ATLAS at Anywhere (旧 ATLAS at Osaka)

研究の多様性

集団としての方向性を決める場合、考え方の多様性が大切なのかもしれない、みたいなエントリーを数日前に書きました。で、今日言いたいのは、研究、というかもう少し広く学問には多様性が重要なのではないか、ということです。

何をすべきかわりとはっきりわかっている分野、進むべき方向がわかって世界的な競争が繰り広げられている応用科学、あるいは技術開発には一極集中で資本と人間を投入するのはやむを得ませんが、基礎科学の分野で研究の取捨選択をすることは非常に難しいし、危険なのではないかと感じています。自然の真理を探究する学問分野で、その学問の重要性を順位付けするというのは、自然を甘く見た、人間が何でも理解してると勘違いしてる、非常に傲慢な考え方だと思うんですね。いや、もちろん、リソースは有限ですからなんらかの順位付けが必要で、取捨選択しなければならないのは仕方ないのですが、仕方ないからそうするのではなく、単なる効率追及で取捨選択しようとするのは間違いではないかなぁと思うのです。

研究、に限らず勉強もそうですが、すればするほどわからないことが多くなり、研究する、勉強するというのは、人間がいかに自然を理解していないのか、ということがわかるための行動のようなものです。人間が理解してることってホントにちっぽけだなぁとよく呆れ返ります。だから、科学者の信じている(?)真理(というか、人間の理解の枠内で正しいと思っていること)というのは時代とともに変わっています。真理が変わらないのは宗教だと私は思っています。まあ、真理は信じるか信じないかにかかわらず1つあるわけで、科学の場合は正しい理論と呼ぶべきでしょうか。それが大きく変わることがパラダイムシフトなわけですが、過去を振り返るとそういうことが何度も色々な分野で起こっていますよね。天動説→地動説なんていうのはその典型で、例を挙げるとキリがありません。現代の素粒子物理学の指導原理は、量子原理、相対原理、ゲージ原理だと思いますが、もしかするとこれらは間違いかもしれません。

にもかかわらず、その時代のパラダイムの中にいる住人が、そのパラダイムの考え方に基づいて研究・学問の取捨選択をするわけですよね。それってどうなの、と思ってしまうわけです。新しいパラダイムを求めるのがある意味基礎科学の目的なわけですが、今のパラダイムの住人にはどっちの方向に進めば新しいパラダイムがあるのかわかりません。歴史に学ぶと、エポックメーキングな発見って予期せぬところに転がっています。だからこそエポックメーキングなわけですが。ははは。だからこそ、限られたリソースではあってもそのリソースを本当に一極集中させるのではなく、最低限の多様性は持たせておいたほうが学問の世界では健全なのではないかと思う今日このです。

まあ、最初っからパラダイムの中での勝負なら、重要性の順位付けは可能でしょうが、そういう場合でも依然正しい方向を見つけるには考え方の多様性が大切なんでしょうね。


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高エネルギー委員会

昨日は高エネルギー委員会に出席するためT大の素粒子センターに行って、まるまる1日潰れました。CERNから帰って来た直後の変な時差ボケ状態のせいか、普段はあまり電車の中で眠れないのですが、昨日は行きも帰りもうとうとすることができました。しかも、夜ちゃんと眠れて朝までぐっすり、というか起きるのがつらかったですし、今もまだ眠いです。どれだけ眠れるのか挑戦したいくらいです。ははは。

高エネルギー研究者会議会員のメーリングリストに入ってる方は毎回の議事録で知っているかと思いますが、委員会ではまず、KEKの大きなプロジェクトの進行状況が報告されます。東海村のJ-PARCという加速器の状況、KEKのKEKB実験およびそのアップグレード実験の進捗状況、などが主なメニューで、それ以外のプロジェクトについてもなにか報告するような進捗があった場合には報告されます。学会等での講演と大きく違うのは、この委員会の性質として、予算やらプロジェクトを取り巻く外部環境についての議論も多くなされます。

一通り報告が終わったところで、その日の議題的なことが話合われます。もちろんその内容は毎回変わりますし、議題数も変わります。昨日は、日本学術会議(これが何かについてはここ、特に「日本学術会議とは」あたりを参照してください)から出される報告書の内容についての議論がメインメニューでした。自分たちの将来計画について(主に?)お役人に向けて発信する報告書なので、かなり気を遣って文章を作成しています。自分たちがやりたいことに言及しつつ、他分野とのバランス等も考えてあまり無茶を言わないようにしなければなりません。高エネルギーは素粒子原子核分科というくくりなので、まずは、原子核との擦り合わせが必要で、昨日はその部分にわりと多くの時間が費やされました。

具体的なことはあまり書けませんが、まあ、毎回こんな感じで委員会は進められています。


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多様性

大学でも研究においても会議だらけの毎日なわけですが、会議って二通りあるように感じます。一つは、強力なリーダーシップのある人が仕事をどう進めるかビジョンを持っていて、あらかじめ人から意見を聞いたり、自分で物事をどう進めるか考えておいて、その考えに沿って進む会議です。ここまで言うのは極端ですが、出席者がただワイワイ言いたいことを言うのではなく、物事を処理するためにコヒーレントに話が進むタイプです。

もう一方は、出席者が勝手なことを勝手に主張していくら議論してもなかなか話がまとまらない会議です。最終的にはもちろん何らかの結論に達するわけですが、その結論が明確でなかったり、そこに到達するまでに気の遠くなるような時間が費やされることがあります。その会議に強いリーダーシップを発揮する人がいない場合や、参加者が色んなバックグラウンドを持っている場合にはこういう状態になってしまうのが普通です。

私は前者が好きなので、自分で会議、というか小さな話し合いでも、を提案進行する場合は、あらかじめどういう方向に進めようか考えておきます。逆に後者の会議に出席するとイライラしてしまいます。会議が多くてうんざりだという話をよく聞きますが、そのわりには議論のための議論としか思えないような話が大好きな人が多くて驚きます。特に、大学関係者に多い共産主義的な考えを持ってる人たちの中には、とにかく結論を先延ばしするのが大好きな人たちがいます。いや、そういうつもりはないのかもしれませんが、私にはそう見える人が多いです。

おっと、言いたいことから外れてしまいました。もとに戻すと、自分としては前者のタイプの会議が好みなのですが、ふと思うのは、正しい(何が正しいのかという深い問題は置いとくとして)結論を導くには多様性が重要で、結論を先延ばしにするような態度はよくないけど、幅広いバックグラウンドの人がいたほうがその組織にとっては有用なのかな、なんていうことも最近は感じています。

なぜそう感じるかと言うと、世間一般の日本人はある特定の方向にみんなが向いているように見えるからです。今朝も電車に乗っていると向かいに座った5人の女性の服装が全く同じなんですね。それもその5人が友人という似た環境の人ではなく全くのアカの他人が5人集まってるのに、上は全員同じような色のダウンジャケット、下は黒っぽい同じくらいの長さのスカート、そして靴は全員同じ長さのブーツ。「制服ですか」と突っ込みたくなるくらい同じ服装で笑ってしまいそうでした。つまり、多様性が凄く欠けているのが日本人で、だからこそマスコミの向けようとする(意図的ではないのかもしれませんが)方向に大多数が向いてしまうんわけですよね。それが正しい方向なのかどうか全く考えずに。色んな意見や考え方(情報ですね)があれば、否応無しに自分の頭で考えることになるのですが、日本にはその機会がないのかな、なんてことを思ってしまったのでした。

あとは、日本人には俺流の人が少ないのも多様性を欠く原因ですよね。私は迷ったときは多数派と反対の意見・行動を取るという自分のポリシーを持っていますが、普通は迷ったら多数派のほうに行きますよね。アメリカ人を多く見てるからアメリカ人を例として出しますが、人の言うことなんて絶対に聞かない、信じない、頑固というか無茶な人をよく見かけますが、そういう人は日本にはあまりいません。その人個人の選択ではその偏った考えで不利益があるのかもしれませんが、集団が決める選択としては、そういう頑固な人が多くいることで多様性が増し、正しい選択に近づけることがあるのかもしれない、と最近思うんですね。あ、アメリカが正しい選択をしてるとは言いませんよ。あくまで俺流の人がいるという例えです。

何書いてるのか訳わからなくなってきましたが、物事を進める時には情報の多様性が重要なのかと最近思うということを言いたかったのでした。いや、やっぱり会議は短いほうがいいですけどね。ははは。


