ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

タバコの煙

私はタバコの煙が大嫌いです。受動喫煙うんぬんではなく、単に煙くて臭いからです。

アメリカでは分煙がきっちりしてますし、そもそも喫煙者の肩身が非常に狭い国で、腕っぷし強いぞという人たちが集まるバーにでも行かなければ、意識しなくても煙に出会う機会は少ないです。というわけで、アメリカに住んでいてタバコの煙にイラッとする機会はほとんどありませんでした。

CERNのあるスイス(のフランス語圏。それ以外はよくわかりません)とフランスでは、タバコを吸う人が多く、しかもタバコのポイ捨てが通常のタバコの捨て方(?)のようで、建物の外でみんなが一服するところにはタバコの吸い殻が辺り一面を覆い尽くしていたりします。街に出ても道路にはタバコの吸い殻が多く、昔、妻の母親をパリに連れて行ったときは、街の汚さ(=タバコの吸い殻と犬の糞だらけ)に驚いていたくらいです。イタリアにもかなりの回数行っていますが、状況は一緒。いやむしろ悪いくらい。

ということで、スイス、フランス、イタリアの人々は一見マナーが悪いのですが、なぜか日本ほどイラッと来ることがあまりありませんでした。なぜか気づいていなかったのですが、最近気づきました。

彼らは食事中に(あまり)タバコを吸わないんです。

スイスとイタリアはどうか知りませんが、フランスでは公共の場所の屋内では喫煙禁止。レストランではタバコを吸えないんですね。スイスとイタリアも法律的にどうなってるのか知りませんが、少し注意して観察すると日本のように食事中にタバコを吸う人はあまりいません。それに比べて日本はひどいです。外でどれくらい吸ってるのか知りませんが、食事する場所ではタバコを吸ってる人凄く多いですよね。で、当たり前ですが外で他人がタバコを吸っていてもそんなに気になりませんが、屋内、しかも食事中という、最もタバコの煙が気になる時に周りでタバコを吸われるのでイライラしてしまうんですね。

フランス人恐るべし、です。一見マナーが悪そうに見えて、抑えるところは抑えているんだなぁ、と感心しました。

あと、食事中もイライラ値最高ですが、屋外でも腹立たしい思いをするときがあります。そうです、自分の前を歩いている人が歩きながらタバコを吸ってるときです。タバコ吸うならじっとしてろよ、という感じです。チンピラな私は「煙いのでタバコを消すか、私の後ろに来てください」と言ったこともあるくらい。気のせいかもしれないのですが、これまた、CERNに行った時にこういう経験をしたことはあまりありません。歩きタバコもフランス(とスイスとイタリア)では少ないのでしょうか。これに関しては、人口密度というか街を歩いている人の数に違いがあるからかもしれないので何とも言えませんが、とにかく、自分の前を歩いている人のタバコの煙にいらつくことはあまりありません。日本だと駅と大学、あるいは駅と家の間で、そういう人に遭遇しない日はないくらいですが、CERN滞在中にそういう思いをすることは稀です。

勢いに乗ったのでついでに書くと、新幹線などの禁煙車に乗る喫煙者というのは、自分が吸う時は周りの人に決して迷惑をかけていないと自信満々なのでしょうか。タバコを吸ってる人と吸っていない人とでは、タバコの臭さに対する感受性がかなり違うと思います。タバコを吸っていなくても、ヘビースモーカーの人だと臭いますし、タバコを吸った直後と思われるタバコ臭い人もいます。吸っていなくても、これくらい周りに迷惑をかけているのですから、吸ってる時のタバコの臭さというのは、吸ってる本人が思ってる以上に(?)広範囲に渡っています。こういうことを認識して、自分がタバコを吸う時は絶対に周りにタバコ臭い思いをさせていないように配慮しているのでしょうか。

喫煙車に乗ってる人は、タバコは煙いかもしれないし臭いかもしれないけど、仕方がないと思ってるわけですよね。けど、禁煙車に乗ってる人はタバコ臭くて周りの人が吸ってたら嫌だと多かれ少なかれ思ってるわけですよね。そういう人が自分ではタバコを吸うのか、と、考えてしまうわけです。

ところで、フランス(とスイスとイタリア)と日本の違いは、実はマナーではなく、タバコの値段なのかも、と少し思ったりして。

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帰宅

今やっと家に着きました。火山灰で飛行機が遅れたわけではありません。

今日T大学で高エネルギー委員会というものがあってそれに出席するため、昨日の夕方成田に着く便で帰国し、そのまま東京で一泊したからです。しかし、今回の委員会は非常にあっさりで、わざわざ大阪から出向かなくても(って、今回はわざわざ行ったわけではないですが)テレビ会議で十分なくらいの内容でした。

実は月曜にも急遽日帰りでKEKに行くことになったのですが、月曜には大学に提出しなければならない書類があって、ハンパではなく焦っています。CERNに行く前に書いておけばよかったのですが、その書類はとある予算の申請で、その申請を決心したのがCERNに行ってから。にもかかわらず、CERNではミーテイングに出まくって研究関連のことしかしてなかったため、今になって大慌てというわけです。いやー、ヤバい。

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緑色の星

いただいたコメントに対する返事を書いていて思い出したのですが、星には赤い星や白い星はありますが、緑色の星がないということにみなさんは気づいていましたか?

私は考えたことが全くなく、しかも人に言われるとアンタレスとかベテルギウスとか確かに赤いなぁと思うくらいでした。温度によって色が違うくらいは流石に知ってましたが、緑色の星があるかどうかなんて考えたこと全くありませんでした。この前昼飯どきにそういう話題になったのですが、緑色の星ってないんですね。少し考えればわかる、そんなに難しい話ではないのですが、頭の回転の遅い私は人に言われるまで瞬時に考えが及びませんでした。

物体はその温度によって固有の光を出していて(黒体輻射)、その温度によって波長すなわち色が違います。温度が低いときは赤くて、高くなると段々青側になっていくということはどこかで聞いたことあるかもしれません。なので、温度の低い星は赤いと言われるわけですね。じゃあ、少し温度が高くなって赤と青の中間の緑くらいの星があってもいいじゃないかと一瞬思ってしまいます。というか、私はその罠に見事にはまったのですが…黒体輻射のスペクトラムは単波長、つまり赤なら赤の一定の波長だけ、青なら青の一定の波長だけを出しているわけではなく、実際にはかなりの幅を持っています。なので、赤より少し温度が高くなって緑にピークを持つような星の場合、緑が多いのは多いのですが、そのとなりの赤や青の成分も混じっています。これらの混じり合わせを見ると、赤、緑、青の混ざり合わせですから、人間の目には白っぽくなってしまいます。

ということで、緑色の(普通の)星というのはないんですね。赤く見える星の場合は、スペクトラムの中心が赤外まで行っていて、赤の波長に染み出している成分が我々の目には赤く見えるということなんだと思います。

葉っぱにしても星にしても、色を考えるだけで結構物理を楽しめますね。

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ついでにLHCの近況も

基本的には加速器の調整に多くの時間を使っています。LHCにどうやってビームを入射するか、ビームの軌道をどういう磁石のセッティングで安定させるか、衝突地点でビームを絞るための調整、などなど私にも把握しきれていませんが、とにかく大きな加速器で(無数の部品があり、無数の調整の自由度がある)、しかも電線があるわけではないのに円周27kmに渡って荷電粒子を回すというのは、とてつもなく大変なことです。さらにそのビームを直径数10μmに絞りそれらを衝突させるというのですから、気の遠くなるような作業です。

最近はバンチ数を13にまで増やし、それぞれのバンチにはa few ×10の10乗個の陽子を詰めているようです。数日前には2x10^29のルミノシティに達しました。ただ、上で書いたように基本的には加速器の調整に時間を割いていますので、物理のためのデータ収集時間というのはまだそれほどありません。加速器の人たちが仕事をしない週末に物理のデータを収集するというのが、やはりここCERNでもパターンになっているようです。

それでもわずかな統計のデータを使い、物理解析は精力的に進められています。もちろんまだ多くの人が期待するような新発見を探るような段階ではありませんが、検出器が設計された通りによく動いていることを示唆する結果が多く得られています。私はLHCが4つ目の実験なのですが、これほど実験開始時に検出器が精度よく動いている実験というのは初めてです。って、まあ、一昨年に実験が始まる予定でそれに合わせて準備が進められていたので、十分検出器の調整をする時間があったというのは大きいんでしょうね。それに、やはり人が多いです。一人一人は大して働いていなくても、注ぎ込まれている延べ時間はハンパではなく、非常に細かなことまで準備が行き届いているという印象を受けます。

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CERNでの数日

早いもので、CERNに来てもう1週間。明日の午後には日本に向けて発ちます。大学にいると研究らしいことはほとんどできず、自分が研究者だということを忘れてしまいますが、こっちに来てミーティングで議論をしていると、自分が研究者だったことを思い出します。

