さらに、下位5%だか10%になってしまうとクビになるのだそうです。勝負している国というのは、日本とは大違いです。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

発見を目指すドキドキ感

大阪市立科学館の会員向け冊子が今日届きました。月刊なのですが、私のつまならい記事を掲載していただいているため、毎月送ってきてくださります。すると、私的には、次回の(実際には翌々月の冊子)原稿を考えなくちゃ、となります。

基本的にはこのブログで書いているような日常生活を、と依頼されているのですが、まさか、お腹が空いていたので待ちきれず、線路に降りて自殺希望者を駅まで引っ張って行ったとか、本当に日々の生活を描くわけには行きませんから、日常と言いつつ、科学者っぽいことを書かなければなりません。ヒッグスやSUSYを探して日々どんなことをしてるのか、そういう事を期待されているわけですが、私自身にとっては研究活動が日常過ぎて、どの辺を切り出せばいいのか選ぶのがなかなか難しいわけです。また、ヒッグスやらSUSYやらブラックホールやらを探して、本来私たちはドキドキしながら解析結果を眺めても不思議ではないはずなのですが、そういうドキドキする感覚というのはそれほどありません。なので、血湧き肉踊るような生き生きとした表現で、研究を描くのが難しいという面があります。あ、いや、私の文章力の無さはここでは置いておきます。

では、なぜ、興味があって探している粒子や現象に対してドキドキする感覚がないかを考えてみると、もちろん、あまりにも日常だからというのはありますが、それだけではありません。思うに、実験結果が一目で判断つかないからではないかと。たとえば、試験管で薬品を混ぜて色が変わった、というような目に見える劇的な変化を私たちは目撃することがありません。

低学年の学生実験の授業をやってよく聞く話は、素粒子・原子核系の実験は、結局のところ検出器の計数を数えているだけで、何をやっているのかわからない、という意見です。専門家の私たちは、何をやっているかはわかっていますが、やはり目に訴えかけてくるものはあまりありません。結果は普通ヒストグラムなどの図で視覚化されますが、期待される結果というのは、標準模型で予言される既知の結果と、視覚的にはそれほど変わらないんですね。

新現象があったとしても、データをたくさん溜めて、統計的な議論をして、そしてようやく新現象の兆候…というような流れになります。もちろん、そうではないことがあるのかもしれませんが、多くの人が探している物理現象は、少なくとも視覚的にはそれほど劇的ではありません。なので、新しい図を見る機会があっても、「どうなってるんだろう?」という期待感がそれほどないんですね。アサガオの種を蒔いて、翌朝、「芽が出てるかな?」とドキドキしながら確認する、というような感覚がないのは、実験の楽しみの1つを損してるかもしれません。種まきしたら、芽が出るまで毎日楽しめますもん。

といようなことを考えていたのですが、解析していて、唯一、非常にドキドキすることがあります。Blind Analysisの箱を空けるときです。Blind Analysis というのは、探している新現象があったとしたら既知の現象と違いが見える部分(=信号領域と呼びます)のデータを、敢えて使わずに解析を進め、誤差の評価や、既知の現象の量の推測が万全だとわかった時点で、隠していた領域を確認するという解析手法です。真面目にこれをやると、それなりの時間をかけて解析を詰めるので、信号領域のデータを見る時はかなりドキドキします。ただ、この方法では、ドキドキできるチャンスが数ヶ月に1回くらいのオーダーでしかないので、やはり、ドキドキするチャンスはそうそう得られません。

解析だけならいいけど、実験計画の開始から数えたら、Blind Analysisの結果を見るために10年以上かかったりしても不思議ではありません。ときめき感覚(?)を得る機会が少ないというのは、高エネルギーの弱点なのかもしれません。なんとか研究の中に、そういうイベントを盛り込めるようにしないとまずいですね。

研究 | コメント:4 | トラックバック:0 |

研究室に人が溢れる

昨日は、重要な物理解析のミーティングが、日本時間の夜遅くにありました。ヨーロッパ、日本、そしてアメリカから参加者がいますので、そういう時間設定になってしまいます。ま、それは、よくあることで仕方ないのですが、議論は私たちのグループにとって有利に進まず、いえ、私が進めることができず、解析を実際に行っている博士課程の学生への負担が少し大きくなってしまったかもしれません。いずれはやらなければならないことだったのですが、タイムスケールに関して予想よりも厳しくしてしまいました。解析の状況からしてある程度予想はしていたことなのですが、やっぱりか、という感じで、ちと無念でした。