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卒業研究と修論

今日の物理学専攻の運営会議(教室会議と呼ばれています)は私が今まで参加した中で最短。たいてい3時間近くかかるのですが、今日はその半分の1時間半。いつもこれくらいの短さだと嬉しいのですが、次回どうなることやら。

会議が短かったおかげで、4年生の卒業研究の進捗状況についてたっぷりと議論できましたし、修論の第1稿のイントロダクション部分を読んで添削することができました。やはり、これが本来あるべき大学の姿でしょう。

で、卒業研究ですが、前に書いたと思いますが、宇宙線中の陽子を探索しています。その前段階としてミューオンを観測。寿命からミューオン候補を選び出し、その質量が既知の値と一致することが現段階での目標なのですが、これが難航中。データ収集システム等に問題があって紆余曲折してきましたが、読み出しは今は順調。あとは頑張るしかないという状況です。あと2週間ちょい、体調を壊さないように気をつけつつ頑張るしかありません。修論と卒業研究にケリがつくまでの向こう2週間ちょいは、比較的時間を作れるはずなので、ラストスパートを後押しです。

修論のほうは、添削したものを学生に見せると真っ赤になってると笑って(驚いて?)いましたが、初めての論文書きではそんなものです。私も学生のときは原稿が真っ赤になって返されました。誰しも辿る同じ道です。あと、イントロダクション部分というのは書くのが難しいものです。自分が実際に手を動かしたこと(検出器の測定とか解析とか)を書くのは簡単ですが、導入部分はその論文の狙いを定め、以下に重要で面白い研究をやったのかを読者にアピールする部分なので、慣れていないと(いや、慣れていても)一番書くのが難しいです。ということで、このブログを読んでるM2の人々は、真っ赤な添削なんて気にしないでガンガン書いてください。


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会議の合間

今朝は早起きして授業の準備。そして授業。午後はテレビ会議での打ち合わせをして、16時半からは物理学専攻の運営会議。今はその2つの会議の合間で、修士課程2年生の修論の原稿を読んでいます。が、変なタイミングで眠くなる時差ボケで(ヨーロッパから帰って来たときは通常朝方眠い)、今にも落ちてしまいそうです。というわけで、休憩を兼ねてこのブログを書いているのですが…この調子だとただでさえ眠くなる運営会議では爆睡してしまいそう。ヤバいです。


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海外出張の移動の際に感じること

昨日の21時くらいに予定通り家に辿り着きました。長い1日でした。今日からまた通常通りの大学生活。授業に、長ーい会議、そしてそのうち詳しく書くかもしれませんがちょっとした企画を計画中でその作戦会議とかなり予定満載。M2の学生が修論の途中経過を送ってきてくれていたのでそれも読みたいのですが、その時間を取れるかどうか。とりあえず、中身の流れから章立てについてだけさらに(前にも一回すでに相談した)コメントをしておきました。4年生の卒業研究の途中経過も気になりますし、帰国早々催し物たくさんです。

さて、今回に限らず、海外に出張する時にいつも感じることが幾つかあります。1つ目は入国審査について。ヨーロッパに行ってもアメリカに行っても日本人は現地人よりも遥かに長い時間待たされることがあります。もちろんガラガラのときはいいですが、帰国する人をチェックする係員の数と、外国人をチェックする係員の数が前者>後者、かつ、前者のチェックには時間がかからないので、結果として後者では長い列ができます。例えば、今回の旅でもアムステルダムのスキポールで長いこと待たされたことを先週書きました。けど、日本に入国するときって逆じゃないですか。日本人の帰国をチェックする係員の数と外国人の入国をチェックする係員の数がほとんど同じ、かつ日本人数>>>外国人数なので、今回なんて5から10箇所の外国人用の窓口は誰一人待っていないのに、日本人用の窓口は平均10人弱の待ち人数。もちろん日本人10人のチェックなんてすぐに終わりますから待ち時間が長いとイライラするほどのことではないですし、待ち時間自体が長いと言うつもりはさらさらありません。が、こういう国は日本以外に見たことがありません。欧米以外の国も幾つか行ったことありますが、やはり欧米同様母国人はすぐに入国できます。日本変わってます…。

次に思うことは飛行機の座席についてです。こういうことを言ってもなかなか信じてもらえないのですが、飛行機の座席のリクライニングは絶対にないほうが良いと思っています。2、3時間のフライトなら構いませんが、日米、あるいは日欧のように長い時間座っている場合、背もたれを倒さず背筋をなるべく伸ばしてきちんと座っていたほうが、絶対に腰や肩クビ周りが疲れません。いや、もちろん疲れますが比較問題として、フライト後の体の疲れが全然違います。乗っているときは背もたれを倒したほうが楽に感じますよね。私もそうです。が、後々のダメージは背もたれを倒さず姿勢よく乗っていたほうが絶対に少ないです。全く科学的論理的な説得にはなってませんが、長旅を多くする研究者仲間も同じようなこと言ってますし、私がこの話をしたとき絶対に信じないと言っていたCERN在住(?)の美女たちも試してみたら本当だったと驚いていました。1度試すことをお薦めします。多分ポイントは良い姿勢なんでしょうね。リクライニングしちゃうとどういう姿勢でも腰に負担がかかってしまうのではないかと思っています。あ、ビジネスクラス以上は対象としてない話です。念のため。


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今日帰国

これから30分後くらいにCERNを経ちます。で、家に帰り着くのが日本時間の水曜夜21時くらいでしょうか。長旅ですし、今日起きてからすでに6時間くらい経過してますから、長い1日が待っています。

今回の滞在中、思っていたよりも多くの人と議論ができたのは収穫でした。検出器関連の計画、博士課程の学生の解析のテーマ、私自身がこれから手を動かしてみる研究内容、などなど多岐に渡って研究計画を具体化することができました。これら全ては研究に関連していることで、情報収集も議論も楽しかったですが、日本では雑用の山が待っているかと思おうとうんざりです。すでに催促されている雑務もあって、ちょっと憂鬱です。

昨日は、4年生の卒業研究のことを書きましたが、どうやらそのエントリーを読んでもらったみたいで、早速研究の進捗状況の報告がありました。そこそこ順調そうなので、安心して飛行機に乗れます。


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明日帰国

あっという間に1週間強が過ぎ去り、明日の午後の便で日本に帰ります。CERNに来てすっかり研究のことばかり考えていて忘れていましたが、日本に帰るとすぐ授業が待っています。ジュネーブを火曜午後に経つと大阪に着くのは水曜の晩21時前後。授業は木曜午前ですから、今のうちに準備をしておかないとなりませんでした。うーむ…。

大学といえば、修論大詰めだと昨日書きましたが、4年生の卒業研究も佳境のはずです。ここ数日連絡がありませんが、どうなっているんだろう?Kくん、Fさん、こっちの時間で明日の昼過ぎからしばらく連絡が取れなくなるので、その前に現状報告をしてください。って、完全に私信ですね。私が出発する前までに、このブログを読んでもらえるのだろうか、という謎はありますが。ははは。


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将棋と格闘技と研究

私が将棋"観戦"が趣味だということは何度か書きました。Web上の色んなサイトを徘徊したりもしています。そこで見たブログの書き込みが元ネタなのですが…将棋と格闘技と研究ってゲーム、競技として捉えたとき(研究をそう捉えるのは無理があるかもしれませんが)に同じカテゴリーな気がします。

私が見たサイトではゲームや競技をX軸に速度勝負か点数勝負か、Y軸に1対1なのか多人数の中で競うのかという尺度で分類しています。こうすると4つに分類できます。
- 1対1の速度勝負:将棋や格闘技など
- 1対1の点数勝負:囲碁やテニスなど
- 多人数のなかでの速度勝負:陸上競技や水泳など
- 多人数のなかでの点数勝負:ゴルフやボーリングなど
野球やサッカーは団体戦なのですが、複数のチームが同時に争うわけではないので、今の分類では1対1の点数勝負に分類します。

こう分類すると何が見えてくるかというと、1対1の速度勝負はall or nothingの世界で、負けたときのダメージが他の競技に比べて圧倒的に多いんですね。点数勝負の競技というのはレクリエーション的な要素が多くて、勝っても負けても「あー、もう少しだった」という具合で、ホントは大差でも負けたときの屈辱感、悔しさが1対1の勝負よりも小さい気がします。それに比べて格闘技は言うに及ばず、将棋にはそういう部分が大きく、1手のミスで急転直下いくら大きなリードがあっても全く安心できない、非常に格闘技的な面があります。また、だからこそ、負けた時(特に逆転で負けたとき)に将棋盤をひっくりかえしたくなるくらい悔しい思いをします。この屈辱感の大きさが将棋普及を妨げる理由の1つになっていると考えられているくらいです。私が観戦だけで自分でプレーしないのもその原因が大きいです。また、多人数の中での速度勝負は基本的にタイムを争うので、将棋や格闘技のような敗者のつらさが幾分ましです。