そのミーティングですが、私にとっては2通りあります。1つは実際に自分が何かやっていて、あるいは自分の指導する学生が何かやっていて、その研究経過報告+今後の方針を議論するもの。自分が発表しなくても当然のことながら議論に加わります。もう1つは、自分が主体的に何かやっているわけではないが、実験というのは非常に多くの要素からなっているので、それらがどういう状況になるのかを把握するためのミーティング。こういうミーティングではお客さん状態ですから、議論になっても加わることはできず、情報集めのために参加するという感じになります。

CERNに来ると当然多くのミーティングに出るわけですが、今回はとりわけ色々なミーティングに参加し、また現場で研究をしている人たちと個人的な議論もありますから、結構忙しく過ごして、本当にあっという間の1週間でした。あとまあ、博士課程で常駐している学生が何をやっているのか、研究だけでなく、生活面のこともチェックできました。元気そうにやっているので安心しました。

学生といえば、私が来年から指導する予定の留学生から日本語でメールが来たのには驚きました。来年度から修士課程の学生となる予定(試験に合格すれば、ですが)で、今は集中的に日本語教育を受けています。その彼からちょっとしたメールが、最初はいつも通り英語で来て、それに返信したら今度は日本語で返信が返ってきて、日本に来て2ヶ月にもならないのにちゃんとした日本語で文章が書かれていたのには感心しました。現状での物理の能力がどれくらいかはわかりませんが、努力する人は必ず伸びますから、将来が大いに楽しみです。

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木陰

先週CERNに来てからこちらはずっといい天気です。特に週末から昨日、今日は非常にいい天気で、昨日、今日は暑いくらいになっています。天気のよさに誘われて、昨日はCERNの食堂で昼飯を食べるとき外で食べたのですが(欧米人は外で食事するのが大好きで、どの食堂にも外にテーブルと椅子がたくさんあります)、日差しが強過ぎて参りました。眩しいというだけでなく暑くて干涸びそうでした。

今回に限らず、日向で暑い思いをすると思うのですが、温暖化防止とかごちゃごちゃ言うより、世界中を緑だらけにしたら、それだけで十分快適になりそうな気がします。昨日だって、風はあったし、木陰ならきっと最高に気持ちよかったはずです。ついでに嘘か本当か知りませんが温暖化の原因として槍玉にあげられている大気中の二酸化炭素濃度も減るだろうし。って、無茶苦茶たくさん木を植えないとならないんでしょうけど。ははは。でも、エネルギー保存じゃないけど、化石燃料を燃やして大気中に放出された炭素を吸収できるくらい植物があれば問題解決にはならないんですかね。使ってしまった化石燃料の素にもなりますし…何十万年後か何百万年後の話ですが。

そういえば、海上に非常に大きな(直径数百メートル?)風車による発電所を作る計画というのが世界各国であるそうですが、そういうものをバンバン作ったら、今度は風向きが変わったりして(=潮の流れが変わる)環境に影響が出たりはしないのですかね。今あるようなショボイのだったら影響ないでしょうけど、本気で実用化させようとしたらそういう問題は出てこないのかなぁ、なんて素人考えを持ってしまいます。

まあ、それはさておき…
今日は本当に暑いです。特に私のいるオフィスは南側が前面大きなガラス。しかもその窓ガラスは少ししか開かないという温室としか思えない設計なので、ハンパではなく暑いです。だから、緑を植えろなんていうエントリーを書いているんですね。あはは。

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6月19日のアウトリーチ活動の申し込み

大阪市立科学館でのアウトリーチ企画ですが、なんとすでに申し込み人数が定員の300人に達しました。申し込んでくださった方、宣伝してくださった方、ありがとうございます。200人はまあなんとか集められるのではないかと思っていましたが、これほど早く定員の300に届くとは思っていませんでした。嬉しい悲鳴です。

これから気になるのは当日のキャンセルです。申し込みしやすいようにウェブからの申し込みには個人情報を一切記入してもらわないスタイルでしたので、ウェブからの申し込みに関しては申し込み人数ほど来ないのではないかという危惧があります。逆に、1ヶ月弱を残してすでに満員ということは、潜在的にもっと多くの人が来場したいということになりますから、そういう人たちのニーズに応えられないというのも残念です。

なので、事前登録を行わずに当日会場に来てくださる人のために、プラネタリウムホールとは別室に講演会とCERNとの中継の様子を配信しようと準備しています。これが上手くいけば、100人程度は収容できる部屋ですので、当日参加者にもそれなりに対応できるのではないかと考えています。

しかし、今回こういう企画をやって、講演内容とは別に、人を集めるイベントの難しさがよくわかりました。どれくらいの人に集まってもらえるかわからない、ということが難しさの肝なわけですが、会場の制限から頑張れば頑張るほど良いわけではない、というのが通常の私たちの感覚と違った体験でした。どれくらいの人を集めるか、それに応じた会場の確保、そして目標に向けた適切な(=コストパフォーマンスを考えた)宣伝、というのをプロは順序立てて考えていくのでしょうが、素人の私たちは全て手探り。本当にいい経験でした。

って、まだ本番を済ませていないわけで、感慨にふけっている場合ではありませんね。講演内容を良いものにし、技術的な問題も完全にクリアしておかなければなりませんから、これからが準備本番とも言えます。

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個性

数日前に話題になったのですが、王道と思われる研究を個性がないと批判する研究者が結構いるものなのですね。もちろん人と全く同じ研究は研究として成立しませんから論外ですが、面白いと感じるテーマ、金脈が隠されているのではないかと思えるテーマ、そういう観点から自分の研究テーマを絞っていくと、外から見ると一見違いがないような研究テーマが乱立してしまうことはよくあります。でも、そういう面白そうな研究を個性がないからという理由だけで排除するというのは、逆に多くの人が重要と考える研究だけを行いマイナーな研究費を削れ、と言ってるのと同じくらい乱暴な議論の気がします。

研究、特に基礎研究は考え方の多様性が重要だということをちょっと前に書いたことありますが、そのとき重要なのは他からのバイアスを受けないで個人が自分の考え方に基づいて判断することなのではないでしょうか。誰かがこう言ってるから正しいに違いない、逆に間違っているに違いない、そういう偏見をなくして個々人が判断をくだし、その判断が複数あることによって、多ければ多いほど、結果として正しい判断の可能性になることが高い、というのが先人が気づいてきた知恵なのだと私は思っています。民主主義やボトムアップを支持する根源です。

それなのに、人がやってるからやらない。人がやってないことをやることが個性なのだ、と主張するのはただの天の邪鬼なのではないでしょうかね。誰もやっていない新しい研究、あるいは誰もやっていないが金脈が近いと感じられる研究ならいいですが、そうではなくて、「人がやってないこと=個性があって素晴らしい」という単純な行動規範だけで、役に立てる可能性が高いとは思えない古い技術開発にしがみつくというのは、私には理解できません。まあ、そういう天の邪鬼思想も考え方の多様性の一つですからそれ自体を批判するつもりはそれほどありません。ただ、その考え方を人に押し付けようとするのはやめて欲しいものです。

こういう議論をしてると、そもそも個性って何なんだろうって考えてしまいます。世間でも子供の教育などで個性を重視する云々という話をよく聞きますが、個性って持とうとして持てるものではなくないですか。他の人にはないオンリーワンを目指せみたいなことを教育だけではなく、色々なシチュエーションで聞きますけど、そんなオンリーワンの能力だったり実績を作れる人なんて、世の中に滅多にいないわけです。イチローみたいに打つのが上手い人がそんなにいるわけないし、ボルトみたいに速く走れる人間がたくさんいるわけありません。フェルミみたいな天才がうようよしてたら怖いですし、シュレディンガーのように物理で名を残し、若い女性にもてまくり、かつ、奥さんから浮気を公認してもらえるような物理学者になんてなれるわけありません。過去に考えられていなかったアイデアを生める真に個性を持ったアイデアを創出できる人なんてほぼ皆無なわけです。

それなのに、個性を持て、個性を持った研究しろ、等々言い続ける人をみると、お前はどんな新しいことをしたんだと文句を言いたくなります。どっかのコラムでも読みましたが、最近心を病む人が多いのは、個性信仰が強いからではないかと考えている専門家もいるようです。子供の頃から大事に育てられ、他人とは違うんだ、個性を持った人間んになるんだ、と教育を受けてくるのですが、大人になると人と違った能力を発揮してその能力によって生きていける人間なんて極めて数限られてるわけです。大抵は、他の人と同じことをやって生きていくんだということを悟っていかなければならないのに、子供の頃はそれとは真逆の思想を植え込まれるわけです。それって凄く残酷で、心を病んでしまうのも仕方ないのではないかと思ってしまいました。