100%言い訳なのですが、外国人との議論・交渉で思ったようにコトを進められなかったときは、自分の語学力のなさに脱力してしまいます。後になって、あー言っておけばよかった、こう言えばもっと有利に話を進められた…と、日本人同士の会議の後には感じることの無い自戒の念で一杯になってしまいます。日本人同士の議論でも少しは反省しろよ、というツッコミもあるかもしれませんが、私の場合、本当に英語での議論の後に特有の感覚です。いえ、もしかすると、多くの日本人に共通の悔しさなのかもしれませんが、ロジックで負けたとは思えないだけに、悔しさが長引きます。

そんなストレスフルなミーティングでしたが、一夜明けた今日は、研究室の雰囲気が良くて心が和みました。

修論の提出期限が今月末。私たちの研究室には博士論文を書いている学生はいませんが、いたとしたら、今が提出の時期。そして学部4年生の卒業研究も佳境。ということで、いつになく(?)大勢の学生で研究室がにぎわっていました。それだけでも私にとってはいい雰囲気なのですが、さらに、当然のこととはいえ、締め切りに追われた学生たちはいつも以上に集中して研究と、論文書きに望んでいます。微妙な緊張感と和気あいあいとした雰囲気が、どう表現したらいいのかわかりませんが、私にとっては非常に心地よいものでした。お祭りみたいな感覚ですかね。

ただ、逆に思うのは(毎年この時期に感じるのですが)、この勢いの半分でいいからもうちょっと前から研究をやっていてくれよ、ということです。って、私自身も追い詰められなければ逃避行動ばかりに走ってしまうわけですが、このペースの7、8割でいいから継続して研究をしていれば、みんな物凄い勢いで成長するのですが…人間そういうわけにはいかないのでしょうね。

大学 | コメント:2 | トラックバック:0 |

社会的制裁の基準

日々の生活で、というか、新聞記事等マスコミの報道を見てよく感じるのですが、社会的制裁の基準というのが私には理解不能です。前にも書いたことありますが、今の日本で犯罪や違法行為に対する制裁の中で一番ダメージが大きいのは、社会的制裁だと思うんですね。たとえば、一部上場されているような企業で働いている人や公務員が、罰金刑で済むような軽犯罪で逮捕されたとします。起訴されたか、有罪判決がくだされたか、とは関係なく、一旦逮捕されてしまったら、軽犯罪だったとしてもその人の人生終わりです。

違法行為の善悪はポイントではありません。悪いに決まっています。ただ、その法律上の量刑とは別に、社会的な量刑の大きさというのが、法律上の量刑とは線形関係になっていると思えませんし、一番納得がいかないのは、社会的な量刑の相対的な大きさというのが、その人の職種にあまりに大きく依存していることです。極論、無職の人には社会的量刑なんて関係ありませんし、むしろ、犯罪や違法行為を行うことがその人のキャリアにとってプラスになる場合すらあります。

あと、少しポイントはずれますが、日本の警察というのは逮捕し過ぎではないんですかね。逃亡の恐れのない人でもすぐに逮捕しちゃいますし、よくわかってませんが、別件逮捕とかされてる人多くないのでしょうか。有罪か無罪かとは関係なく、時間を莫大に浪費され、精神的ダメージを与えられ、そして、矛盾だらけの社会的制裁の始まりが有罪判決ではなく逮捕であるという日本の現状からして、国家権力の乱用をして欲しくないなぁ、と常々感じてたりします。

さて、というわけで、あまりに不公平な社会的制裁に憤っている毎日(嘘です、そんなにしょっちゅう憤っているほど流石に暇ではありません)ですが、憤っているだけでは面白くないので、どういう違法行為に対して、あるいは、どういう職種の人に対して世間は厳しく振る舞うかを勝手に考えてみます。

まず、誰もが思い浮かべるかもしれませんが、痴漢。これは厳しいですね。有罪だろうが無罪だろうが、誰かに疑われた時点でほぼ終わり。日々の地雷です。次に思いつくのは飲酒運転。酒飲んでなくても酔っぱらい運転以下のスキルしか持たない人が山ほどいることは無視して、これまた厳しいですね。逆にそれに比べて、社会が許していると私が感じるのは、違法駐車。なんでここまで無茶な止め方をしてるんだろう、とよく感じます。身近なところで、それに関連して飲酒運転以外の交通ルールはほぼ無視、というのが日本社会の暗黙のルールなのかもしれません。あとは暴行、傷害関係。人間のプライドや尊厳を傷つることは問題なくても、手を出すと大きな問題になりますよね。暴行罪なんて茶番です。怪我してなくても犯罪。だとしたら、電車に乗る時に降りる人に体当たりしてダッシュで乗ってくる人々は全員捕まえて欲しいものです。