ということで、上では例をたくさん出しませんでしたが、1対1の速度勝負に分類される競技は人々に人気のある競技ではありません。あ、人気というのは、プレーする人が多いかどうかという意味です。観戦人口は多いでしょう。

もう一つの分類の仕方は、相手との相対的な力関係で勝負が決まるのか、絶対的な技量を争うのか、という性質です。将棋や格闘技、それから自転車競技のスプリントなどが前者で、ゴルフや陸上競技などなどが後者です。後者の場合、相手との関係は重要ではなく自分がベストのパフォーマンスを出せるかどうかが重要ですし、相性という要素が入り込みません。ところが前者は、相手との関係のみが勝負で競われるわけです。もちろん、絶対的な強者のほうが勝つことは多いのですが、競技の本質は、良いスコアを出すことではなく、とにかく対戦相手との相互作用を通して対戦相手を打ちのめすことなわけです。

というように、分類の仕方を変えてみても、将棋は常に格闘技と同じカテゴリーでいかに格闘技と似てるかということがわかります。

長ーい前置きのあとの本題ですが、研究活動って将棋や格闘技と同じではないかと常々感じています。Scientificな正しい態度ではないのかもしれませんが、現実問題としては、自分の研究分野で世界一にならないとならない、競争相手を倒さないとなりません。All or nothingは言い過ぎかもしれませんが、非常にそれに近いと感じます。また、競争相手と勝負をしている「競技」として捉えると、その本質は将棋や格闘技同様、相手との相対関係で決まるんですね。受験勉強のように客観的な数字で研究が評価されるわけではありません。

こう考えて、研究活動に人気がない理由は、将棋や格闘技をやろうと思う人が比較的少ないのと同じ理由なのかな、なんて思ってしまいました。


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修論大詰め

大詰めと言っていいかわかりませんが、修論の締め切りがだいぶ近づいてきました。残すところあと1週間強。修士課程2年のTくんはまさにラストスパート中です。

しかし、論文という形にまとめると、学生がこの2年間でどういうことをやってきたのかよくわかります。多くの学生は修士課程に入る段階では、高エネルギー物理業界に必須のコンピューティングスキルをほとんど持ち合わせていません。私もそうでしたし、Tくんもそうでした。それが、非常に複雑でプログラムを1本走らせるだけでも大変なATLAS標準の解析ツールを使いこなすようになり、自分でシミュレーションを走らせデータを作り、標準では配布されていない解析手法を取り入れ、今まで誰もやっていなかったより現実に近いシミュレーションと解析手法で、ヒッグス探索の感度を研究しています。改めて振り返ってみると、多くのことを学び成長していたことを実感します。親が子供の成長を見るのと同じような心境ですかね。

なんて感傷にひたっている場合ではなく、彼の修論が締め切り内にまとまるようサポートし、ハッパをかけないとなりません。Tくん、食べ物をたくさん食べて、睡眠不足でも体調を崩さないように頑張ってくれよ!


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日常生活でのふとした疑問

普段生活していると、ふと「なんで?」と思うことありますよね。特に、何らかの違いがあると疑問が湧きませんか。例えば、普段は何の疑問も感じませんが、日本から欧米に来て車の右側通行を体験すると、なんでイギリス(大英帝国圏)と日本は左側通行で、それ以外の多くの国は右側通行なんだろう?みたいな。

ところで、この違いって武士の刀がぶつからないように元々日本は左側通行、馬車だか馬に乗ってるときに使うムチが別の馬を驚かせないためにヨーロッパでは右側通行だというような俗説(?)がありますが、本当なんですかね。まあ、日本の交通ルールはたまたまイギリスを手本にしたというのが直接の理由なんでしょうけど、イギリスとユーラシア大陸のヨーロッパで違うのはなんでなんでしょうね。イギリスにも武士(騎士?)がいたんでしょうか。ははは。

おっと、話を戻すと、CERNに来て車の運転をするとレンタカーがマニュアルで、マニュアルのほうが好き(比較問題ではなくオートマは嫌いです)なので嬉しいのですが、なんでヨーロッパはマニュアル天国なんだろうっていつも思ってしまいます。それに比べると日本はオートマ天国ですよね。オートマ普及率が高い思われているアメリカよりも最早日本のほうがオートマ率高くなっちゃってるんだとか。日本ももっとマニュアル率が高いといいなぁ。それはさておき、ちょっとだけ思ったのですが、マニュアルのギアシフトは利き手のほうが圧倒的にしやすいですよね。私は左ハンドルの車のほうがマニュアルの運転しやすいです。もちろん慣れの問題もあるのですが、それを除くと、ハンドル操作に比べてギア操作のほうが複雑ですから右利きの場合は左ハンドルのほうが運転しやすいのではないかと思っています。で、右利きが多いので、右ハンドルのマニュアル車は廃れやすかったのかな、なんていう妄想をしています。まあ、一般的には交通渋滞などの環境だと考えがちですが、天の邪鬼の私は別の可能性を考えたりしてしまいます。

あと、似た類いの疑問は、大阪ではエスカレータを歩くときは左側を歩きます。歩かない人は右側に立ちます。けど、他の地域では大体逆ですよね。面白いのは新幹線の新大阪駅を降りたときで、大阪に帰ってきた人は右側に立ち、東京方面からやってきた人は左側に立ちます。お互いルールを守っているのですが、ケイオスな状態になってて笑えます。言葉とか古くからの習慣と違って、エスカレータのどちら側を歩くかというのは比較的新しいルール・習慣ですよね。人が多く交流し、情報も瞬時に伝わる世の中になってから発生した習慣です。それなのになぜ分水嶺ができたのか気になります。なんでそうなったのか全くアイデアないのですが、東京と大阪以外、特に関東地方以外の地方都市ではどっち側を歩くのか調べてみたい気がしています。


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察する

このブログによくコメントしてくれるNさんから聞いた話ですが、すでに亡くなられたこの業界の巨人Oさんの口癖が「察しろや」だったとか。それが本当だったかどうかはさておき、思わずそう口にしたくなることが多い私は、年をとってきたのでしょうか…。

端末に向かいあるコマンドを長い引数つきで入力します。そしてリターン。すると、そんなファイルはありません、あるいは、そんなコマンドは知らんと言われてしまいます。なんでだろうと入力した行をよく見ると、ながーい入力のうち1文字だけタイポ…。おもわず「察しろや」とコンピュータに向かって叫びたくなります。

研究会等で自分のラップトップを使って発表する場合があります。自分がいつも使っているプロジェクター、使ったことのある教室、使ったことのある会場だとテストしないかもしれません(それでも、大切な講演のときはテストします)が、初めての会場なら自分の講演の前、休憩時間等に、自分のコンピュータがプロジェクターを正しく認識しちゃんと画像が出るかどうか確認します。って、エラそうに言ってますが、極めて普通のことですよね。ところが、そのテストをしない人がいて、さらに運悪くトークを始めようとしたところプロジェクターを正しく認識しないときがありますよね。心の中で「テストくらいしとけよ」と思いますが、まあ、いらちの私でもそれくらいではそんなにイライラしません。

がっ…そういうハプニングがあったにもかかわらず、次のセッションで同じハプニングが起こると「言われなくてもテストしとけよ」と怒鳴りたくなってしまいます。いや、私は大人なので(?)怒鳴ったことは一度もありませんが、ハプニングを見たばっかりですから、テストをしとこうと思うのが普通だと思うんですね。そんなことは一々人に言われてやるようなことではなく、「察して」欲しいわけです。自分の前にトラブルがなくても「察して」欲しいわけですが、百歩譲って、少なくとも他の人のトラブルを見た後には「察して」欲しいものです。

今日は午後、2時間ほどジュネーブのダウンタウンで過ごしました。そこでトラムに乗ったのですが、帰りのトラムの停留所の位置が今までの場所から50mほど移動されてたんですね。ジュネーブのメインの駅であるコルナバン駅の前ですから、通常だと多くの人が待っています。ところが、反対方向に行くトラムを待つ人は普段通りなのですが、CERNに向かう方向は、なんだか人が少ないんですね。当然、私みたいに知らない人は元の停留所に行きますから、やや少ないながらも人がいます。