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酸欠

昨日は安全講習とテストを受けたという話を書きました。色々ある安全講習の中で、昨日受けたのはATLAS実験ホールで作業するためのものでした。

安全というと、色々なポイントがあります。例えば、一般的に重点が置かれるのは火事のときの避難方法、あるいは火事を起こさないための火の用心だったり、実験機材が大きな電力を使っていれば感電しないための注意、などなど色々あります。あとは、高いところで作業するときの注意や、素粒子実験だったら放射線に対する安全の理解というも定番です。

というように色々、安全に実験をするためのポイントがあるわけですが、ATLAS実験ホールでの作業で強調されているのは酸欠にならないための注意です。ATLASだけでなくLHCは地下100m程度にあるので、実験ホールおよび加速器のトンネルは当然のことながら密閉空間です。それだけだったら酸欠にそれほど注意する必要はないかもしれませんが、加速器は、ご存知のように、超伝導を保つために大量の液体ヘリウム(と窒素)を使って冷やされています。また、検出器には大量の液体アルゴンを使っているものもあります。なので、それらが事故で漏れ出し気化すると、密閉空間の酸素濃度がガツンと下がってしまいます。

空気には20%強の酸素がありますが、その濃度が少し下がっただけで人間にはトラブルが発生します。2,3%下がっただけで酸素欠乏症になるらしいです(昨日の講習の受け売り)。ついでに書くと、肺の中の毛細血管を通じて酸素の交換が行われるわけですが、毛細血管から出てくるガスの酸素濃度は約16%だそうです。濃度の濃い方から薄い方へガスの中に溶け込んでる成分は移動しますから、普通の空気の酸素濃度は20%を超えているために、酸素が毛細血管に取り込まれることになります。ということは、逆に、私たちが吸う空気の酸素濃度が16%未満になると毛細血管中の酸素は放出されてしまうわけで、16%未満の空気は吸えば吸うほど血管中の酸素を放出してしまうことになります。

ということで、地下100mの密閉空間にアルゴンやらヘリウムが漏れ出したら、人間にとっては酸欠の危険性大なのです。酸素濃度の探知機とアラームが色々な場所に取り付けられていますし、講習では、以上の酸欠の危険性と、避難方法などに重点が置かれていたわけです。アルゴンは空気より重いから、もしアルゴンが漏れ出した付近を通って逃げないとならない場合はなるべく背伸びして歩けとか、逆にヘリウムの場合は低い姿勢で歩けとか、そういったことが懇切丁寧に説明されます。

ちなみに、学部生の学生実験などでもドライアイスを使うことがあるかと思いますが、実はあれも油断すると危険です。密閉された空間に気化した二酸化炭素がたまると酸欠の危険があります。水をかけて遊んで白いガスが出るのを見て喜んでるくらいならいいですが、密閉した容器の底などには二酸化炭素がたまっており、酸素濃度が低くなっているので、注意が必要です。学生さんなどは(私も?)調子にのって遊びますが、あまり無茶はしないようにしましょう。

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安全講習とか

一昨日の移動ではCERNに着いたのが23時頃。その日はCERN内の宿舎に泊まりますが、その時間ではもうフロントは開いていません。代わりに夜遅くに到着したときは、CERN入り口の守衛のところで鍵をもらいます。日本の研究所のKEKでも同様のシステムです。

鍵を受け取り、宿舎の自分の部屋に辿り着き、そこでまず最初にやることは自分のラップトップを立ち上げ、溜まっているメールにさっと目を通します。流石にしんどいので緊急度の高いメールにだけ返信します。というのが、いつものパターンなのですが、今回は新しいラップトップ(3月末に購入、CERNに持って来るのが初めて)だったために、すぐにはネットワークに繋がりません。CERN内のネットワークに繋ぐには、コンピュータのMAC addressが登録されていないとなりません。ということで、普通ならそんな夜遅くには対応してもらえないかと考えがちですが、CERNの場合この辺のことは全て自動化されていて、ネットワークに物理的に接続後、ウェブブラウザでどこかのサイトにアクセスしようとすると自動的に登録のためのページに飛ばされます。そこで必要事項を記入し待つこと2、3分。最初は「Your request is in que」というメッセージだったのが、「In progress」に変わり、最終的にはコンピュータを再起動しろというメッセージになり、言われた通り再起動すると今度はちゃんとネットワークに繋がります。

CERNでは万事進むのが遅いとよく文句を言ってますが、こういうサービスをトラブルなしで受けられると、腐っても鯛ではありませんが、CERNもなかなかやるなと思ってしまいます。ちなみに、上記の説明はCERNのユーザーにだけ当て嵌まります。外部の人が一時滞在する場合は、身元保証人的なCERNのスタッフが必要なので、あらかじめ知り合いに手配を頼んでおく必要があります。

そんなわけで一昨日、到着当日に無事ネットワークに接続することができました。そして昨日は、ミーティング等にも参加しましたが、私にとってのメインイベント(?)は安全講習。ATLAS実験のコントロールルームに入れなくなっていて文句を言ったところ、必要な安全講習のうちの1つが期限切れになっていたことが発覚。そのために安全講習を受けたというわけです。

ここでもCERNらしいのは、安全講習とはいえ人と一切接触がありません。私が受けたコースは全てウェブ上。スライドやビデオを勝手に見た後、これまたウェブ上でテストを受けます。そのテストに合格し、その情報がデータベース上でアップデートされると自動的にコントロールルームに入れる、という仕組みです。テストのチャンスは2回。2回連続で落ちるとどうなるのかわかりませんが、幸いにも私は1回で合格。ということでめでたくコントロールルームにも入れるようになりました。

別のタイプの講習では、講習会場に行って時間になると勝手にビデオが流れ、そのビデオが終わると自分で登録、といったような流れになっていて、これまた人間と接することなく全ての講習が終わります。徹底した自動化が進んでいます。今回のように、ネットワーク接続にしても安全講習にしてもトラブルなく進むと、便利でいいなぁと思うのですが、一旦トラブルがあるとその処理はかなり大変になります。唯一の連絡方法がメールで、直接人間とやりとりできないので、少し面倒なトラブルになると修復するのに凄く時間がかかってしまいます。トラブルのない自動化システムが一番なんでしょうけど…どれくらいの信頼度で実用に踏み切るのか判断するのが難しいところですね。

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業務連絡など

幾つか業務連絡と、もしかしたら面白いかもしれないウェブサイトの紹介を。

業務連絡その1。
私にだけ見えるコメントを送ってくださった方へ。
記載されていたメールアドレスのほうへメールで返信いたしました。ご確認ください。

業務連絡その2。
6月19日の講演会関連です。メールで申し込んで1日以上経つのに(登録番号を私が手で返信していますので、最大では1日程度遅れることがあるかもしれません。)返事が来ないという方は、受信拒否になっていないかご確認をお願いします。特に携帯でメールされた方、登録されたアドレス以外の着信を拒否する設定になっていないかご注意ください。これまでに、こちらから返信メールを送っても着信拒否で戻って来てしまったケースがあります。

ウェブサイトの紹介。
いただいたコメントへの返信の中で説明したのですが、トムソン・ロイターのサイトは結構楽しめます。私が知ってるのは、毎年恒例のノーベル賞受賞者予想と、これまた毎年恒例の論文引用数をもとにした(ノーベル賞受賞予想も同様の手法だと思います。たぶん)世界の研究機関ランキング。ランキングなんてどういう手法で順位付けをしたかによって大きく変わってしまうので、順位自体に大きな意味があるかどうかわかりませんが、毎年やっているので、順位の変動を見るのはなかなか面白いです。ちなみに、ノーベル医学生理学賞では、ここ数年日本人が最有力とされていました。1人は小川さんという方で、もう1人が審良さんという方です。近い将来、受賞されるといいですね。特に、審良さんという方は大阪大学の人なので、分野は違いますがなんとなく応援(?)しています。いや、ホントは、ノーベル賞効果で大学の景気が良くなるといいなぁ、なんて下世話なことも考えています、はい。でも、本当に受賞されるといいですね。あ、このサイトを見つけるには「トムソン ロイター 学術情報」あるいは「学術情報」をノーベル賞くらいに置き換えてググればすぐにヒットすると思います。

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火山の影響なし

アイスランドの火山の影響が少し心配でしたが、全てのフライトが問題なく、大体順調にCERNに着きました。ただ予定通りとはいえ、家を出てから到着まで23時間はやはり疲れます。が、何度か書いたことあるように、飛行機内で(辛くても)姿勢よく座っているおかげで、腰は肩はほとんど痛くありません。嘘のような本当の話なので、ぜひ多くの人が実践すればいいと思っています。とにかく、座席に深く腰を下ろし、ふんぞり返らない。慣れないとしんどいかもしれませんが、これを守っているだけで後々の腰痛とかに悩まされません。ちなみに、座席のリクライニングは腰痛の元凶です。水平に近くなるならいいですが、エコノミークラスのリクライニングは百害あって一利なしと信じています。