ではどういう職種の人がやばいかというと、それはもう真っ先に公務員です。マスコミに狙われていますから危険です。先にも書いたように一部上場企業の人もヤバいです。それから男女で比べると女性は、暴行傷害関係でかなり得をしているように感じてしまいますが、真相はわかりません。男が人を殴った的な事件はよく報道されますが、女性が人を殴ったという事件はあまり報道されません。もちろん、そういう案件の母数が全く違うことはあるのでしょうが、女性に殴られて訴える人が少ないのではないかというような勝手な想像もあったりします。

と、うだうだ書いてみるとわかるのは、当然のごとく、マスコミに狙われているかどうかで決まります。報道された件数/犯罪数を考えたとき、痴漢等の性犯罪ってその比率が無茶苦茶高くないですか。いかにも3面記事的な、ワイドショーネタのような下品な報道の比率が多いと感じるのは私だけなのでしょうか。実際に多いか少ないかは別として、勝手な勘ぐりなのですが、ネタとして多く取り上げられる犯罪というのは、記事にしている人が羨ましいと感じてることなのではないか、なんて思ったりしてしまいます。痴漢、セクハラ、そんなに記事にしたいのか、お前らがしたいのか、なんていう無茶な感想を持ってしまうんですね。普段、鬱積してるものがあって誰かを殴りたいのか、なんていう風にも勘ぐってしまいます。

おっと、段々無茶苦茶になってきましたが、結局、私なりの結論は、社会的制裁の大きさはマスコミによって決められる。が、その基準が理解不能だし、不平等極まりないと感じるし、なんでそういう基準なのか、マスコミの人に訊いてみたい、ということでした。

日常 | コメント:2 | トラックバック:0 |

小さな実験

昨日ちょこっと書きましたが、数人でやれる実験で、かつPRLに載るような論文を書ける実験を発案・実施するというのは、大きな夢です。色んな意味で大きな夢で、まずはそういう実験を発案できる人というのは非常に限られているわけで、そういう1人になれるというのは物理屋として単純に憧れます。

一方で、LHC/ATLASのような大きなプロジェクトに携わっているのは、やはり、そこで展開される物理に強く興味があるからです。物理のインパクトだけ考えたら、エネルギーフロンティアは王道だと思っています。小さな実験の魅力というのは、物理のダイナミクスさではなく、自分たちで全てを決められる、そういう実験屋としての魅力だと考えています。もちろん、莫大なインパクトを持った小さな実験というのは理想ですが…そこまで無謀なことは考えていません。ということで、自分の描く理想というのは、LHCのような物理のインパクトも規模も大きいプロジェクトをやりつつ、こじんまりとした実験を数人でやる、という感じです。

というようなイメージを想い描く実験屋は多いでしょうし、実際、そういう形態をとっている研究グループもあります。と、ここで必要なのは、やはりリソースです。特にヒューマンリソースが大きな壁です。つまり、最初に挙げた物理屋としての能力だけでなく、それなりに大きなグループを作れるだけの腕力がなければなりません。

というわけで、自分の描く理想というのは果てしなく遠いわけであり、また、そういう人物をほとんど知りません。大講座制の大学の親分は複数のプロジェクトをやっていますが、だからといって、極めて小さな実験を自分で発案推進しているという人はあまりいません(と思います)。はい、そうです。そんな人滅多にいないわけです。だからこそ、果てしなく遠い夢なわけです。

そんな中で、私は面識ありませんが(残念なことにすでに他界されています)、コンピュータ相手に「察しろや」と言ったか言わなかったかは定かではありませんが、LEP、ポジトロニウム、バルーンの実験をやっていたOさんというのは凄い人だったんだなぁ、と感嘆します。LEPは置いとくとして、それ以外の2つも真にオリジナルかどうかは私は知りませんし(私から見たら歴史みたいなものなので)、似たような実験の発展なのかもしれませんが、その後も脈々と続き、トップレベルの結果を出していることなどを考えると、やっぱり凄いなぁと感じてしまいます。