で、私は、今日はなんでこっち方向だけ人が少ないんだろう?と思いながら停留所をうろつきます。すると、何やら掲示板があります。フランス語なので内容は全くわかりませんが、状況から判断するに停留所が移動したっぽい。けど、どっちに行けばいいのか掲示を読めないのでわかりません(トラムなのでレールがありますから、どっちに行けばいいかだけわかれば大丈夫です)。でも掲示板を見てる人は私だけではないので、掲示を見て反応をした人についていきます。というか、正確にはそっちに向かって歩き始めるとすぐに移動された今の停留所がわかりました。

状況を「察する」ことができたので、1本逃がすことなくトラムに乗れました。でも、走っているトラムの中から外をみると、元の停留所の場所にはそこから乗ろうとしてる人がやはりいました。教えてあげたいのですが、どうすることもできません。世の中の結果には、ラッキー、アンラッキーがありますが、純粋に運でかたずけられている要素だけでなく、「察する」力の違いで結構結果が違ってくるのかなぁ、なんて思ったのでした。いや、まあ、今日の私はホントに運良く意味不明の掲示板が目に入っただけですが。ははは。


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シフトを取る学生

どの実験でもデータを取り続けるために24時間態勢でシフトを組みます。大抵は1日を8時間×3に分けて、8時-16時、16時-24時、0時-8時というような3交代。ATLASでは1時間前にずれていて、7-15、15-23、23-7の3交代です。大きな実験ですからシフトは1人ではなく複数です。

今までの私がかかわった実験では最低でも2か3人で、そういう少ない人数でシフトを組む場合は、シフトリーダー的な人、データ収集係、その他(データのクォリティをモニターする等)、というような役割分担です。そういう名目にはなっていなくても、実質上そうだったりします。例えば、実験をよく把握してるスタッフがシフトリーダー兼データ収集補助、学生がデータ収集、普段は実験に実質参加していないおじさんたちがデータのモニタリング、みたいな感じです。

もう一つの分担の仕方は各サブ検出器ごとにシフトを配置するもので、例えば、シフトリーダー、データ収集、荷電粒子の飛跡検出器A、同様の検出器B、エネルギー測定器、ミューオン検出器…というような分け方です。この分け方だと検出器の数が多いとシフトの人員も多く必要になります。私が前にやっていたDzero実験というのはこの分け方で、実験の立ち上げ時は1回のシフトをカバーするのに確か7人のシフト要員が必要でした。実験が走り始めてから時間(数年?)が経つと、検出器の運転がスムーズになりますからシフト人員の数は徐々に減らされ、今は3、4人でやってるという話です。

ATLASの場合は後者なのですが、驚きなのは1回のシフトに要する人の数で、なんと30人程度を投入しています。200-300人の実験でも1回のシフトに2、3人使うのが普通ですから、3000人いたらそれくらい大量のシフト要員を確保することができるということなのですが、それにしてもやることのない無駄なシフトが多いです。その人たちがシフトに費やす無駄な時間にやれる研究の量を考えると、なんともまあ勿体ない話です。もちろん、今は実験を立ち上げている時期ですし、マンパワーも多いことを考えれば、1回のシフトに10人程度が適正かな、というのが私の印象です。

そういうわけで、当然週末も誰かがシフトを取らなければなりません。今週末は金土日と私たちのグループの博士課程の学生1人がシフトを取って頑張っています。私もそうでしたが、若いときは、特に言葉がまだ不自由なときは、外国の実験でシフトを取るのは精神的にかなり負担があります。さらに、日本人が半数を占めるようなサブグループに属している日本人学生だったら周りに日本人の知り合いが多いですが、私たちの大学が入っているサブグループにはほとんど日本人がいないので、余計に精神的プレッシャーが大きいのではないかと思います。そういう意味では、シフト自体が仮に生産的ではなかったとしても、学生にとっては良い修行場にはなっているかもしれません。まあ、頑張ってください。


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追試

ご存知かもしれませんが、今年は多くの大学でインフルエンザ対策として大学入試の追試を実施します。国立大学協会(国大協)という大学の学長クラスで作った団体が、追試を実施せよという圧力をかけたための措置でした。国大協には文科省から圧力がかかっているのかもしれませんが、それはさておき、びっくりしたのは追試をやれと言った国大協の会長はT大の学長なのですが、そのT大では追試をやらないことにしたというニュースです。後ろから刺されるとはまさにこういうことを言うんでしょうね。驚きです。

そもそも、今年に限って入試の追試を行うのは不公平だと思うんですよね。過去にも病気やケガで試験を受けられなかったり、あるいは無理して試験に臨んでも体調不良でベストのパフォーマンスを出せなかった受験生はたくさんいるはずです。そういう人たちは放っておいて、今年に限り救済措置というのは、どう考えても機会の不平等です。試験を受ける機会はみな1回ということで機会は平等だったわけです。その機会を捉えることができるかどうか(=ベストのパフォーマンスを出せるかどうか)を誰かが保証するということはありえません。なのに、今年に限り機会を2回与えられるというのは不公平甚だしいと感じます。

新型インフルエンザの大流行により受験生の大半が受験不可能、というような危機的状態に備えるつもりだったと考えることもできますが、それには不可解な点があります。というのは、もしそんな大流行だったとしたら、4、5日経っても流行が収まるはずないので(確か、追試は本試験の5日後くらいだったような?)、5日後くらいに追試をするのは意味ありません。それに、そもそも、追試を行うかどうか発表した頃には、すでに新型インフルエンザがそこまで流行する見込みがないことは明らかになっていました。

どう考えても、文科省からの(国大協を経由しての)わけわからん圧力、あるいはマスコミに向けてのパフォーマンス(この場合国大協が主導したのでしょうか?)としか思えません。それによって機会の不平等という結果になるのはやはり釈然としません。

おっと、話は逸れましたが、とにかくT大のニュースには本当に驚き、呆れました。


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さらに昨日の続き

昨日のエントリーにコメントしてくださった方、どうもありがとうございます。あ、あとNさんも。

いやー、みなさん、というか世の中の人(?)も結構いらちなんですね。で、人々のイライラがぶつけられる、あるいは、他の人への気配りが現れるのがエレベータみたいで、人間観察が趣味の私としては、これからはエレベータの中で油断せず(?)周りの人をよく観察してみます。

しかし、エレベータに先に乗っていた人の目的階が自分の目的階より1個上なだけなら敢えてそこまで乗っていき、階段で1階降りて自分の目的階へ行く、という配慮には思いもよらなかったので驚きました。ここまで気配りする人がいる日本って素晴らしいですね。あ、いや、日本かどうかとはもしかすると関係ないのかもしれませんが、なんとなく、日本人ならではの気配りのような気がしたもので。

あと、全く同感だったのが、エレベータが2つあるときにその2つのボタンを同時に押すのは嫌いです。どんなに急いでいるんだ?とツッコミたくなります。乗らないほうのエレベータの動きが無駄ですし、誰も乗ってないエレベータが移動することで増える待ち時間というのは、これまた私が納得できないカテゴリーの待ち時間です。


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いらち

昨日の「別添?」というエントリーに以下のコメントを貰いました。

### 引用開始 ###

私は、
- レジで計算が終わってから財布を鞄から取り出す人
- 後ろに客が並んでいるのに、サービスだと思って商品を袋詰めする、スーパーのレジ係
- 自分の順番が来てからどのケーキを買うか考え出す客
に苛立ちます。

### 引用終了 ###

同じオフィスにいる学生からは
- 駅の自動改札の前で鞄から定期を探す人
- 歩行時に、車を運転しているときなら当然気をつけるであろう危険回避行動をとらない人。例えば、急に歩く向きを変えたり、酔ってるわけでもないのに蛇行して、横を歩いている人にぶつかりそうになるとか。(いらつくわけではありませんが、「なんだ、こいつ?」と思うそうです。)

にいらつくという意見を聞きました。あと、私は押さないと言っていたエレベーターの「閉」ボタンですが、降りる時に乗っている人のために「閉」を押すという話も聞きました。そういう人見かけますが、そこまでしなくても…と私は思っていたので、身近にそういう人がいて新鮮でした。

ということで、結構多くの人がその人なりのいらつくツボを持っているようで面白いですね。他の人がこんなことにいらつくかな?と思いつつ、自分ではいらついてしまう、そんなツボを持っていたら教えてください。

あ、それから、「別添?」のエントリーは以外と拍手が多いですね。私以外にもいらついてる方多いんですね。ははは。


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別添?