この出だしだけで、常連さんには私が今日何を書くのかわかってしまうと思いますが…そうです、今日も日本→ヨーロッパ便の中で映画を3本ほど(プラス、NHKでやっていた歴史物のドキュメント)観て、いつも通り大泣きしました。

で、今日観たのは何かというと、観た順番にインビクタス、かたつむり食堂、アバターです。あ、ネタバレがありますので注意してください。

インビクタスはネルソンマンデラが南アフリカ国民の気持ちを一つにするためにラグビーに注力した話。マンデラ自身が、もし映画でマンデラ役をやるとしたらモーガン・フリーマンがいいと昔言ったことが縁で、この映画の中でのマンデラ約もモーガン・フリーマンになったんだそうです。ストーリー自身はよくあるスポーツ感動系ですが、涙もろい私のツボ中のツボでして、もう何が何だかわからなくなるくらい泣きました。

余談ですが、私はマットデーモンを結構気に入っていて、もちろんボーンシリーズも面白いのですが、グッドウィルハンティングという映画がお気に入りです。その中での幼友達(=マットデーモンとは実生活でも幼友達)との友情に大いに泣かされます。あと、物理学者としては、映画中の主人公ウィルはやはりカッコいいです。

かたつむり食堂は柴咲コウ主演で、これも十分ハートウォーミングストーリーでしたが、なぜか私のツボにはヒットしませんでした。料理で人を幸せにするという話なのですが、最近、この設定の映画をよく観る(って、全部飛行機の中ですが)からかもしれません。

アバターは話題作ですよね。TくんとUさんの記念すべき初デート(?)で観に行った映画としても、私たちの研究室内では有名…かな??それはさておき、内容に関しては風の谷のナウシカと凄くダブって見えました。自然に対する畏敬の念を持とう、みたいなのは最近の流行なので仕方ないのかもしれませんが、逆に、そういうテーマで作った映画を4半世紀も前にヒットさせた宮崎駿は凄いな、という変な感想をアバターを観て持ったのでした。

おっと、私のブログを読んでる人は私の映画感想文を読みたいわけではないということはわかっているのですが…か来始めたら一瞬のうちにこんな量になってしまいました。

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風向き

研究員と修士課程の学生が卒業してしまったために、ここ1ヶ月強のATLASグループのミーティングは寂しかったのですが、今日から新M1の2名が加わったために、少し活気が戻ってきました。

新M1の1人は4年生のときに理論の研究室、もう1人は学部の時は天文学科だったので、2人とも素粒子実験の経験が若干少ないこと、それから2人とも非常に多くの授業をとっているので研究時間に限りがあること、さらに私の予定が詰まりまくっていてマンツーマンで指導する時間をあまりとれないこと、などの理由で、彼らにどんな研究を始めてもらうのがいいか私の中でも決めかねていました。今日のミーティングでは、他の学生たちの意見も参考にして、とりあえずC++とROOTの勉強を始めてもらうことに決めました。

彼らに何をやってもらうかをどうしても今日中に決めたい理由が実はありました。というのは、私が明日からCERN出張で帰ってくるのが今月末。さらにその後も大学内の委員会等の雑務、プラス研究室旅行等で、今日を逃すと彼らとゆっくり話をできるのが来月10日前後になってしまったからです。とりあえず、1、2週間分(?)くらいは路頭に迷わないで済む程度の宿題を出せたので安心しました。

さて、そういうわけで明日からCERNなのですが、気になるのは風向き。アイスランド周辺の風向きです。昨日か一昨日はヒースローが一時閉鎖されたというニュースを耳にしました。スキポール経由なのですが、トラブルがないことを祈るばかりです。

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痛みのない体育

数日前に新聞で読んだのですが、最近は学校の体育の授業で肉体的な痛みのないものが流行なんだそうです。記事の中で取り上げられていたのは、タックルのないアメフト(腰に布をぶらさげて、タックルの代わりにそれを取る)と、当たっても痛くない跳び箱。学校でそういう物を取り入れるのは、痛いから運動したくないと運動嫌いになる子供を減らすための工夫だそうで、どの世界も現場は色々苦労してるなぁと同情(?)しました。

一方で、記事中にも書いてありましたが、運動してる中で、何をどうしたらどんだけ痛いかを学ぶのも体育の重要な要素なので、何をしても痛くないような工夫をするというのは本当にいいことなのだろうか、と私なんかは疑問に感じてしまいます。物に突進したときの体の痛みを学ぶ機会を奪うって、凄く危険だと思うんですよね。限度がわからないというか。極論だと思いますが、子供の時はガンガン殴り合いのケンカをしてもいいし、少しくらいのケガはしてもいいと私は考えています。ケンカをしろという意味ではなく、痛みを学ぶ貴重な機会だと思うわけです。大人になってから殴り合いのケンカをすると死人が出てしまいますから。

ってなことを書いていて思い出した(偶然、似た内容をどっかのブログで見ました)のですが、将棋って数あるゲームの中でも負けた時の悔しさってダントツではないでしょうか。ほとんど運の入り込む余地がありませんし、オセロとか碁と違って、やるかやられるかの一騎打ちの世界なので、負けた時は自分の全人格を否定されたような悔しさがあります。だからなのかもしれませんが、将棋の対局って決着がついた後、勝ってもあまり喜べません。その最たる風景がテレビでの将棋対局。投了直後の瞬間を見ると、どっちが勝ったのかわかりません。これって、負けた時の尋常ではない悔しさがわかるからこその敗者へのいたわりなのではないでしょうか。何が言いたいかというと、将棋って負けた時の心の痛みが強烈。でもその痛みを知ってるからこそ相手に対して優しくなれるのではないか、と思うわけです。将棋観戦が趣味だからこんなこと言ってるのだと思いますが、なんでもいいから痛みを取り除こうとする現代で、将棋には心の痛みを得る貴重な機会があるのかも、なんて思っています。

別に将棋でなくても、跳び箱でなくても、ケンカでなくてもいいのですが、幼いうちに、負ける悔しさ、肉体的・精神的な痛みを十分経験して子供には成長していって欲しいと考える今日この頃です。いくら親が痛みを避けてあげようと思っても、いずれは痛みに直面することになるのですから。

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備品の処分

研究室の古い備品を処分しようとしています。理学部では年に数回、備品を処分する機会があって、今回は古いディスプレイやオシロスコープ、使ったこともない電子回路、ガスストーブ等々、しばらく前の大掃除で発掘されたガラクタ類を廃棄処分することになりました。どこの研究室にも使わなくなった機器類が山積みされているかと思いますが、私たちの研究室はそういう古い機材が他に比べて多いように感じます。

私は元々物を手元に保存しておかないタイプで、紙で配布された資料なんてすぐに捨ててしまいますし、受け取ったメールなども必要とその場で判断したもの以外は瞬時に削除してしまいます。なので、私の独断なら古い備品はどんどん捨ててしまうのですが、みんなで相談すると、なんとなく(?)まあとっておこうということになって、なかなか古いものを捨てられません。特に、自分で使ったことのあるような機材は捨て難いので、Y教授と相談すると物をとっておこうという方向に圧力がかかりがちです。

ところが、今回は私よりも若い助教のTくんと何を捨てるか相談したので、少し迷うようなものでもガンガン廃棄処分することになりました。使ったこともない、見たこともないような物だと迷わず捨てる方向になってしまいます。当たり前かもしれませんが、使ったことのないものだとその便利さ、有り難さが全くないので、もしかしたら使えるんじゃないか、という判断が全く働かないんですね。

そういうわけで、今回は色々捨てることになったのですが、ただ捨てられるわけではないのでそれが面倒です。大昔に購入した時の記録を掘り起こし幾らで購入したかを突きとめないとなりません。きちんとデータベースで管理されていればそういう記録を探すのも簡単なのでしょうが、残念ながらそんなものはなく、秘書さんに過去の記録を掘り返してもらわないとなりません。将来のためには、これから購入する品だけでもいいからデータベース化したほうがいいのかもしれませんが…諸処の事情によりなかなか難しそうです。

どこの大学や研究所でも、備品の管理はかなり面倒なものとなってると思うのですが、民間の企業では管理はどんな感じなのか興味あります。やはり、10年、20年、30年前に購入した備品の記録を探して時間を潰す、なんてことをしてるものなのでしょうか。あるいは、備品のチェックがあって、大昔に購入した記録がある物品を探す、なんてことをしてるのでしょうか。

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地磁気

この前大学での雑談で話題になったのですが、地磁気がなぜあるのかって、そんなに単純な問題ではないのですね。北極がS極、南極がN極になっているのですから、地球内部に地軸に(ほぼ)垂直な平面内で回転している電流があるということは想像できます。電流があるとその周囲に磁場ができるので、赤道を回るような方向に電流があれば地軸に沿った磁場ができます。