会って話をしたことがないのが残念です。

研究 | コメント:3 | トラックバック:0 |

素粒子の重力質量

たぶん、すでに何回か繰り返していると思いますが、現代の素粒子物理学(場の理論)というのは、量子力学、相対性理論、ゲージ対称性に基づいて立脚されています。では、その中の一つ、相対性理論は何を指導原理にしているかというと等価原理です。ニュートンの運動方程式F=maのmで定義される慣性質量と、万有引力の法則で定義される重力質量は見分けがつかない、等価である、等価とみなそう、というルールです。

その等価原理に基づいて構築された理論が相対性理論であり、相対性理論が正しいということは等価原理が間違っていないことの間接的証明になっているでしょうし、等価原理の正しさを直接検証しようとする実験も昔から行われています。そういうわけで、私たち(素粒子物理屋)は普段から何気なく等価原理が正しいという仮定のもとに色々な物事を議論、考えています。たとえば、質量とエネルギーの等価性をもとに、私たちは素粒子の質量を測定しています。

さらに、もう少し考えてみると、素粒子だけでなく、原子核などの粒子でも、重力が非常に小さいため重力質量を測定することができず、ほとんどの測定で測っているのは慣性質量です。比電荷の測定とか、そういう系統のやつですね。ということで、最近気になっているのは、ヒッグス場との湯川結合で生成されたフェルミオンの質量というのは、本当に私たちが思っているだけの重力質量を持っているのかどうか、ということです。

素粒子っぽいものということでは、最近、といっても数年前のことだと思いますが、非常に低速の中性子が地球の重力に引っ張られて、mghのポテンシャルエネルギーを持ってるということが測定された、というような結果があったと思います。ですので、中性子が素粒子ならば問題ないのですが、中性子はuクォーク1つとdクォーク2つの束縛状態。しかも、その質量の大半はヒッグス場ではなく、強い相互作用によるカイラル対称性の破れと考えられています。(この辺のメカニズムについてはこのエントリーを参考にしてください。)クォーク単体の質量の総和は、中性子質量の数%程度しかないので、ヒッグス機構で生成された質量が重力質量として測定されたとは言い難いです。

もちろん、中性子の重力ポテンシャルを測ったという事実はそれ自体非常に面白いと思うのですが、ヒッグスを探して、ヒッグス機構を検証しようと考えている私にとっては、さらにその先に踏み込めないか気になっています。そうです、できるなら、レプトンの質量を測れないのかなぁ、と最近考えていました。レプトンなら強い相互作用で生成される質量がありませんから、質量=ヒッグス場で生成された質量だけになります。

というようなくだらないことを、昼飯の時にY教授に話したら、こういう話が大好きなY教授は真剣そのもの。いつものように、彼の右上(?)にある脳内黒板で概算を開始。こういう方法で、これくらいの精度があればできる、という簡単な計算を繰り広げます。話題が別のことに移ったと思っても、またいつの間にか、こうしたらできないかなぁ、とこの話題に戻ってしまう、ということが2、3日繰り返されました。この人やっぱり面白いなぁと変なところで改めて感心しました。

おっと、話題がY教授に引っ張られてしまいましたが、レプトンに作用する重力の大きさをなんとか測れないものでしょうかね。LHCのような大きなプロジェクトにはない、テーブルトップ実験ならではの面白さがあると思うのですが…。安定して使えるのが電子くらい。質量が軽い上に、電荷を持ってますから、何か画期的なアイデアが必要です。複合粒子にはなってしまいますが、ポジトロニウムなら少しは何かできるかも、とか色々空想(?)で楽しんでいる今日この頃です。

研究 | コメント:20 | トラックバック:0 |

研究会続き

昨日と今日は、N大学、KB大学と共同で行っている(半)定期的な研究会でした。一昨日は理論の研究会でトークをするためにKB大学へ行ったばかりで、今週は私にとっては研究会続きでした。今回もまあまあ充実した良い研究会でしたが、できることなら物理解析の割合がもう少し増えるといいなぁという半ば贅沢な感想を持ちました。どこの大学でも修士課程の間はハードウェア・検出器関連の研究、物理解析は博士課程になってからというパターンが多く、つまり、私の希望が叶えられるためには、もう少し博士課程の学生数が増えなければなりません。博士課程に進学する優秀な学生さんが増えて欲しい欲しいものです。

研究会が昼過ぎに終わり、昼食を食べた後研究室をうろうろしていると卒業研究をしている4年生に遭遇。ようやくエンジンがかかってきたようで、結構なことです。今年はわりと大規模な検出器を作るのですが、ようやく量産体制にこぎ着けました。これから注意しなければならないのは工作のクオリティコントロール。地道な作業になりますが、最終的な性能を左右するので、踏ん張りどころです。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