突然ですが、私は非常に短気…というか、まわりくどいことが嫌いです。関西風に言うと「いらち」です(表記、発音に自信がなかったので、今学生に確認しました)。ただ無分別に(私の中では)待つのが嫌なわけではなく、例えば、歩行者では信号無視する人がよくいますが、私はあまり信号無視しないほうだと思いますし、エレベーターに乗るときは「閉」のボタンはあまり押しません。

逆にイライラするのは、書き始めると止まらなくなるかもしれませんが…

- 電車の切符を買うのに、自分の順番が来てから料金を調べ始め、さらに財布を探し、小銭を探し始める人。
- 人が2人程度しか通れない駅の通路で、通路の真ん中を歩き(=他の人が追い越せない)、携帯を見ながら立ち止まってしまう人。
- 駅の自動改札を出た直後に立ち話を始め、後ろの人を通せんぼしてしまう人たち。
- 電車に乗るとき降りる人が通れるように脇に寄らないため、結果として人の乗り降りにエラく時間かかってしまう原因となっている人。
- 飛行機に乗る時に、乗る人が列になっているのに、棚の自分の荷物に永久に(?)アクセスしている人。
- …

などなどです。つまり、待たざるを得ない場合に待つのは気にならないのですが、待たなくてもいい場面で人為的に待たされるとイライラしてしまうんですね。

と、ここまでが前フリで、最近気になっているのは事務から送られてくる「別添の通りお伝えします」というメールです。別添は、添付ファイルだったり、アクセスが制限されたウェブ上のドキュメントだったりします。で、添付されているのは立ち上げるだけでも時間のかかるワードファイルだったりします。じっと我慢、やっと立ち上がったワードファイルの内容を読むと、さらにまたメール本文にあったのと同じような文章で「別添の通りお伝えします」と繰り返されています。仕方ないので、添付されていた別のワードファイルを見ます。そしてようやく、何の通知だったのかがわかります。で、多くの場合、無視してよい自分には関係のない通知なわけです。

なんで、別添なんですか?しかもそれがなんでワード?なんで、メール本文に一言、何についての通知なのか書いてくれないのでしょうか?自分で内容を理解して要約するのが面倒なら(そうしても1分程度の作業だと思いますが)、別添をコピペして貼ってくれたのでも構いません。

子供の頃にやった遊びを思い出します。「どこそこを見ろ」と指示され、その指示に従って何かを見るとそこにまた第2の指令があって「ほげほげを見ろ」となります。それを繰り返して最後の指令に従って何かを見ると、そこには「バカを見ろ」と書かれているんですね。この遊びと同じで、バカにされてるようで凄く腹が立つんですね。別添。なんとか撲滅できないものでしょうか。


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海外滞在の学生の生活

今回のCERN出張の目的通り、色々な人と情報交換したり、これからの計画を議論しまくっています。なので、ブログに書くようなネタがあまり作れていません。そこで、海外に常駐して研究をしている私たちのグループの博士課程の学生が、研究所、あるいは外国の大学でどのような生活をしているのかちょっと書いてみます。

まずはどんなとこに住んでいるのか。CERNに常駐している学生は一般のアパートを借りて住んでいます。フランス側のため、VISAを取得→滞在許可証の取得、というプロセスが必要でした。滞在許可証は面倒ではないですが、日本にいる間に準備しなければならないVISAは手続きがそれなりに面倒です。私もVISA→滞在許可証を取っているので、フランス側での長期滞在もOKです。一方、ドイツ・フライブルクをベースに研究している学生は、学生だけが入居可能なアパートに住んでいるそうです。調理場は共同だそうですから、研究所にある宿舎のようなスタイルなんでしょうか。隣の隣の部屋に住んでいる女の子と仲良くなったりして(あ、敢えて誤解されるような書き方をしています。ははは)、研究生活だけでなく色々ドイツ生活を楽しんでいるようです。ちなみに、ドイツでも滞在許可証は必要ですが、日本人の場合VISAは必要なく、ドイツでいきなり滞在許可証を取得しました。

次に食事。2人とも基本は自炊のようです。昼飯は研究所、あるいは大学の食堂で食べているようですが、朝と晩は家で自分で作って食べているそうです。私自身は自炊をほとんどしない人間なので何を食べているのか知りませんが、2人とも米だけはちゃんと食べているようです。でも、日本食は恋しそうです。日本食も手に入るのですが(スーパーもレストランもある)、とにかく高い。全ての物価が日本の約2倍。かつ日本食は日本よりも高いので、なんでも3倍くらいはするのではないでしょうか。ということで、肉でも焼いて食べているんでしょうかね。

そんな2人と、今週はずっと一緒に食事をしています。私がいるので外食ばかりで、毎日、何を食べに行こうか考えるのも私の今回の仕事の一つでしょうか。あはは。


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テレビ会議

CERN出張中ですが、昨日は私たち大阪ATLASグループの定例ミーティングをいつも通り行いました。CERNからは、私とCERN常駐の博士課程の学生、そして、フライブルグに滞在している博士課程の学生もCERNに来ているので彼も含めて3人が参加。大学からは研究員と修士課程の学生。KEKからは修士課程の学生2人が参加ということで、テレビ会議の威力を発揮したミーティングでした。

今日もこれから大学にいる修士課程の学生(M2)とマンツーマンでのミーティング。修論提出が迫っているのでラストスパートをかけるためです。さらに、卒業研究のラストスパート中の4年生ともその後ミーティングをする予定で、今日もまたテレビ会議にお世話になりまくりです。まあ、逆に、テレビ会議でそれなりに快適にミーティングを行えなかったら、修論提出直前、卒業研究の発表会直前、というこのタイミングではなかなか出張できません。

インターネット同様、世界中の大勢の研究者が共同研究する高エネルギー業界では、昔からテレビ会議システムの利用が盛んでしたし、技術開発にも一役買ってたんでしょうね。


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スキポール空港にて2

スキポール空港で書いた別のネタです。

あ、そうそう。スキポールのセキュリティチェックは今日も金属探知器でした。セキュリティチェックに関しては普通の(?)厳しさです。もちろん、日本に比べると格段にちゃんとやってます。今日の伊丹なんて、ウィスキーの大量の飲みかけを通してたもんなぁ。びっくりしました。ちなみに、セキュリティチェックは普通でしたが、パスポートコントロールは非常に厳しかったです。長い行列なんておかまいなし。非EUのパスポート所持者で、アラブ系、スラブ系、アフリカ系の人たちは1人5分程度チェックされてました。私の前には10人もいないのに、その人たちのチェックに時間がかかり30分くらい待ちました。色んなドキュメントを提示させられる上、パスポートが偽造でないか詳しく調べるんですね。コンピュータでICだか磁気を読むだけではなく、ルーペで長いこと調べ倒してました。

ちなみに、私は見るからに善人なので瞬時にパスポートコントロールをクリアでした…嘘です、いや、何の問題もなかったのは本当ですが、日本人なのに私はチェックされることがよくあります。ルーペでパスポートを調べられたことも結構あります(スキポールであったかは覚えてませんが)し、アメリカ便ではよく爆薬の反応(?)を調べられました。


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スキポール空港にて

CERNへの移動中、アムステルダムのスキポール空港でこのエントリーを書いています。とは言っても、ネットワークに繋がっていないので、実際にエントリーをアップするのはCERNに深夜着いてから、あるいはジュネーブの朝でしょう。

さて、このブログの常連さんなら知ってるかと思いますが、日本・ヨーロッパ便のJAL機内ではゲームと映画で時間潰しをします。そして恒例が映画を観て大泣き。はい、今回も凄かったです。3本観て、後の2本は全然泣くような映画ではなかったのですが(いや、一般的に泣くような映画でなくても私は多々泣きますが)、最初の「引き出しの(中の?)ラブレター」という1本では大泣きさせてもらいました。食事のときの紙ナプキンを涙と鼻水を拭くために用意しておくのはいつも通りですが、1枚では足りないくらい泣きました。自分に何かの才能があるって感じることはありませんが、すぐに泣けることに関しては一流の才能を持っているのではないかと思ってしまいます。って、突然泣けって言われても泣けませんから、単に異常に涙もろいという特異体質なだけですけど…。ははは。でもこの映画は誰が観ても泣けるんじゃないかなぁ。内容的には大したことないのですが(そんなこと考えたら当然泣けません)、仲代達矢と八千草薫の熟年2人はかっこ良かったし、かわいらしかったです。ちなみに、劇中の仲代達矢扮する漁師が、むかーし昔の映画「グラン・ブルー」(私の好きな映画の一つです)でエンゾー役をやったジャンレノに似てると思ったのは私だけでしょうか。