でも、なんでそんな電流があるのかよくわかりません。地球内部の核には液体部分があるので、金属を含んだ液体が対流を起こしてその結果電流ができる、というのが定説らしいのですが、地磁気の向きが一定ということはその対流も一定方向ということで、なぜ対流が一定方向で安定しているのかわかりません。単純には自転の影響かと一瞬考えましたが、数10万年だか数100万年に1回地磁気の向きは逆転してますから、自転によって地球内部の対流が一定方向に保たれているという仮説は正しくないことがわかります。そうなると、一定方向に対流を発生させる原因がわかりません。ランダムに発生するであろう対流が一定方向に揃い、かつその方向がある一定の周期で逆転する…何がそうさせてるのか謎です。

この話をしていたメンツは、対流が原因というのは本当なのかという部分をそもそも疑い始めましたが、どうやら地球科学業界(?)では定説らしく、対流が一定方向に揃う原因について説明するモデルがあるに違いありません。いやー、どういうメカニズムなんでしょうね。

数日前に葉っぱの色についても謎だと書きましたが、ちょっとだけ「なぜ?」を繰り返すと途端に私たちの世の中はわからないことだらけになってしまうものですね。

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科学館で打ち合わせ

昨日はYさんともども科学館へ行って打ち合わせをしてきました。全体の流れを確認したり、どうやって進行するかなどを相談しました。まあ、それくらいならメールや電話でもできるわけで、わざわざ行った本当の理由は、私たちが講演のときに使うラップトップコンピュータをどうやってプロジェクターに繋ぐか、CERNとの中継を行うにあたって科学館側のネットワークからCERNがちゃんと見えるか、を確認することでした。

私はMacを使っているので基本的にはapple remoteという赤外線のリモコンを使うのですが、科学館のプラネタリウムホールは講演や講義のための部屋ではないので、講演者近くにコンピュータを置くことができません。ということで、コンピュータまでの距離が30m近くあり、赤外線のリモコンではコントロールすることができませんでした。RGBの延長ケーブルでコンピュータを5mくらい近づける(=講演者の立ち位置から25mから20m強くらいか?)となんとか反応するので、最悪それでコントロールできるとは思うのですが、やはりパワー不足。RGBケーブルをさらに伸ばすというオプションもあるのですが、コンピュータを置く適当な場所がないということもあって、より強力なリモコンがあればそのほうがベターです。

そういうわけで、Mac用のリモートコントロールで強力なやつがないかと今ググってみてるのですが、標準のapple remoteばかり検索にかかってしまいます…月曜に、Mac信者(教祖?)のY教授に相談するのがいいかもしれません。

ネットワークに関してはゲートウェイでポートの制限をされてるらしいので、何を見ることができるのか幾つか試してみましたが、少なくとも私たちが普段見ているCERNのネットワークは見えそうで、なんとかなりそうという印象を持ちました。そこで、何かの設定をいじるとかはしないで、とりあえず6月早々にでもCERNから実際にリアルタイム映像を送ってテストしてみることになりました。

あと、問題になったのは、予想していた以上に参加申し込みが順調に増えてること。いや、それ自体は問題ではなくもちろん嬉しいことですが、参加したい人が参加できないというのは避けたいですし、だからといって会場には定員があるし、と、ちょっとしたジレンマに陥っています。

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理解不能

突然ですが、無茶苦茶な行動なんだけどその行動をとってる人の気持ち、というか行動規範(原理)を理解できる場合と、その逆のケースがありませんか。

例えば、政治家の言動は非論理的だし、日常生活であれだけ言ってることとやってることが不一致してる集団というのは私は見かけたことがありません。ですが、彼らにとっては論理の一貫性、約束を守ること、誠実さ、そういう一般生活で美徳と考えられている(?)ことは全然重要ではなくて、いかに政争で有利に物事を進めるか、いかに選挙で票を集めるか、という点のみが重要視されていると考えれば、非常に首尾一貫した行動で、電弱相互作用や強い相互作用がゲージ原理で規定されているように、彼らには行動原理があるんだな、と納得、というと語弊があるかもしれませんが、とにかく理解できます。

これに対して私が逆だと言ってるのは、裁判所(というか司法?)です。私があまりにも不勉強だからというのが大きな理由なのかもしれませんが、新聞等で目にする判決、量刑が全く理解できないことが多いです。裁判所というのは正義の味方で、ケンカになったときに正しく裁いてくれる場所、という子供が持つのと同じようなイメージを持っているので、その行動規範というのは多くの人が考えて公正にすることだと思ってしまっているのですが、違うんですかね。2、3日前の新聞で読んだ記事で、警官が他の共犯者とともに人を監禁して暴行を繰り返したという事件の判決結果を読んで驚きました。懲役2年執行猶予3年(?)だかなんだかで、とにかく実刑ではないんです。ちょっとした口論からケンカになり相手を怪我させたとかいう話ではありません。複数の仲間とグルになって人を拉致、監禁して、数日に渡り暴行を加え、しかもその犯人が警官。なのに執行猶予付きって…理解不能です。

あと、前にも書きましたが被害者感情で量刑が変動するのも全く理解不能。身寄りのない人と身寄りのある人の生命や権利に違いがあると言ってるのに等しいわけで、なんでそんな無茶が、正義を司ると多くの人が信じている司法でまかりとおるのか本当に理解できません。

これらは端的な例で、とにかく司法関連では理解不能なことが多くて、どういう原理にのっとって司法関連者が行動しているのか気になります。公正であるべきという原理にのっとってはいるが、彼らの考える公正さと少なくとも私が考える公正さとは大きく解離しているということなんでしょうかね。だとすると、例えば、人の命を奪うことと刑務所で10年くらい生活することが等しいと判断できちゃう源はどこから来るのか不思議です。


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ゴールデンウィーク明けてから

ここ数日は割と長いエントリーがあったりして暇なのではないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、ゴールデンウィーク明けてから、なんだかんだと忙しい日々が続いています。今年度も昨年度に引き続き、大学雑務の担当がかなり重荷で、自分の研究をする時間がないどころか、研究室の修士の学生さんとのゼミや、学部生への実験の指導をする時間すらありません。何度も書いてることですが、研究時間が無くなるだけならまだしも(それも大問題ですが)、教育の時間まで雑務で削られている今の大学はホントに危機的な状況です。

大学の雑用以外に何をしているかというと、例の実験グループ内の国際会議での講演者候補選び、次の学会のプログラムの調整、などなど…うーむ、やっぱり雑用でしょうか。ただし、これらは雑用と言っても研究絡み。誰かがやらなければならない重要な仕事であります。とは思うのですが、去年くらいからこのテの仕事が異常に増えています。少しづつならよかったのですが、色んな物事が一度に降ってきた感じで首が回らなくなっています。

と、ブチブチと愚痴って今日のエントリーは終わり。しかし、研究室のゼミと実験指導はホントなんとかしなければ。雑用の合間を縫ってCERNへの出張もかなり入っているので、油断してると学生さんたちと都合のつくのが月1回とかになってしまいそうです。


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水商売

数日前に新聞で、キャバクラ経営者が数億円の脱税をしていたというニュースを見ました。数億円の脱税ということは売り上げはウン10億、下手したら100億の単位です。しかも、資本金が確かa few x 100万円だったと報道されていたと記憶してます。数値を見せられると、ちょっと儲かる店というのは途方もない利益を上げているものだと驚き、水商売という言葉を思い浮かべずにはいられませんでした。

でも、水商売という言葉は日本ならでは、なんですかね。ヨーロッパに行くと感じるかと思いますが、水高いですよね。ジュネーブあたりではただの水道水をレストランでも頼めますが、基本的にはミネラルウォーターを飲んでる人が多いのではないかと思います。その水ってビールやワインより油断すると高いので、安い水を高い値段で売るという商売が成立しません。なので、ヨーロッパなら水商売ではなく、水道水商売と呼ばないとならないのかな、なんてくだらないことを考えます。ともかく、日本は水が豊富な国ですよね。

そんなくだらないことを考えていて思いついたのですが、国が違っても同じような発想がもとになってる諺がある一方で、全く同じ表現なのに意味が違うことわざがあるのって興味深くないですか。例えば、覆水盆に返らずということわざがありますが、同じことを言わんとする英語の諺もあります。一方で、これは最近仕入れた知識なのですが、転がる石は苔むさないという諺は、アメリカと日英の解釈が逆なんですね。アメリカだと活動的というか、一箇所にとどまらず新しい環境に身をさらすことは、能力を錆び付かせない、つまり良いことだという諺なのに、日英では、落ち着きのない人間には能力がつかないという悪い意味になっています。最近は日本でもアメリカ風の解釈が多くなり、辞書には併記してあるのだそうですが…。