筋肉痛

昨日は、午前中通常通り講義をした後、急いでKB大学に移動。理論の人が中心の研究会で、ヒッグス探索についてのトークをしてきました。参加者には数人外国人がいたので、使用言語が英語。するとやはり、笑いを取るのがなかなか難しくなります。それでもなんとか何箇所かで笑いのツボをおさえ、そこそこ満足…じゃなかった、質問は少なかったですが、それなりにわかってもらえたようなので、まあまあだったのかなと自己判断しています。

24日だか25日にも、似たような形態の(=理論家が中心)研究会で、似たような内容の話をします。今度は日本語なのでもう少し笑いを取れると思いますが、自分が一番専門とするヒッグスだけでなく、余剰次元の話を外さずして欲しい(何しろ、研究会が余剰次元の研究会なので…)、できればSUSY探索も、と言われており、結構準備が大変そうです。

と、それはさておき、KB大学。行くたびに足が筋肉痛になります。それも、脛の横の筋肉。つま先を上げるのに使う筋肉ですね。KB大学へ行くたびにそこがやられます。正確には痛いというほどではなく、だるい、力を入れづらい、という程度なのですが、本当に行くたびに毎回です。歩く距離自体はたいしたことなく、普段の歩行量に比べても極端に増えるわけではないのですが、つま先を上げる筋肉がやられる、ということでわかるように、坂がとにかく急です。私の日常生活ではありえないくらいつま先を上げる必要がある坂ということなんでしょうね。

それともう一つ、恐るべしKB大学と思ったのは、その天気。帰りに雨に降られたのですが、大阪にいたらとても雨が降るような天気ではありませんでした。実際、大阪に戻って来たら雨降ってませんでしたし、大学から駅まで行くと雨の量もだいぶ減っていました。そうです、天気が山の天気なのです。冬型の気圧配置で北から雲が流れてくるわけですが、その雲が六甲山の山頂付近にかかり、その影響を受けてしまっているのではないかと思います。実際、真に驚いたのは、私は雨を全く予期していませんでしたが、歩行者はほとんど傘を持っていたことです。勝手な推測ですが、KB大学の人々は冬型の気圧配置になったとき(=寒いとき)に雨に降られることを想定しているのではないでしょうか。私は逆に関東地方出身なので、冬寒くなると、天気は快晴、冷たい風が強く吹く、というイメージから抜け出せていないかもしれませんが。

ところで、話は行ったり来たりになりますが、筋肉痛って、昔は乳酸のせいだと言われていましたが、今の定説は違うという新聞記事か何かを少し前に見ました。運動をすると筋肉の細い繊維が切れて、それが修復されるとより太い筋肉になっていく(んですよね?)わけですが、その過程で、筋肉の繊維が切れると、その部位がまず炎症を起こしますし、また動かすと切れた繊維がこすれて痛い、というのが今の定説なんだとか。乳酸説とどちらが正しいかは私には判断する材料が全くありませんが、科学(かな?)の定説というのは、いい加減なものだという典型例かもしれません。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

ミーティングを忘れる

いやー、すっかり忘れていました。12月に盛り上がった(?)解析関連のミーティングで、自分がreminderを送る立場なのに、今日、人からpingされるまですっかり忘れてました…。

というわけで、これからEVOを使ってのミーティングです。スケジュールの確認などが主な目的なので、さっさと終わらせて帰りたいのですが、どうなることか…。"Any other business?"と言ってミーティングを終えようとしても、エンドレスでother businessが湧き出ることが多いんですよね、戦っているミーティングでは。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

Belle検出器の一部

1998年だか99年に稼働を開始したKEKのBファクトリー・Belle実験は、(SLACのBaBarとともに)小林・益川にノーベル賞受賞の決め手となる成果を出し、去年ようやく運転を終えました。A軍曹の言葉を借りると国策であり、是が非でもアップグレードを行わなければならないプロジェクトです。というわけで、部分的承認を受け、さらにNさん情報によると今年度の予算案にも無事載って、数年後の運転を目指し、アップグレードが進行中です。