2本目は寺尾聡主演「さまよう刃」。感想は一言…重かったです。私みたいな一般人からは、少年法は異常に甘いと感じてしまいますが、そういう視点から問題を提起する(?)作品でした。しかし、少年法に限らず、犯罪の量刑って私には全然理解できません。素人的には、殺人の量刑が軽過ぎると感じるのですが、どういう人たちの影響力でこんなに量刑が軽いんでしょうね。殺人以外でも悪質な傷害致死もまた異常に刑が軽過ぎないですか。例えば、何かの拍子でケンカ。素手の殴り合いになって、こけたときの打ち所が悪くて…みたいなのは確かに「致死」だと思うのですが、多数で一人をボコボコにしてっつうのは致死というよりも殺人だと思ってしまいます。もし本当に致死だとしたら、人をボコボコにするまで殴って死なないと思ってる人間がいるってことですよね。ちょっと信じられません。法律が曲がった解釈をしてると感じてしまいます。

おもーい気分になった後の口直し、3本目は「南極料理人」という軽い映画。南極の昭和基地よりも内陸の極寒の地に長期滞在している8人の話で、特に何のエピソードも無く淡々と笑いを交えて進行します。本当にこれと言った事件もなく、主人公の料理担当者が作る料理をメインに据えてほのぼのと人の交流を描いています。全く関係ないのかもしれませんが、前に観た「幸せのかおり」(だったかな?)という映画と雰囲気(?)が似ていました。泣く必要もないし、気分が重くなることもありません。観てて疲れない良い映画でした。

うーん、今回は何だか映画批評でしたね。


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明日からCERN

明日からCERNです。CERNに長期滞在中の博士課程の学生の今後の研究方針について詳細な計画を立てるために、彼と話をするのはもちろん、関係者と相談をしたり、現場の情報収集をしたり、というのが第1の目的です。過去1年間は自分自身でほとんど研究を進めることができませんでしたが、新年度はそれなりにやれる時間があるはずですので、私自身が何を始めるかを決めるために、これまた関係者と話をしたりして、現場の状況をよく把握してこようというのが第2の目的です。本当は加速器の動いている時期に行きたかったのですが、今年度中はもう今しか行けないという種々の状況があり、この時期の出張になりました。

というわけで、明日はまるまる1日かけてCERNへ移動します。飛行機は最近よく使うJALとKLM。JALと言えば最近はその経営問題がよくニュースになっていますね。真の問題がどこにあるのかは知りませんが、表面的によく言われている年金問題って、なんだか日本の財政問題とダブって見えます。末端の現役社員の報酬よりも、退職者の年金収入のほうが多いって…日本の社会の縮図ですか。将来的にどんどん成長してくことが約束された会社、将来的に人口が増えて経済活動が伸びることが確実な社会、だったら若い世代に負担を求めてもやっていけますが、そうでない会社と社会が、働いていない人を養っていくには、私には思いつかない賢い戦略、あるいは魔法が必要です。しかし、JALの退職者の人も大変ですよね。退職後の手厚い年金があるからという理由でJALで働いていた人もいるはずで、それが年金カットとなると、生活設計狂ってしまいますよね。まあ、そういう人たちが高所得者だったら、致命的ではありませんが、その辺どうなんでしょうね。

おっと、脱線しまくりましたが、そういうわけで明日はアムステルダムのスキポール経由でジュネーブに行きます。ちょっと前にあったテロ未遂でセキュリティチェックが厳しくなり、金属探知器ではなく透視する装置を導入したとか何とか聞いた気がします。試験的に前から設置されていて、その透視装置を通らされている人も前から見たことあるのですが、今回は私もそれを通るのでしょうか。ドキドキします。というか、自分のシルエットでいいので、どんな風に見えるのか見てみたいものです。え?女性のだったら当然もっと見たいですよ。あはは。


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卒業研究・修論研究

今日は大学入試のセンター試験ですね。昨日は、キャンパスが凄く静かだと思ったら、準備のため(試験会場に大学がなっているので、部屋の確保とか必要だったんでしょう)に授業は全学的にありませんでした。いよいよ本格的な受験シーズン突入といった感じでしょうか。

一方大学では、学部学生の卒業研究、修士課程の学生の修論研究が佳境(のはず?)です。去年は修士課程の学生2人の修論の指導をしましたが、今年は修士課程1人に、4年生(2人の共同研究)。まあ、例年並みの負荷ですかね。ただ、今年度は授業と雑用が異常に多かったので、彼ら、特に4年生に十分な指導ができたのか不安です。加えて、例年4年生は3、4人の共同研究なのですが今年度は2人。ということで、4年生にとっても例年の4年生より負荷が大きいのではないかと思います。

たびたび愚痴ってますが、授業の多さはまだ仕方ないとして(と原理的には思いますが、実際上は今年度後期のコマ数の多さは雑務の多さと重なり、私の処理能力を越えていました…)、雑務に時間を取られて本来すべき研究指導の時間が十分取れなくなるというのは、大学業務の本末転倒甚だしい点で改革しなければなりません。でも、どうすればいいのかわかんないんですよね。教員は文句を言ってますし、その声は執行部にも当然届いているのですが、いかんせん大学の事務処理能力は不足しまくりで、教員が事務から研修旅行の食料調達から何でもやらないとなりません。うーむ…。

あと、雑務も増えていますが、教育や研究指導の方法、時間の取られ方も昔とは大きく変わっているんでしょうね。昔は今ほど手取り足取り何でも教えない教員が多かったですが、今は予備校か、と思うほど、学生に考えさせないで何でも教えないとならない風潮があります。それから、昔はゼロに近かった啓蒙活動が莫大に増えています。私が今年ちょっとだけお手伝いした高校生を対象とした講義シリーズを初めとして、キャンパス紹介みたいな催しが劇的に増えています。そういう変化に大学のシステムが全く対応していっていないんですね。

学生一人に対する指導時間が増え、雑用が増え、教員一人の負担が増えているのは明らかなのに、教員数と学生数の比は昔からほぼ一定。このままでは教育も研究も破綻してしまいそうで怖いです。


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レポートの採点とか

雑用2つの締め切りに追われる中、昨日と今日は1年生の実験のレポートの採点。提出されている分は全て採点したので、期限に遅れて提出されてくるレポートが1つか2つはあるかもしれませんが、とりあえず、今年度の実験の授業関係の業務は終了、といった感じです。

採点していて思うのは、実験のテーマって幾つかあるのですが、採点することだけが目的なら、1つのテーマだけでも十分な気がします。というのは、頑張ってレポートを書く学生はいつも頑張りますし、やる気のない学生はいつもやる気のないレポートなんですね。例えば、A実験をaという人が採点、B実験をbが採点、C実験を私が採点したとします。ある生徒の成績表にはA実験やB実験の成績が記入されているのですが、ABC間の評点の相関が非常に強いです。AとBの評点を見ると自分の採点すべきCの評点に予想がついてしまいます。逆にAとBの評点を見ないでCを採点。で、AとBはどうだったかな、と見ると、やはり予想通りの評点だったりします。もちろん、レポートは採点するだけでなく、問題点を添削指導するという目的がありますから、教員が読まないわけにはいかないのですが、まあ、とにかく相関係数は非常に大きそうです。

ちなみに、担当教員の間で採点の辛い甘いはありますが、aはA実験全部、bはB実験の全部、そして私はC実験の全部のレポートを採点しますから、教員の採点の厳しさによる成績の不公平というのは生じないようになっています。授業全体の元締めのような立場の人から聞きましたが、複数の人(評価の甘い人もいれば辛い人もいる)による採点なので、成績分布を見ると正規分布に近くかつその幅も適度な広がりを見せているんだそうです。じゃあ私はどうかというと、たぶん相当辛い採点をする人だと思います。他の人の評点よりもいつも低い気がしますから。


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寒い

いやー、ここ数日寒いです。というか、データを見るなどの客観的判断を全く無視した自分の体感だけに頼ると、今年の冬って例年より寒いような気がするのですが、気のせいなんでしょうか。こんなに寒い日が続くと、もっと温暖化してもいいんじゃないか、なんて無茶なことを考えてしまいます。あ、ダメですね。雪が降らなくなるとスキーができなくなって困りますから。ははは。