という具合に、全く同じフレーズなのに意味が逆になるというのは、その国、地方の考え方を反映していて、かつ日本での解釈がアメリカ風に変化しているという点は、面白いですね。ただ、アメリカが嫌いというわけではありませんが、なんでもかんでもアメリカの考え方、やり方を取り入れようとする風潮は私は好きではないので、ちょっと悲しい現実を目の当たりにした感じがします。


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学問の名前

大学にいて学部生と話をしたり、一般向けの講演のようなもので高校生と話をすると、宇宙という言葉のついた学問は人気があるなぁ、と毎回感じます。別に大学生や高校生に限った話ではなく、それほど科学に興味の無い人でも「宇宙」という言葉に興味を示す人は多いように感じます。

でも宇宙と一言で言っても色んな意味がありますよね。だれそれさん(誰でしたっけ?最近スペースシャトルに乗って琴を弾いたのは?)宇宙へ行くなんていう新聞記事の見出しを見るたびに、「宇宙」ってなんだよ?と一人ツッコミを入れています。いや、その使い方で間違ってないんだと思いますが、地球の大気圏外という意味(なのかな?)での宇宙空間(space)のことも、私たちが存在する時空間のこと(universese)も、下手すると天文学的な対象、月とか惑星とか銀河とか、そういうものぜーんぶを日本語だと宇宙って言っちゃいますよね。

いや別にそれだけなら何も言いたいことはないのですが、素粒子物理学ってuniverseの研究なのに、他のspaceや天文の研究に比べて宇宙の研究というイメージが浸透していなくて、色んな面で損をしてると思うんです。中学生、高校生、はたまた大学生への人気度、一般の人からの支持され度合い、その結果として大型予算の獲得度合いにすら響いているのではないかと思ったりもしてしまいます。なので、6月にやるアウトリーチでもそうですが、最近の私の一般向けの解説では、素粒子物理学=宇宙の研究なんだということを宣伝しようという意識がかなりあります。

さて、じゃあなんで素粒子物理学が宇宙の研究かというと、この世が何からできていて、どういう力が働くのか、私たちの住む時空の構造はどうなっているんだろうか、ということを研究するのが素粒子物理学ですから、この世=宇宙と思えば、この世の成り立ちを研究する素粒子物理学は宇宙の成り立ちを研究する学問と言って全く差し支えないのではないでしょうか。さらにSUSYではhidden sectorなんていう私たちが行くことのできない世界、あの世を予言するモデルがありますし、余剰次元という理論では私たち(の住む宇宙)は膜の上に存在するという描像だったり、という具合に、まさにuniverseという意味での宇宙の姿を研究しているわけです。

さらに、宇宙の成り立ち、宇宙の始まりを理解するための学問はまさに素粒子物理学です。ということで、初期宇宙の歴史を振り返ってみます。って、エラそうに書いてますが、Particle Data GroupというアメリカのLBNLの研究グループが作ったHistory of Universeという有名な図を見ながら以下のエントリーを書いています。

宇宙が生まれた0.00000000000000000000000000000000000000001秒後くらい(というか定義できる最小の時間単位、というか時間の始まり?)の世界の物理法則を記述するのが量子重力ですが、まだ人類はそういう理論を手に入れていません。この世界では、今の宇宙では4つに見える力が1つの力だったと考えられています。

宇宙が生まれた0.0000000000000000000000000000000000001秒後くらいには、電弱相互作用と強い相互作用が分離しました。インフレーション、宇宙の急激な膨張があったのもこの時期だと考えられています。素粒子がいつどのようにして生まれたのかはわかっていませんが、このインフレーションを起こす力の源のようなものから素粒子が生まれたのではないか、なんていう考えが最近の流行(?)だったりします。どのようにして生まれたかはひとまず置いておくとして、とにかくクォークとかレプトン(電子の仲間の総称)が生成され、それらが単独で(陽子や中性子などを作らずに)、というかプラズマみたいな状況ですね、宇宙に存在していました。物凄い高温高圧の状態で、クォークやレプトンが激しく衝突し合っている、そんなイメージです。

宇宙が生まれた0.0000000001秒後くらいに、電磁気力と弱い相互作用が分かれます。ヒッグス場の相転移により、素粒子が質量を持ったのもこの時期だと考えられています。ちなみに、世界最高エネルギーの加速器で到達できるエネルギー、すなわち再現できる初期宇宙の状態というのはこの辺りです。

宇宙が生まれた0.00001秒後から1秒後くらいになると、クォーク同士が束縛状態を形成してハドロン(3つのクォーク、あるいはクォーク・反クォーク対から形成される粒子の総称)を形成します。uクォーク2個ととdクォーク1個で構成されるのが陽子、uクォーク1個とdクォーク2個で中性子です。私たちが実験を行って観測できる粒子というのは、これらハドロン(あるいはレプトン)です。つまり、私たちが今実験で観測できる最小の粒子達がこの頃の宇宙を飛び回っていたということになります。

ここから後の歴史については、私の知識はとたんに怪しくなります。つまり、素粒子物理学というのはこれ以前、誕生して1秒以内の宇宙の姿の研究ということになります。ここまで書いたので、怪しい知識をもとにもうちょっとだけ先を続けると…

宇宙が生まれた1分後くらい、ワインバーグの有名な著書によると3分間となっているので3分後なのでしょうか、になると、陽子や中性子が束縛状態を作り始め、水素やヘリウムなどの軽元素の原子核が形成されます。まだ、原子は形成されない、つまり、原子核や電子がプラズマ状態で宇宙空間を占めています。光はプラズマ中の電子などに散乱されていまうので、いわゆる宇宙が不透明な時代です。

宇宙が生まれた38万年後くらいに、有名な宇宙の晴れ上がりがあります。原子核と電子がくっついて、つまり原子を作ることで、光が電子に散乱されずに宇宙空間を進めるようになったのです。その時に放出された光が有名な宇宙背景輻射です。3ケルビンという温度の電波なわけですが、宇宙が生まれた38万年後ということは今から137億年前の光を今私たちが見ているわけで、それゆえ宇宙最古の化石なんて呼ばれたりもします。逆に言うと、宇宙が晴れ上がっていなかったために、これよりも昔の宇宙の光を今の私たちは見ることができないんですね。

ちなみに、太陽でも似たようなことが起こっています。太陽の熱というのは、太陽内部で発生してる核融合による熱が外に徐々に伝わるわけですが、外側に伝わるには長い年月がかかります。確か何千万年もかかっていたと思います。つまり私たちが感じている太陽の熱(と言っていいのかは微妙ですが)というのは、大昔に太陽内部の核融合で発生した熱なんですね。それに対して、核反応で生成されるニュートリノは相互作用が少ないために一瞬で太陽の外側に到達、結局地球に到達しますから、太陽ニュートリノの観測というのは、太陽内部の核反応のリアルタイム観測ということになるのだそうです。

…脱線しましたが、話を戻すと、原子が生成された後は、えーと、私にはもう説明する力がありません。原子物理だか化学の範疇になって、宇宙が誕生して何億年も経ったころにようやく星が生まれるはずです。それらが銀河団を形成して、うんぬんかんぬんというのを研究するのが天文学ということになるのだと思います。

つまり、星が生まれた頃にはこの世という意味での宇宙はもう完全にできあがっていて、その世界の物質の相互作用もすでに解明されてしまっているわけです。星は綺麗ですし、ハッブル望遠鏡などが映し出す銀河(団)の写真というのは本当に美しいです。が、星が光り出すよりも遥か前の宇宙の姿を探ろう、宇宙の始まりを探ろうというのが、素粒子物理学なのです。美しい写真を見せることはできませんし、名前に宇宙はついていないのですが、宇宙を研究するのが素粒子物理学だということを多くの人にわかってもらえるといいなぁ、なんてことを考えていたら、とんでもなく長いエントリーとなってしまいました。


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特別研究員申請締め切り

学振の特別研究員申請の大学内の締め切りが明日に迫っています。博士課程の学生を経済的にサポートするシステムで、学生自らが研究計画を提案し、採用されると給料(と呼んでいんですよね?)と研究のための費用をもらえます。博士を取得した人が申請するカテゴリーもあって、そちらはポスドク支援というわけです。日本唯一と言ってもいいくらいの数少ない若手研究者支援システムで、狭き門なのですが、これに採用されるとされないとでは天国と地獄ほどの差があります。

今回は私の指導する学生のうち2人が申請。ここ数日は彼らの申請書の添削に追われています。というか、添削する段階にまで到達していない場合もあったりして、かなり厳しく指導しています。学生にとっては初めての研究提案書的なものなので、書くのが難しいということは重々わかるのですが、コメントを求められるとついビシバシと指導を入れてしまします。

もちろん採用されるに越したことはないのですが、こういう申請書を書くことで学生たちの勉強になっているのはなかなかに悦ばしいことです。例えば、Oくんは「この申請書を書いて、自分がどういうことをこれからやっていくのか自分の中で見えた気がする。」という嬉しい発言をしてくれました。しかも、「申請書を提出する締め切り前日の今日になって初めてわかった」というオチまでつけてくれます。