アップグレードで何をするかと言うと、ルミノシティの増強。電子ビームと陽電子ビームの1回の交差あたりの衝突頻度を上げ、同じ時間でより多くの衝突事象を観測するのが狙いです。電子ビームの衝突では、陽子などのハドロン衝突に比べて中性子があまり生成されないので、検出器のわりとすぐ近くまで人間が立ち入れるのですが、今度のアップグレード後は、(陽)電子ビームの放射光であるγ線が猛烈にたくさん生成され、そのγ線がビームパイプなどの物質と相互作用をした結果、それなりの量の中性子が生成され、検出器の外側も立ち入りできない管理になるとか。とまあ、それくらいビーム強度の高い実験になるというわけです。

ちなみに、LHCなどのハドロンコライダーでは、ビーム衝突時に中性子が普通に生成され、中性子は電荷がないので物質と強い相互作用を起こすまで、検出器内、あるいは実験ホール内をふわふわ(?)漂っています。エネルギーの高い中性子の場合は、ふわふわという形容は正しくありませんが、エネルギーが低い場合は、本当にふわふわという形容がふさわしいくらい遅い速度で移動しています。こういう中性子は、ビーム衝突のタイミングと関係なく検出器と相互作用を起こしますので、シミュレーションする際にもそういう効果を取り入れています。

話を戻すと、Bファクトリーのアップグレードでは、ビーム強度が上がるために、耐放射線性を上げる必要がまずありません。そして、同じ理由から衝突点近くの検出器のヒット頻度を下げるために、あるいは高いヒット頻度にも耐えられるように検出器を作り直さなければなりません。検出器というのは、ビーム衝突点を囲むように何層にも渡って種類の違う検出器が配置されているので、内側を交換するには、外側の検出器を開けなければなりません。

というわけで、Belleは去年の運転停止後、ビーム衝突地点からロールアウト(=大きな検出器全体がレールの上に乗っていて、動かすことができます)させ、実験ホール内の広い場所に移動。外側の検出器を開けるという作業を行いました。ロールアウト後、外側の検出器から順次開けていくのですが、そのときの様子を捉えた写真を2枚ほど貼っておきます。(写真提供:Nさん)

ECL moved out 1 ECL moved out 2

コライダー実験の検出器は、その名の通りBarrelと呼ばれる樽場の検出器と、その上下(前後)を塞ぐ2つのEndCapと呼ばれる部分からなっていることが多く、写真は、CsI結晶を構成部品とした電磁カロリメータのEndCap部分を移動してるところです。このパーツの外側にはミューオン検出器があり、逆にこの検出器のさらに内側にはアエロジェルチェレンコフカウンターと呼ばれる粒子識別検出器があります。それも外すと、ようやく荷電粒子飛跡検出器であるドリフトチェンバーとさらにその内側にあるシリコンストリップ検出器を外すことができます。

KEKのBelle検出器のある筑波実験ホールの近況(昨年末の様子)報告でした。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

今年最初のミーティング

昨日は、私たちATLASグループメンバーの今年最初のミーティング。そして今日は、研究室の今年最初のミーティングでした。そこでの嬉しいニュースは、博士課程2年の2人の学生(1人がATLAS、もう1人がKaon)が来年度から学振の特別研究員に採用されたことです。ATLASの学生の結果は聞いていて知ってましたが、Kaonの学生が採用されたことは今日知り、年明け早々めでたい明るいニュースでした。

今日の研究室のミーティングは事務連絡だけでしたが、昨日のグループミーティングは通常通り研究内容についての議論。年末年始だったので、それほど進捗がないかと思っていたのですが、みなそれぞれにそこそこ研究が進展していて感心しました。この調子で今年も頑張りましょう。にしても、修士2年の学生にとっては今が正念場。修論提出は今月末で、発表会が2月7と8日。ラストスパートをかける時期が近づいてきました。

研究 | コメント:0 | トラックバック:0 |

始動

今日から本格的に活動を再開しました。解析の忙しさと、年末の様々な行事ですっかり忘れていたのですが、今週木曜にある研究会でトークしなければならないことを思い出し、その準備に追われて、というのが早めに活動を開始した理由です。ま、それだけなら今日から動かなくても間に合うのですが、授業の準備、発注しなければならない高額物品の選定等、他にも追いついていないことがあったので、泣く泣く(?)大学に来ています。

ちなみに、授業開始が6日からで、その日の午前中に講義があり、午後は別の大学での研究会に参加、というスケジュールなのですが、授業開始が6日からというのは微妙に中途半端ですね。その後また連休、しかも成人の日ですから、帰省したい学生もいるだろうし、きりのいいところで11日か12日から授業再開でもいいと思ってしまうのは私だけでしょうか。

日常 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| HOME |