と言いつつ、雪国の人とか寒い地域に住んでる人って、本当にもっと温暖化して欲しいって思わないんですかね?かみさんの実家は雪がたくさん降る地方で、正月に帰省したときも雪かきを2回しました。1回はよかったのですが、2回目のときは非常に重い水気を含んだ雪が大量に降ったために、私なんてその日だけで腰痛になってしまいました。お恥ずかしい…。ですが、お年寄りだけの家庭も多いわけで、なんとかならんのかと思ってしまいました。

例のごとく、世間一般で言われていることを疑ってしまうのですが(=職業病ですね)、このまま温暖化すると何が問題なんでしょうね。よく言われてるのは海水位の上昇ですが、とりあえず本当に水位が上がるのか疑ってみると…まず南極。普通に考えれば氷融けますが、気温上昇で海水からの水蒸気量が増えて南極では雪が今より多くなって大丈夫とか何とか、嘘かもしれませんがよく聞く話ですよね。で、結局私にはどっちが正しいかわかりませんが、安全策で(?)水位が上昇するから危険だよと騒ぎ立てている人たちの言い値で、年間mmオーダーで水位が上がるとします。あ、これにはグリーンランドも含まれてるんですよね、きっと。ちなみに、北極はそもそも氷が水に浮かんでるだけですから、ぜーんぶ融けても水位は変わりません(よね?)。

なんか、心配するような話ではないように感じるのですが…10年でcm、100年で1m。気圧の変化による水位の高さの変動程度ですから、これくらい問題ないでしょう。1000年で10mとして、先進国なら問題ないレベルのような気がするのは気のせいでしょうか。私はオランダ人ではありませんが、なんとかなりそうな気がします。1万年後、100m水位が上がってると何か考えないとなりませんが、1万年後に人類が生き延びてたら余裕でなんとかできそうな…。最悪のシナリオでこんなもんなら、私は交通事故とか病気のほうがよっぽど心配です。

ところで、海水位の上昇でどっかの島が沈むとかいう話にいつも呆れてしまうのは私だけでしょうか。気圧の変化だけで数10cmからメートル近く水位が変化するわけで、それでも生きていける陸地に人は住んでいたはずです。で、ここ何年か年数mmの割合で海水が上昇しただけで島が水没するわけありません。排水機構がおかしくなったか、地下水を汲み上げ過ぎて地面が下がったか、答えは知りませんが、海水位の変化以外が原因としか考えられません。

で、ふと思ったのですが、そもそも海水の高さってどこを基準にしてるんですかね。近い昔、例えば江戸時代とかって海岸線の位置が今よりもだいぶ内陸寄りにあったんじゃなかったでしたっけ?その海岸線が下がっていったのは、気温が下がって海水位が下がったからではなく、海の底の位置が下がったからだとかなんとか聞いたのですが、それが本当かどうかは別として、海底の高さが変化しても不思議はないですよね。とすると、海水位って、ある点を基準に測ることしかできないので、相対的な指標なんですかね。

あ、話が逸れてしまいましたが、あとは、何が問題なんですかね。異常気象とか言われても、マスコミのバイアスのかかった報道では何も判断できません。それに、洪水の回数を仮に調べたとしても、それが気象のせいなのか、樹木が減ったことによる保水能力の変化のせいなのか定かではありません。というか、ナイーブには、土をアスファルトかコンクリートで覆い、樹木を切り倒せば、洪水が増えないほうが変だと思ってしまいます。

まあ、真面目に議論するつもりではなくて、単に寒いから愚痴ってみただけ…ではなく、世間一般で言われてることを鵜呑みにするのではなく、まず疑って自分の頭で考えてみることが人に騙されないための第一歩です、ということを言ってみようかと思いました。

そうそう、それと、いっつも思うのですが、所謂環境運動をするのに温暖化を出す必要は全くないのではないかと。大阪のクソ暑い夏の昼間、歩道に街路樹があるとホッとします。今日のように北風が強く寒い日は、木陰で風がしのげてホッとします。よーわからんけど、街が緑で一杯のほうが気持ちよくないですか。よーわからんけど、資源に限りがあるのは間違いないですから、無駄遣いしないほうがいいに決まってませんか。仮に、資源に限りがあるかどうかわからなくても、食べ残した物を生産するためにどれくらいのエネルギー、資源が使われたかを知らなくても、食事は食べ残さないほうがよくありませんか。

国家の利権や、企業の営利目的のためのマッチポンプ的な(ちょっと違うか)行為に振り回されない人が増えることを願っています。


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今年度最後の実験の授業

タイトルの通り、今日の午後は、今年度最後の実験の授業でした。明日、明後日と、過去のレポートの採点をこなせば、今年度の私の1年生相手の実験の授業に関する業務は終わりです。授業のコマ数が異常に多かったですが、ようやくゴールが見えてきました。これを乗り切れば、あとは何回か講義をこなすだけです。

しかし、今日の授業はせわしなかった。というか、人手不足でした。通常は修士課程の学生がTAとして3人つきます。正直今日の授業に3人のTAは多過ぎで、1人いればなんとかなる、多くても2人で十分、という実験内容なのですが、今日は、授業時間途中からTA全員が抜けてしまったので、後半は私だけになってしまいました。まあ、別にそれでも私の側からすると問題ないのですが、実験を終えた班から結果のチェックを受けてそれにパスすれば学生は帰れます。通常だと私だけでなくTAもそのチェックを行うのですが、それが今日は私だけだったので、他の班がチェックを受けている間に学生が待たなければならず、それが彼らにとってどうだったのかな、という感じです。あ、ちなみに、今日の実験は同じ1年生相手でも易しい内容になっているのでTAの人もチェックしますが、木曜と金曜の実験の授業では、実験最後のチェックは教員しかやりません。

ところで、なぜ今日は一斉にTAが抜けてしまったかというと、修士課程の学生(学部生も?)を対象とした就職ガイダンスとやらが行われたからでした。修士課程1年のこの時期から就職活動を始め、決まるのがいつかはもちろん人に依りますが、就職が決まった後も会社からの色々な拘束を受ける学生だと、修士課程2年のうち、研究に使えるのは実質1年強なんてこともあります。さらに1年生の前期は受けなければならない授業もあったりして、研究に使える時間が1年を切ってしまう学生もいるのではないでしょうか。授業では得られない総合的な人間力(?)を付けることが可能な研究期間が短いのは非常に残念です。しかも就職が決まっていると、仮に研究のレベルが閾値に達していなくても卒業させないというのは非常に難しいです。なんだか本末転倒です。卒業できることが決まってから就職活動というのが本筋だと思うのですが、まあ、今の実情からして夢物語ですね。


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Tevatronでのヒッグス探索

過去のヒッグス探索で最も感度が高かったのはCERNで行われていたLEP実験で、114.4GeV以下ではなさそう(統計の言葉で言うと95%信頼度)、というのがその結果です。ちなみに、LEPというのは、今LHCが設置されているトンネルを使った電子・陽電子衝突型加速器のことです。その実験を終わりにして加速器を解体、空いたトンネルに新たに設置されたのがLHCというわけです。115GeV付近に怪しい兆候があったので、LHCの建設開始を延期してLEP実験を延長するかどうかという難しい判断が必要でしたが、結局、LEP実験をやめてLHCの準備に取りかかったという経緯があります。なので、115GeV付近の非常に軽いヒッグスが将来見つかると、LEP実験をやっていて延長を望んでいた人たちの心境は複雑なものになるかもしれません。

LEP実験が終わったのが2000年末。その後、ヒッグス探索はアメリカのフェルミ国立加速器研究所(Fermilab)のTevatron実験に舞台を移します。とは言うものの、私もその実験を昔やっていたわけですが、ルミノシティが上がらないために十分な統計を貯めることができず、標準模型の予言するヒッグスの存在の有無を統計的に判断できるほどの感度はなかなか出ませんでした。それでも、LHCの開始が遅れたこともあって予定よりも長いこと実験を続け、最近では160GeV付近のヒッグスの存在を95%信頼度で否定しています。