私の指導する学生だけでなくY教授の学生たちも同じで、今日はみんな申請書を一生懸命書いてるはず(?)です。いえ、私たちの研究室だけでなく大学中、あるいはタイミングは微妙にずれますが、全国の大学の大学院生が今は一生懸命申請書と格闘しているんでしょうね。頑張ってください。

おっと、そういう私も推薦書を書かないとなりません。アブナイ、アブナイ。これから書きます、はい。


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葉はなぜ緑色

昨日のエントリーの続きみたいな内容ですが、私は子供の頃に色に興味を持ったことがあります。白い服、青い服、赤い服、黒い服、なんで違って見えるんだろう、というようなところから始まって、ガラスはなんで透明なんだろう、金属はなんで光を反射するんだろう、というような具合です。まあ、よくある子供の頃の疑問です。もう少し大きくなると、火は酸化反応だと学校で習いますが、なんで酸化反応が光を出すんだろうとかなり長い間疑問に思っていました。

後からわかることですが、単純な色の違いというのは単にどの波長の光を吸収・反射するかの違いなだけですが、さらにツッコんで、なぜその波長の色が吸収あるいは反射されるのか、というのは実は大学で物理を学んで私は初めてわかりました。同様に、大学で物理を学んで、ガラスや金属それから炎についての長い間の疑問がとけたときのスッキリ感というのは今でも忘れません。一言で言っちゃうと、全部電磁気学なんですね(荒っぽいか。原子や分子の構造と、電磁波の散乱なので、突き詰めて言うとやっぱり電磁気ですよね)。あ、炎の話は熱・統計力学です。

つまり、繰り返しになりますが、子供が思いつくような素朴な疑問というのは深遠な質問である場合が多くて、そういう疑問力というのは科学では非常に重要なんですね。くだらない質問はないということを学校でぜひ教えて欲しいと思っています。大学でも口を酸っぱくして言ってるんですけど…質問をしない習慣を12年間も叩き込まれた学生がその習慣を打破するのはなかなか難しいです。きっと、中学高校でも手遅れで、幼稚園から小学校くらいで疑問を大切にする習慣をつけてもらわないと手遅れなんでしょうね。

ところで、今回のエントリーを書いていて思ったのですが、葉っぱはなんで緑色なんでしょうか?

葉緑素が赤と青あたりの波長を吸収して光合成してるから、逆に緑色の光を光合成に使わないから緑色に見えるんでしょうけど、なんで緑色を光合成に使わないんでしょうね。素人考えでは、より短波長とより長波長の青と赤を使えるのにその中間の緑を使えないというのは勿体ない、非効率極まりない話だと思うのですが…なんでなんでしょう。


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子供は科学者

今日は家でゆっくり静養しました。そのおかげか、いや単に時間が経ったからだけなのかもしれませんが、体調はだいぶ良くなりました。久々に食欲も湧いて、胃腸の調子も正常時の7割程度の能力に戻ってきた感じです。明日もう1日ゆっくり休めば元に戻るのではないかと期待しています。

家でのんびりしてたおかげで、読書なんていう贅沢な時間の使い方を今日はしてみました。いや、たった30分か1時間程度なので、そんな大袈裟な話ではないのですが、その読書は非常に有意義で、こうして今日2回目となるエントリーを生み出しました。ははは。以下は、その本を読んで考えたことです。

よく言われてることですが、幼い子供はあらゆることに「なぜ?」という疑問を抱きますよね。科学者の研究ネタはまさにそういう「なぜ?」なわけで、全ての子供に科学者としての素養が備わっていると感じます。それが、小学校か幼稚園か知りませんが社会生活を始めると「なぜ?」という疑問を抱かなくなるようになります。私にとってはそれが「なぜ?」なのです。

たぶん、あまりに素朴で本質を突く質問は、周りの大人を鬱陶しがらせ、そのうち友達を鬱陶しがらせ、そういう質問をしてると仲間はずれにされる、みたいなことを感じ取るんだと思うんですね。例えば、地球は丸いって本当か、なぜ丸いとわかるのか、もし丸いとしたらなぜ丸いのか…といった感じで質問を続けていくと、多くの大人は答えるのに面倒になってしまうのではないでしょうか。科学者と呼ばれてるような人種はそういう質問を投げかけられると嬉しくなってしまうのですが、そういう人が少数派なのは明らかです。

とすると、全ての子供が備えている科学者としての重要な素質、何事も「なぜ?」と思える能力の芽を摘んでいるのは周りの大人なんですかね。もちろん、全ての子供を科学者に育てなければならないなんていうことは全くないので、マクロ的にはそれはそれで構わないのですが、科学者の端くれとしてはそれは悲しいし、科学を広めたいと常日頃思っている私としては、なんとかそういう子供の好奇心を良い方向へ持っていけないかと考えてしまいます。

ただ、具体的にどうしたらいいのかというのは難しいですよね。全ての質問に答えられるわけないし、大人は子供よりも忙しいですから、いちいちつきあってられないという面もあります。ちなみに、うちの場合だと、わかることはもちろんできるだけ答えますが、自分の知らないことは知らないと、世の中でわかっていないことはわかっていない、と正直に答えます。

ここで、今日読んだ本が登場するのですが、その中では、さらに子供と一緒に調べてみるというのを勧めてました。時間が許さない場合もあるので、そういう時は子供の好奇心の勢いに任せて自分で調べさせるとか、「大人になったら君がそういうことを研究して」と言ってみることを勧めてました。要は、子供の好奇心をいかにそがないようにするかということなのですが、確かに全ての大人がそういう態度をもし取ったら、子供の科学への興味というのは今とは大違いになるかもしれません。

ところで、これもその本に書いてあった内容に誘発されて考えたことなのですが、子供は物事はなぜ?と疑問を持つのに、人をあまり疑いませんよね。なのに、成長するにつれて、物事に対する疑問や懐疑的に考える態度というのはどんどん欠落していくのに(例えば、教科書に書いてあることを鵜呑みにします)、人を疑うようになるというのはなかなか不思議ですね。エネルギー保存じゃないけど、人が疑問に思える物事の量には限りでもあるんでしょうか。ははは。


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文化の違い

中国でのパクリ問題が最近ニュースになってますね。スピッツのパクリと言われてるやつがウェブ上にあったので聞いていましたが、世間で言われてるように、似てるというレベルを越えてます。怪しげな人たちが海賊版で儲けるというレベルではなく、万博という世界が注目する場ですら海賊版を堂々と使ってしまうのですから…凄いですね。

って、まあ、中国のパクリ問題は今更な話題なわけで、国民性の一つみたいなもんだと私は認識しています。日本に住んでる人の価値観からは悪いこと、恥ずかしいこと、なのですが、彼らにはそういう感覚が無いか、あっても非常に希薄なのではないかと感じます。それに、日本が世界に誇る技術も基本はパクリだし、そもそも私たちの最近の生活様式や考え方も欧米、というか主にアメリカ、のパクリだし…なんてことを考え出すと、そんなに目くじらを立てる気がしなくなってしまいます。もちろん、著作権法の問題はそれとは別次元ですが。

国民性の違いは、国際共同実験をやってると日々感じます。博士課程の学生の頃にアメリカに住んで研究生活を送っていたときは驚きの連続でした。アメリカはアメリカ人だけではなく、アジア系を筆頭に世界各国から人が集まってますから、国民性の違いや文化の違いを肌で感じるチャンスに事欠きませんでした。人のオフィスの机を平気で漁る人たちに驚いたり、釣りの計算をしない店員に驚いたり、と、日本で生活してると体験できないことを色々体験しました。

こういう違いを持った人たちと共同で研究を進めるのは、忍耐と慣れが必要です。というか、どうやって物事を進めて行けばいいのか学ぶ必要があるんでしょうね。何事も相対論で、私たちから奇異に映ることは、相手が私たちを見ても奇異なんですよね。なので、違いを議論するのはそれはそれで興味深いことなんですが、実際に何らかのプロジェクトを共同で進める時には、違いを議論する方向に持っていかない工夫が必要です。私たちの場合は、科学、物理という共通言語、共通理解があるからまだましですが、外交って大変なんだろうなとつくづく思うことがあります。私がやってることも最近は物理を離れてcollaboration内の外交問題だけ、なんてことがあるので、余計にそう感じます。


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重力

唐突ですが、重力って変な力ですよね。

誰かに何かを説明するには、自分の頭の中でぐしゃぐしゃになってる知識を順序立てて整理しないとならないので、説明する側の人間もよりすっきりと物事を理解できるようになることがあります。あるいは、漠然となんとなく感じていたことを、より具体的に考えるきっかけとなることがあります。