昨日のセミナーではTevatronでのヒッグス探索、特に120GeV付近の軽いヒッグス探索に関する現状を話してもらいました。最終結果はもう知っていたわけですが、解析内容について詳しく議論できたので、私にとっては面白いセミナーでした。ただ、学生さんには内容が専門的過ぎて少し難しかったかもしれません。さて、その内容で気になったのは、前にも書いたことある気がしますが、CDF、Dzero(Tevatronには2つの衝突点があり、それぞれの衝突点にCDFとDzeroという2つの検出器、実験グループがあります)ともに150GeV以下の領域ではシミュレーション等を使って求めたバックグラウンドの予測値よりもイベント数が若干上ブレしている点です。どちらの実験グループの上ブレも1σ程度のわずかなものですが、予測値からのブレ方が独立な実験なのに似ているのは興味深いです。信号がそこらへんにあるのか、あるいは両者に共通のシステマティクス、例えば、バックグラウンドの断面積を過小評価している、による効果のどちらかなわけですが、もちろん現状ではどっちなのかわかりません。

彼らの解析ではNeural Network等を使った非常に複雑な手法を用いているので、バックグラウンドをどれくらい正しく理解しているのかを判断しずらい面があります。95%信頼度での信号の除外を目指して解析をチューニングしていて、真にヒッグスを見つけるのであればなすべきバックグラウンドの理解の努力が欠けているように感じる、というのが正直な感想です。私がいたときも似たような解析でしたが、感度が上がってきているのですから、今一度バックグラウンドの見直しをしたほうがよいのではないか、と外野は思ってしまいました。


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CDMS実験の結果

火曜午前は研究室の定例ミーティング。お伝えしたように、そこでの論文紹介の担当に当たっていたので、一昨日と昨日のやっつけ仕事で発表のスライドを纏めました。

結果は、0.8個のバックグラウンドが予測されるところに、信号の候補が2発。Nさんのコメントによる指摘通り、ダークマター発見かと新聞で騒ぐほどの結果ではありませんでした。ダークマターの効果を測定したとする(?)DAMAの実験結果とは相変わらず一致を見ないままということになりました。しかし、今回の準備のために調べるまで知りませんでしたが、LIBRAというDAMAのアップグレード実験(ではないのかな?)でも、ダークマター観測の根拠とするWIMP観測レートの季節変動が非常に綺麗に見えているのですね。DAMAの季節変動は、本当?という疑いを持つのが自然な(少なくとも私には)結果でしたが、LIBRAのほうは季節変動してるように見えます。論文も国際会議等の発表も見たことないので深いツッコミはできませんが、ナイーブにはあんなに長期のスケールで変動するバイアスがあるとは思えません。謎です。

午後は、TevatronのDzero実験をやっている人がセミナーに来ました。Tevatronでのヒッグス探索の話をしたのですが、今日は時間がないので、明日にでもその話を書きます。


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派遣村のニュースを見て

派遣村で支給された金を使って酒やらタバコを購入している人がいるというニュースを見て思ったのですが、それって本当にニュースにまでなってマスコミから虐められる、責められるようなことなんですかね。

何も考えないと、まあ、倫理的、常識的に悪いことだとは思うのですが、今の日本社会というのは、相対的に裕福な人が相対的に貧しい人を経済的に助けている社会なわけです。社会福祉があって、収入の少ない人、極論収入の無い人でも人間らしい生活ができるようにと、相対的に裕福な人から相対的に貧しい人に金が流れる、富の再分配が厳しく行われている国ですよね。こういう構造の是非、私の主観的好き嫌いは後で書くとして、建前上も実際上もそういう機能が働いています。前にも書きましたが、人口の多数は支払った対価(税金)よりも大きな受益を受けているのが日本です。

つまり、端的に書くと、派遣村で現金を支給してもらった人以外も、多くの国民は現金で貰うか、払うべき税金額を著しく低く抑えてもらっているかの違いだけで、多額の費用を国に援助してもらっているわけです。で、援助してもらったお金を使い、酒を飲み、タバコを吸い、ギャンブルをやり、車を乗り回し、携帯電話を使っているのです。それを問題にせず、派遣村の人々だけを責めることに違和感を覚えてしまうのです。

話をちょっと戻しますが、なんで経済的に豊かな人が貧しい人を助けなければならないのか(=社会福祉ですかね?)、という疑問は、口にしただけで非難を浴びそうですが、私は自答してしまうことがあります。頑張って働いている、働こうとしているのに貧しい人を助けるのは当然のような気もしますが、それがなぜ当然なのか、考えてしまうのです。頑張っている人がいれば助けたいと考えるのは人情だし、夕暮れ時に弱い者が更に弱い者を叩くのはカッコ悪いです(ザ・ブルーハーツ)。強いヤツは弱い者の見方をするからカッコいいのであって、勝ち馬に乗るようなヤツは嫌われますよね。論理抜きにそういう発想を私も強く持っています。けど、そうではない面(=論理的に社会福祉を考える立場)からも社会福祉を充実させたほうが、社会全体として益があると考えられているのですよね、きっと。貧しい人が増えると犯罪率が高まる。それだけでも問題ですが、さらにそれを取り締まる、犯罪者を収容するための社会的コストがかかる。あるいは、貧しい人が教育を受けられず生産性が低下、さらに貧しくなり…というループに入れば、それも当然社会全体から見て不利益です。

こういう諸々があって、相対的に裕福な人が相対的に貧しい人を助ける社会構造なわけですが、日本は人口構成の違いや過去の積み上げが違うのに、ヨーロッパを真似て急進的に社会構造を変化させたために、明らかに無理が出ていますよね。あるいは、戦後の官僚による社会主義化が余りにも急速度で進行してしまったということなのかもしれません。難しい、細かい分析をする能力は私には無いのですが、日々感じる疑問は、日本人って結果の平等を求め過ぎていませんか。いくら頑張っても報われない社会を目指しているように感じます。これが、社会が感じる閉塞感とか、若者が感じる努力しても無駄みたいな感覚につながっているのではないかと思うのです。私が思い描く平等というのは、機会の平等であって、結果が平等でないのは当然ではないかと。だって、結果が平等だったら誰も頑張りませんよ。色々回り道しながらの文章なのでわかりにくくなってしまいましたが、冒頭の派遣村の話も、日本が結果の平等を求めるなら仕方ない=逆説的に、結果の平等なんてありえない、ということを言いたいがためでした。努力が報われない社会、集団は病んでいます。日本が早くそこから抜け出して欲しいと思うのでした。

ちなみに、最近気づいたのですが、私が大学で感じる一番大きい違和感は、大学教職員は社会主義的発想の人ばかりで、私はそういう発想が全く受け入れられないタイプだということです。私の生家は山奥の田舎で家族だけで自営業を営んでいました。毎日が倒産の危機ですし、病気やケガなどで誰かが仕事できなければそれだけで店は開けられなくなりますし、失業保険なんて縁遠い世界です。実際、私は両親が病気やケガでで休んだことは一度も見たことがありません。私が熱が40℃以上でも研究を続けたとか、インフルエンザで倒れそうな時に大学へ来たことを話すと周りの人は呆れますが、私の家ではそれが普通。そうしなければ生きていけないのです。そういう環境で育った私には、社会主義的な考え方というのは全然受け入れられないんですね。働きの悪いヤツは切られて当然だと思ってしまうのですが(追記:誰も勘違いしないと思いますが一応補足しますと、働きの悪いヤツというのは働きの悪い教職員ということです。一般企業ならクビになってしまうような人を切ることができないために、色々な方向で不利益を生みます。学生は育てるべき対象であり、ある意味お客さんですから、デキが良くても悪くても切ろうなんて思いません。実際問題としては難しいですが、デキが悪い学生を良くするのが教職員の役目ですから。)、こういう考え方は大学では非常に異端。もしかすると、このブログを読んでいる人から見ても相当奇異に映るのかもしれません。

そうそう。一般的に、研究者の道を選ぶ、具体的には博士課程に進学するのは一大決心が必要だと思いますが、私の場合、頑張れるだけ頑張る。それでダメなら、車の運転が嫌いではないので、タクシー運転手かトラック運転手になればいいやと思って決断しました。会社に雇われているタクシー運転手なんて私の実家の労働環境に比べたら天国ですから、研究者になれなくても、ツライ人生が待っているというようには感じませんでした。


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盛りだくさん

新年早々からイベント盛りだくさんです。あ、イベントと言っても私にとってのイベントですけど。

一昨日と昨日は研究会、明後日火曜日はフェルミ国立研究所のTevatron実験をしている人がセミナーをやりに大学に来ます。同じく火曜の研究室のミーティングでは、文献紹介の担当が私。そして今週末が締め切りの大きな雑用を2つ抱え、相当テンパッています。子供とも遊びたいし…。

ということで、今日のエントリーはこれだけです。


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