先週末の大学のオープンキャンパスのとき、一緒に解説をしてたYさんが「重力って変な力です」ということを言ったんですね。重力以外の力の場合、それらの力の源となる荷があります。電磁気力なら電荷ですね。それらは量子化された、つまり、1、2、…のようにとびとびの値をとります(整数でないこともありますが、とにかく連続的ではありません)ので、働く力の強さもとびとびになります。ところが、重力の場合、力の源は質量ですから働く力は質量を変えれば連続的なんですね。この説明はもっともで、私も漠然と冒頭に書いたように変な力だよなぁと感じていました。

これは、重力以外はゲージ対称性という美しい対称性に基づく原理によって記述できるけど、重力だけはゲージ原理で記述できていないからなんですね。で、もうちょっと考えると、重力だけは量子力学的に記述できていないわけで、重力も含めた全ての力を統一的に記述しようとすると、世間でよく言われているように量子重力なる理論が必要です。もし、そういう理論が構築されて自然を正しく記述できたとしたら、重力の強さだけが連続的で変という冒頭の違和感を誰も感じなくなるのかもしれませんね。

ということで、変と感じること、違和感というのは、物事をきっちりと理解できていないからなんだなぁ、と「重力が変な理由」をもし説明するには…とYさんの話を聞きながら考えていた時に至った結論でした。

いや、しかし、重力までの統一、できるんでしょうかねぇ。アインシュタインが何年も固執して頑張ったけど達成できなかったので「アインシュタインの夢」とよく表現されますが、今や多くの人の夢ですよね。もしそこまで行ったら、プランク時間付近の理解が進むわけで、宇宙の始まりの理解に本当に近づくことになります。

ちなみに、そこまで到達するには現在の人間の知恵では超対称性が存在しないとどうも上手くいかない、ということを前に書いたことがあります。だからこそ、超対称性には夢がある=宇宙の始まりの理解に繋がる、ということで多くの実験家が色々な方法で探しているんですね。LHCでなんとしても見つけたいです。


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腹具合

ここ数日腹具合が悪くて困っています。一昨日は吐き気、昨日は腹痛と下痢がひどく一日中寝ていました。腹が痛いのもつらいですが、そのおかげでここ数日マトモに食事を摂っておらず、体に力が入らないのが困ります。医者に行くなり、もう1日くらい寝ていたかったのですが、今日はやむにやまれぬ事情で大学へ来ました。仕事を早く終わらせて帰りたいのですが、いつになることやら。


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ゆで卵の黄身

早く家に帰って来たので、息子とテレビを見ました。NHKが子供向け(?)にやっている科学番組で、今日のお題は黄身が真ん中にあるゆで卵を作るにはどうしたらいいか、でした。

卵を転がしながらゆでればいいという話は聞いたことがありましたし、単純に考えれば、黄身と白身で重さが違うのだろうから(逆に、もし違わなかったら偏りませんよね)白身が固まりつつあるときに回転させておけば黄身が真ん中に来るはずです。でも、そんな単純な話ではないのかもしれないと期待に胸を膨らませ、過剰演出に耐えつつ番組を見続けたのですが…結論は単純に考えた通り。肩透かしをくらった気分でした。

ただ、自戒の念を持って今こうしてエントリーを書いているのですが、そういう当たり前のこともきっちりと実験するというのは大切かもしれません。実験というのは、理論的な仮説を検証しどの仮説が正しいのか判断したり、ある変数を測定することで新たな知見を得ようと行うわけです。ただ、素粒子物理学というのは高度に体系化されて、現在のところ、標準模型という理論体系であらゆる実験事実がほぼ矛盾無く説明されてしまっています。自分が研究を始めてから今まで、この標準模型の呪縛から逃れられていない、というのが高エネルギー物理学の趨勢です。

そのせいなのか、この業界にいる多くの人間が、なんらかの理論的仮説の検証実験ばかりを提案している気がします。それに比べて、例えば、近隣の分野である宇宙線などは、とりあえず測ってみる的な実験が多くてときたま羨ましくなることがあります。私は素粒子物理が好きなので、そういう実験の物理が素粒子物理学ほど魅力的だとは思わないのですが、実験屋の観点からは魅力を感じることがあるんですね。

今日の番組では、理屈とか原理なんて考えないで、とりあえず番組に出演してる女子高生(?)が色々試してみるのですが、頭を空っぽにしてとりあえず手を動かしてみるというのは、重大な発見(=理論的に考えられていなかった現象)をするには大切かもしれないなぁ、なんてことを感じてしまいました。

ただ、そういう実験を行えないのは標準模型の呪縛だけではなく、科研費に代表される外部資金を獲得するための制度によるところが大きいのかもしれません。私たちの分野に限った話ではありませんが、研究計画を提案して予算を獲得しようと思ったら、こんな面白いことがあって、こういうことをやればこういうことがわかる、あるいはこういうことができるようになる、と申請書を書かなければなりません。人間なんてアホなんだから、理論によるバイアスを忘れてとりあえず真摯に自然と向き合ってみます、なんていう実験計画は採用されませんから、自然と面白そうな仮説を検証するための実験が増えてしまうんでしょうね。

そういう意味では科研費には萌芽研究という種目があって、成果が必ずしも期待できなくてもいいから、一発新しいことをやってみるのを助成するというお題目なのですが、本当にそういう機能を果たしているなら大切な種目ですね。

…ゆで卵の黄身から、全く関係ない話題になりましたね。ははは。


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創作

とある事情により(と言ってもその理由を推測できるのではないかと思いますが)、大阪市立科学館の会員向けの会報に不定期ながら記事を書くことになりました。すでに1回寄稿し、つい最近2回目の原稿を先方にお送りしたところです。私たちの研究を少しでも多くの人に興味を持ってもらういいチャンスだと思い、与えていただいた機会を活用させてもらっているわけですが、創作活動というものが大変だということを身をもって感じています。私の文章なんて、創作活動と言うほどのものではないわけですが、それでも、締め切りまでに作文するというのはなかなか大変なものです。

こういう経験をしてみると、小説家とか漫画家が締め切りに追われる大変さがよくわかります。何が大変って、書くネタを毎週か毎月か知りませんが、ある期間で絞り出さないとならない、というのは相当ツライでしょうね。画家や音楽家といった芸術家も同じかもしれませんが、無から何かを作り出す、創造するというのは、ネタというかインスピレーションというかそういう物が必要なわけで、いくら頑張っても出てこないときは出てこないんでしょうから、恐ろしい職業ですよね。

ただ、今書いてて思いつきましたが、あだち充という漫画家は逆の意味で凄くないですか。毎回毎回、ストーリーどころか、題材も、登場人物のキャラ立てまで一緒。しかも1作や2作ではなく、何作も一緒。それなのに、どの作品もそれなりにヒットしているみたいですから、これはこれで本当に凄いです。多くの人に共通のツボ中のツボを突いているんでしょうが、その金脈を掘り当てた腕前は見事です。

おっと、こんなことをダラダラ書いている私は、ゴールデンウィーク中なのに宿題に追われる毎日です。雑務をこなすときの決まり手で、逃避活動に走ってしまっています…。


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プレゼンテーションのスライド

講義や講演などのときに、いかに分かりやすいスライドを作るか、というのは私たちが常々悩んでいることなのですが、プレゼンテーションのスライドで頭を悩ませているのはビジネスや教育の世界だけではないのですね。

と、いきなり何を言ってるのかわからないかもしれませんが、まずはこのスライドを見てください。
US military strategy
スラドからのネタなのですが、上のスライドはアメリカ軍がアフガニスタンで軍事行動をした際に使われたスライドなんだそうです。いやー、見た瞬間吹き出しそうになりました。このスライドが何らかの説明の手助けになるとは到底思えません。元々、細かい字をぎっちり並べるわかりにくいスライドを作る人がアメリカ人には(ヨーロッパ人にも)多いのですが、流石にこれはやり過ぎだったようで、アメリカでさえジョークとしてこのスライドがよく使われるようになってるんだそうです。ちなみにこれを見た司令官だかは、「これが理解できれば、戦いに勝てるということか」と冗談まじりに語ったそうな。

そもそも私はスライドに情報を詰め込むのが嫌いだったのですが、しばらく前に「プレゼンテーションZen」という本を読んで以来、さらにその傾向を強めていて、Y教授が学生に「理科系の作文技術」を勧めているように、私は全てのスライド作成者にプレゼンテーションZenを勧めたい今日この頃です。いや、その本がそこまで素晴らしいとまでは思わないのですが、とにかく情報過多のスライドを作る人が多いので、シンプルなスライドを作る人が増えることを願っている、というのは本当です。

しかし、上のスライドを作った人にはぜひプレゼンテーションZenを読んで欲しいものです。あるいは、敢えてやることありますが、一枚だけすごくわかりにくいスライドを入れて注目を集める、というテクニックだったんでしょうかね。


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